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波瀾万丈に憧れ精神病(統合失調症)になるという自傷行為

私は幸せな家庭に育ちました。
不幸というのがない家庭です。
母は専業主婦で常に家にいて私と弟たちを育ててくれました。
父は教師で安定した収入を得ていました。
私は小学校も高学年になると、自分の幸せな環境に不満を持つようになりました。
なぜ、うちは一家揃って夕食を食べるのか?
母親が仕事に出ていて、家には子供だけがいてレンジでチンして夕食を食べるとか、少し憧れていました。
そんな私に待っていた不幸がやってきたのは中学二年生になったときでした。
父親が教頭として私の中学に来たのです。
私はいつも監視されているようで自由がありませんでした。
家でも父親は教頭の面をして私を叱りました。
本当に息苦しい時代でした。
そういうのも、もしかしたら父親が暴力を振るうとかそういう家庭に比べれば幸せな家庭だったかもしれません。
しかし、私は不幸な主人公になりたく、父が教頭になったことを過剰に意識しました。いや、そうしたかったというよりそうならざるを得ませんでした。
中二と言えば反抗期まっただ中です。
親や教師に反抗する時代です。
しかし、私は反抗ができませんでした。
タバコを吸いたいという欲求はありませんでしたが、そういう不良行為には憧れがありました。
しかし、家でタバコを吸ったとして、家には教頭がいるのです。
なんだか、反抗の芽をすべて摘み取られている気がしました。
高校生になると親が昼間家にいなく、彼女を連れ込んでセックスをしているという友達に憧れました。
私の家には常に母か祖母がいました。
弟もふたりいましたから、彼女を連れ込んでということができませんでした。
いや、その前に彼女を作ること自体を禁じられているような空気が家庭の中にありました。
自由のない私は将来の夢に生きることにしました。
マンガ家になってディズニーや宮崎駿を超えようと思いました。
高校生になると将来のことばかり考えていました。
妄想です。
高校二年生でついに統合失調症になりました。
精神的には不幸以外のなにものでもない状況を獲得したのです。
私はそれ以来ずっと不幸でした。
ようやく、純文学がわかる自分になりました。
しかし、不幸になると、というか統合失調症になると、生き生きしたマンガは描けないし、小説も書けませんでした。
もう気がついたときには遅すぎました。
幸福がいかに尊いものだということを身をもって理解しました。
しかし、そこからが、私の波瀾万丈の物語が始まったようなものです。
統合失調症と戦い、マンガ家になるという夢を実現するための精神的な波瀾万丈な物語です。
友達が極端に減りました。
大学生になると、いつもひとりで渋谷の町などをぶらついていました。
人混みにいると孤独が癒やされました。
川崎市に住んでいたのですが、週末はたいがい、渋谷などに出て、喫茶店で本を読んでいました。
しかし、振り返ってみればまったくの孤独ではなく、大学でも話をする人はいましたし、中学時代から付合っている友人もいました。
私は川崎で一人暮らしをしていましたが、大学三年生になると、世間との繋がりを完全に遮断したいと思い、家の固定電話を常に留守電にしておきました。
すると母からの録音がたくさんきて、ついに母が会いに来ました。
そして携帯電話を渡されました。
当時は携帯電話の出始めたときだったので、持っていない人も珍しくはありませんでした。
当時の携帯電話は現在のスマホのようにインターネットなどなく、電話かメールができる程度でしたが、私はまったく使いませんでした。
大学時代は、渋谷などの街の風景が一番身近な友達だったと思います。
結局、大学三年生で実家に帰り精神科の初診を受けました。
そこからは新たな船出でした。
「薬は飲み続ける」
「徹夜はしない」
このふたつが私の誓いになりました。
この誓い以外は緩いルールの中で生きました。
一年休学してから大学に復学し卒業しました。
それからはしばらく無職で、二十五歳からパートの肉体労働を始めました。
単純な肉体労働ならば病気の頭でもできると思ったからでした。
二十代はほぼ肉体労働の思い出があるばかりです。
そこではいい人たちに巡り会うことができました。
そこで労働の基礎を学んだと思います。
そして、二十代半ば頃から私はマンガ家ではなく小説家を目指すようになりました。
毎年、小説を書き、新人賞に投稿するようになりました。
小説と仕事が人生の両輪となりました。
仕事がないと精神も不安定になると知りました。
もし、「精神が不安定で継続的な仕事ができない」と言う人がいれば、それは逆で、「継続的な仕事がないから精神が安定しないのです」。
その証拠に、私は三十四歳から十年以上、介護の仕事を続けていますが、現在はすこぶる安定しています。
小説も健康的な文章が書けるようになり、このようにエッセイなども書いています。
むしろ現在では統合失調症という精神病は小説を書く上で武器になるのではないか、くらいにポジティブに捉えています。
友達が多く、社交的で、読書の習慣がない人が文章を書いたとき、まるで友達と話すような言葉使いで「書き言葉」を知らない人の文章をときどき読むことがあります。
それに比べれば多少病んでいても、小説家を目指す以上、「書き言葉」は大切にしたいと思います。
そして、統合失調症という地獄を体験した私はあきらかに昔憧れていた波瀾万丈の人生を生きていると言えます。
自ら、精神を追い詰めていき、病んで、復活というか新しい自分を見つけるというストーリーは半端な人にはできません。
私はこの半生をここまで生きたことに誇りを持っています。

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