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徒然エッセイ⑭老いと青春(詩)

今日、
若者向けの音楽番組を久しぶりに見た。
四十代の私にとって、
九十年代一番多感な十代、
あの頃の流行っていた曲を
その当時と同じ歌手が歌っていた。
もう、
あの歌手は五十代になるだろう。
声にあの頃の張りがなかった。
瑞々しさがなかった。
五十代に
十代二十代の声は出せない。
私は若さに任せて
羽目を外すということがなかった。
おかげで青春らしい思い出はない。
背伸びばかりしていて、
周囲を上から目線で見ていた。
若者文化を上から見ていた。
当時は若者当事者だったのに、
年寄りの視点から見ていた。
いつのまにか
その視点と
実年齢が一致してきた。
三島由紀夫は、
若さを讃え、
老いを憎んだそうだ。
四十五歳で自殺した。
私は今日、
四十三歳。
若さとは何だろう?
青春とは何だろう?
四十三歳、
もう、
死を意識している。
あと十七年で、
六十歳。
私は何を残せるだろう?
私は独身で、
子供がいない。
彼女もない。
女性とつきあったことがない。
でも、
なぜか、
絶望していない。
過去を振り返って見たら、
何も
悪いことをしていないから。
青春時代の苦悩は、
私の
内部だけのものだったから。
私は、
絶望していない。
あの苦悩を
乗り越えて来たから。
その全部をのっけた、
小説を、
今日、新人賞に投稿した。
その封筒を、
ポストに投函した
瞬間の気持ちは、
高校生の頃、
マンガを、
出版社に投稿したときと、
全然変わっていなかった。
私の小説は、
若者に読んで欲しいものだ。
年寄り向けには
書かれていない。
十代の若者。
二十代の若者。
三十代の若者。
四十代の若者。
五十代の若者。
六十代の若者。
七十代の若者。
八十代の若者。
九十代の若者。
百歳の若者。
若さとは何だろう?
背伸びしていた私。
老いを追い求めた私。
年齢を重ねて、
老いを求めず、
若さを
求めるようになったら、
もう若者ではない。
私は、
老いを
追い続けたい。
老いを追うほどに、
私は若い。
背伸びするかぎり、
青春は過ぎない。
死んだら、
どうなるだろう?
それは誰にもわからない。
百歳にも、
十代にも、
同じようにわからない。
生きているうちは、
若さがあるのだろう。
「年老いた」
「青春は終わった」
そう言って、
過去ばかり見るようになったら、
人生は終わりだ。
思えば、
高校生の頃、
不毛な中学時代を
嘆いて泣いた。
まだ十代で、
不毛な過去に泣いた。
私はあの頃、
死んでいた。
死ぬことに
年齢は関係ない。
人間は、
いつでも死ねる。
でも、
百歳になるには、
百年かかる。
老いを大事にしよう。
老いに期待しよう。
それが将来の希望。
その希望を胸に、
今日、
私は、
小説を投函した。

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