我が故郷、藤枝を考える
今日は静岡にぶらりと行ってきた。
藤枝まで電車で帰り、駅からはバスに乗るか、家まで歩くか考えた。
とりあえず、駅前の喫茶店サモワールに入った。
私はホットコーヒーとレアチーズケーキを頼んだ。
本日ケーキはふたつめである。
こんな街ブラをするのは良くないと思いながら、ふたつめのケーキを食べた。コーヒーも美味かった。そして、本日の目的である喫茶店で読書のために、『ダルタニャン物語』を開いた。
一話読むあいだにコーヒーとレアチーズケーキを平らげた。
私は店を出て東海道を歩いて帰ることにした。
歩きながら故郷のことを考えた。
小学生時代までの楽しい思い出と、中学以降の殺伐とした記憶が併存するこの故郷。
私は中学卒業したあと、人生はもう終わったと思っていた。いや、頭では将来の夢など夢想していたが、毎日の遊びについては無気力だった。
近所の本屋でマンガを買ったり、ビデオレンタルでビデオを借りたり、つまらない毎日だった。ただ、心の支えは将来、有名なマンガ家になることだった。
藤枝はサッカーの町である。
と地元の人は思っている。
藤枝東高校と言うと全国に通じると思っている。
たしかにサッカーが好きな人には馴染みのある名前だろう。
しかし、大学で知り合った青森出身の女の子は藤枝を知らず、静岡県も私が「お茶とみかんのイメージしかないんだろ?」と言うと、「え?お茶?お茶と言えば京都じゃない?」などと言った。静岡県民ならば誰もが誇るお茶を知らない人がいる。静岡県と言えば富士山くらいしか知名度はないのかもしれない。
私は藤枝を歩きながら、自分が目指している小説家のことを思った。藤枝の小説家と言えばまず小川国夫がいる。この人を知っている人は、文学通だけであり、静岡のお茶やみかんを知らない人が知っているとは思えない。
小川国夫は生前、三年に一度、母校の藤枝東高校で講演をしていたが、私も生徒として聞いていた。
「小説家は人生の敗残者です」
と彼は言った。
私は当時、そんなものかな、と思ったが、小説家を目指している現在、「小説家が自らを否定してどうすんだよ」と思っている。
私は小説を書いている。
世界を変えるくらいのつもりで。
藤枝には蓮華寺池公園に文学館がある。ほとんど小川国夫の展示物だ。私は将来はその文学館が私の展示物で溢れるくらいにしてやろうと思っている。
と自信と気概はあるものの、最近はもう少し謙虚になったほうがいいなと自戒している。謙虚さ無欲から生まれる文学の力は凄いと思う。
私のnoteに投稿した小説はあまり読まれない。
noteに発表して世間の話題をかっさらうくらいでなければ、その小説に地力があるとは言えない。
いや、そう書いていてやる気が出てきた。
次の長編は新人賞に投稿するのではなくnoteに投稿しようか?
いや、長編は読まれないから短編にしようか?
いや、故郷の話から、小説の話へシフトしてしまった。
これがいけないのである。
小説のことばかり考えているから、現実が見えないのだ。だから謙虚になるべきだと思う。
謙虚とはどういうことか?
自信を失うことではあるまい。
「俺は世界一になる」と過剰な自信がいけないのかもしれない。
いや、夢が叶うことが前提で現在を生きているのが悪い。
私は四十代だ。
じゃあ、夢はいつ叶えるの?
今でしょ!