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英語ができなくても小説家にはなれる

私は文学部を出ているのであるが、英語ができないことがずっとコンプレックスだった。
文学部を出ているのに英語ができない、これは致命的欠陥だと思っていた。
それに私は世界を旅することが夢だった。
英語の能力は必須だった。
私は世界中を旅して、経験したことを、小説に取り入れて、「世界小説」みたいな物を書く小説家になるのが夢である。今もである。
しかし、英語ができない。
三十代前半くらいまで英語の勉強をしていた。
やっぱり身につかなかった。
そこで思った。
「英語をコンプレックスに感じて一生生きるのか、それとも日本語しかできないが日本語で小説を書いて世界的に売れるか。どっちがいい?」
私の答えは決まっていた。
「英語なんかできなくても、日本語で傑作を書いて、世界中に翻訳されるようになればいいんだ」
私の憧れている宮崎駿は恐らく英語ができない。
宮崎駿に、「なんだ、おまえ、英語もできねえのかよ」と言ってみたら彼はこう返すかもしれない。
「俺は英語はできないけど『となりのトトロ』を作ったぜ」
英語ができる人はかっこいいが、それだけでは英語圏の人に追いついただけだ。そんな人よりは日本語しかできなくても、『となりのトトロ』を作った人のほうがずっとかっこいいと思う。
英語圏の人で私はビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーに憧れている。
彼らは音楽家なのに楽譜が読めない。
ポール・マッカートニーをバカにしてみよう。
「なんだよ、おまえ、楽譜も読めないくせに音楽家を気取ってるのかよ?」
彼はこう返すだろう。
「でも、俺、『イエスタデイ』を作ったぜ」
しびれるね。

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