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哲学者の言葉、医者の処方箋。統合失調症患者が医者の指示通り服薬を続けなければならない理由

私はこのnoteで統合失調症患者は医者の指示通り薬を飲み続けなければならないと度々言ってきた。それは自らの判断で断薬して、せっかく良好になりかけていた症状を悪化させてしまう人が多いからだ。

今、私は中世イスラームの神学者ガザ―リーの本を読んでいる。上記の私の主張を代弁してくれているような箇所が『誤りから救うもの』の中にあったので引用したい。(訳は中村廣治郎)


仮に君がまだそれを経験したことがなくても、君の理性はそれを真実とし、それに従うべきである、ときっぱりした判断を下すかもしれない。なぜならば、仮に成人して思慮分別がつくまでになり、まだ一度も病気をした経験がない人がいて、彼が病気になったと仮定しよう。彼には医学に精通した優しい父親がおり、分別がつく頃から、彼は医学の知識における父親の名声を聞いている。その父親が彼に薬を調合して、こう言うとしよう、「これはお前の病気に効くし、お前の病気を治してくれるだろう」と。かりにその薬が苦く、いやな味がするにしても、彼の理性は何を要請するであろうか。彼は薬を飲むだろうか。それとも、嘘だと言って、「私にはこの薬と治療効果の関係がわからないし、まだそれを試したこともありません!」と言うだろうか



ガザ―リーのこの言葉は宗教について言っているのだが、額面通り薬について言っていると見れば私の主張と合致する。患者は医者ではない。医者の診断を理解することはできない。だから、医者が薬を飲めと言うならば飲まなければならない。信じなければならない。

これがもし、哲学者の言葉を信じなければならないと言うならば、私はそれは眉唾物だと思う。昔の知識人の文章で、文章の結びに、「○○は言っている、『××は◇◇である』と。」みたいな権威ある哲学者の名前と言葉の引用が流行っていた。
これはその哲学者の権威にあやかっているに過ぎない。哲学者はたくさんの本を読んで深く考えているから、深く考えない者よりは真実を知っているに違いないと思ってしまうかもしれない。しかし、哲学に関して言えば、真実という答えは出ていないのだ。特に人生哲学においては。

それならば医者も哲学者のように信じられないじゃないか、と言う人もいるかもしれない。
しかし、医学は哲学ではない。医学ではこの薬を飲めばこの病気は治るというエビデンスがある。あるいは歴史的経験的にこの病気にはこの薬が効くと医学は知っている。
もちろん、現在の医学でも治らない病気はある。癌の末期には緩和ケアというものがある。もう治すのではなく、痛みを和らげ、穏やかな最期を過ごすことを目的としたケアだ。
しかし、統合失調症は癌ではない。薬物療法のエビデンスがある程度蓄積されてきている。今後も良い薬が出て来るだろう。私たち統合失調症患者は医者を信じて服薬を続け、少しでも良くなるように、自分でも心のリハビリとしてできることをしていくべきだ。
「継続は力なり」

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