幸福論。80年代の人生教育と統合失調症
私が子供の時、つまり80年代、大人たちは「本当の喜びは苦労して目標を達成したときに初めて味わえる」とか、「ただ楽しいのではなく、自らを苦難に落として這い上がることで初めて本当の幸福を味わえる」などという教えを垂れた。
私は絵に描いたような幸福な中流家庭で育った。父は教師で母も元教師で結婚を機に専業主婦、元警官の祖父と、その妻の祖母、ふたりの弟と私の7人家族だった。家は二階建ての一戸建てで、芝生の庭がある。住宅地にあり、私は自分の家族をサザエさんの家族と重ねたりもした(私はカツオだ)。学校から家に帰れば必ず誰か大人がいた。祖父が碁石を並べていて、その横に祖母がいて、母は家事をしている。必ずおやつが用意されていて、それを食べて私は遊びに家を出る。夕方6時に家族全員が揃ってご飯を食べる。それが当たり前だった。
小学校も高学年になると、自分の幸福に疑問を持つようになった。たまには独りでご飯を食べてみたかった。家族がバラバラな時間で食事をするという家庭に憧れた。「母子家庭で・・・」などと自分の人生に不幸な点があればその方が人生燃えるんじゃないかと思ったりもした。毎日が楽しくて、幸せで、満ち足りていた。唯一の不満は不幸でない所だった。
祖母は私とふたりっきりになると、「あんたはできる子だから」などと密かな期待をかけるように笑顔でよく言った。祖母は警察署長まで出世した祖父を自慢するために生きているような人だった。祖母は出世主義者だった。おしゃべりで、夕飯の団欒でも祖母は出世のことをよく話題にした。そのおかげか、私と弟ふたりの三兄弟は出世主義者になる。
私は中学に入ると母が突然私の教育方針を変えたのに面食らった。「中学からはテストの成績で順位が出るからね」。私の母は私の小学生の頃から教育ママとして知られていたが、私が中学生になると、初めて私に受験競争的な意識を植え付けた。つまり、テストの出来が周囲の友達との優劣になるという意識だ。私は小学生の頃はテストで満点を取っても、ただ純粋に嬉しかっただけで、周囲と比べたことなど一度もなかった。私は自らを勉強嫌いだと自称していたが、負けず嫌いだったので、中学からは勉強に力を入れるようになった。そして、初めての中間テストで学年4位という成績を取った。一夜にして周囲の私を見る目が変わった。小学生の頃は「天才なのかアホなのかわからない」と言われていたが、学年4位ということで勉強のできるやつと思われるようになった。正直私も驚いていた。250人くらいいる同学年の生徒の中で4番目!テストで良い成績を修めることはひとつの快楽となった。
中学2年で父が教頭として私の中学に赴任してきた。最悪だった。私は常時父から監視されているように感じるようになった。父は家でも教頭だった。私は目立つことの好きな子だったが、父の視線を感じるとバカなことをやって目立つことができなくなった。私は家に教頭がいて、学校に父がいるという環境で、どこで反抗したらいいかわからず、極端なヤンキーになるか、マジメになるかの二択を迫られているような気がした。そこで考えたのが、表面はマジメで、中身は野心ギラギラで将来有名になってみんなを見返してやる、という人生態度だった。小学生の頃、大人たちが言っていた苦労の末の喜びこそ本当の喜びという生き方を中学生になって選ばざるを得なかった。勉強と部活動の野球に力を入れるようになった。しかし、野球でイップスという病気に罹り、思うようにプレイができなくなり、野球をやっているときは地獄にいるようだった。私は3年生の部活が終わったときに、頭の中が真っ白になった。そのとき、手塚治虫の『火の鳥』に出会った。私は「これだ」と思いマンガ家を目指すことにした。しかし、心の中では高校野球に憧れていた。しかし、野球がだめかもしれない以上、保険として、勉強をがんばった。とりあえず、地元のトップの高校に行くことになった。しかし、その高校は野球が弱かったため私の本意ではなかった。その高校では野球部に入るもイップスは治らず、一年で退部した。それからはマンガ、アニメ、映画のことばかり考えるようになった。生活のすべてがマンガ家になりアニメ―ション映画の巨匠になるためにあると考えるようになった。現実が夢のようにフワフワしていた。クラスでも浮いた存在だったと思う。しかし、高校二年生の秋、翌年の文化祭のクラスでやる演劇のシナリオ担当に、その浮いた存在である私は立候補し、クラスのためにシナリオを幾本か書いて、クラスメイトにどれをやりたいか選ばせようとしたところ、クラスの主だった人たちは「シナリオはみんなで考えようぜ」と言い、私を無視して自分たちでシナリオを考えた。私はこの世に居場所がないと感じ、ついに発狂した。当時は発狂という表現しか知らなかった。今思えば統合失調症を発症したのである。
なぜ、統合失調症を発症したか、その原因を考えれば、中学のときに父という絶対権力者に正面切って反抗できなかったところにあると思う。私はヤンキーに憧れていた。中卒で働いてカネを稼いで、女の子と遊び、友達とバイクを並べて走ったらどんなに楽しいだろう。私の青春には女の子との交際の思い出がないし、バイクで友達と走った思い出もない。不幸に憧れることは健全だったように思える。
私は統合失調症になり、正真正銘不幸になった。80年代の大人たちは統合失調症の人に対しても「どん底から這い上がったときの喜びが本当の喜び」などと言うのだろうか?「精神障害者になってこそ、本当の人生が始まるのだ」と言うのだろうか?この病気は本当に地獄なんだぞ!私は今思うが、あのような80年代の大人たちは本当のどん底を知らなかったのだと思う。そういう私も両親が健在ゆえに経済的などん底を知らない。しかし、精神のどん底は知悉しているつもりだ。そのどん底が本当の喜びへの出発点?いやいや、統合失調症なんかにならないほうが絶対にいい。生まれたときから幸福でずっと楽しい人生で、死ぬときに「あー楽しかった」と言って死ねたら、それが一番いいのだ。人間というものは、それが難しいから人生について考える。
私は現在、統合失調症を克服しつつあり、小説家を目指している。中学生の頃、マンガ家を目指したあの歪んだ野望だ。これは80年代の大人たちが言っていた「苦しみに自らを落とし、這い上がること」に当たるかもしれない。私は小説が売れたら本当に満足するだろう。なにしろ30年の苦悩からの栄光だ。しかし、私はそれが幸福であるとは考えない。苦悩や苦労を乗り越えることと幸福は関係ない。私は間違っても「夢を叶えるために苦しみなさい」とは言わない。幸福に生きるためには、そのときどきの瞬間をめいっぱい楽しむこと、楽しみ続けることが一番大切なのだ。夢を叶えるとは、その幸福な中にあることが前提で、幸福の中で満足を得ることなのだと思う。けっして夢を叶えるために不幸になってはいけない。
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