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統合失調症から就労へ。まずはできることから、そして、やりたいことへ。

俺は統合失調症当事者になって二十年以上生きている。十六で発症し、現在四十四歳だ。
俺は福祉的就労の経験がない。いわゆる作業所の経験がない。今で言う、就労継続支援A型B型などに通ったことはない。そういう所は通らず、社会に出て、現在、介護士をやっている。この介護士も夜勤ができない俺はパート扱いで、十年働いた。ねばった。ねばったら、夜勤をやらなくとも正規職員として就職できた。十年かかった。三十四歳から四十三歳までパートで頑張った甲斐があった。
そんな俺は・・・俺のことを書くが、これは統合失調症で無職の人に参考にして欲しいからだ・・・俺は二十代で、大学卒業後、しばらくしてから、肉体労働のパートを始めた。単純肉体労働で誰もやりたがらない仕事をあえてやった。どんな仕事かは省くが、その仕事を五年やって、俺はそのつてで農業の手伝いをするようになった。三十手前の俺は、地元の農家に雇われお茶刈りなどをやった。茶畑のある地域の人にはわかると思うが、茶畑というのは、畝があって、その畝の間に人がひとり通れる隙間がある、冬、その隙間を広い茶畑で、俺はひとり、有機肥料を振って歩いた。肥料を振るとはどうすることかというと、背中に「しょいこ」なるものを担いで、その「しょいこ」の下にホースのような管が着いていて、それを振ると肥料が下に落ちるのである。四年制の大学を出ていて、三十にもなる男が、見渡す限り、自分ひとりしかいない田舎の風景の中で、せっせと肥を振るのだ。俺はその茶畑を見て思うのだ、「あ~、これ全部振って歩くのに、あと一時間くらいかな?がんばろう」そんなふうに働いていた。それは俺がやりたくてやった仕事ではないのである。生きるためにしかたなくやっていた仕事である。俺は社会福祉士の資格を取るときに、就労支援の在り方としてクライアントが何をしたいかを重視しろ、と教えられた。自己決定が大事だと教わった。今、俺は社会福祉士として文章を書いていない。統合失調症の先輩として若い統合失調症の人に向けて書いている。統合失調症であるいは一般の人で、「それはやりたい仕事じゃないから」というふうに仕事を選ぶ奴は、仕事というものを知らない。仕事とはやりたいものもあるかもしれないが、やりたくないことをしなければならないことのほうが多いと思う。統合失調症の俺だからそう言うのかもしれないが。
統合失調症という重荷を背負っていて、最初からやりたいことしかしない、という構えでは、結局やりたいことができずに、「とりあえずA型で」とかいう風になると思う。A型のその仕事がやりたかった仕事なのだろうか?
俺は統合失調症の人はとりあえずできる仕事を、やりたくない仕事でもやるべきだと思う。そして、重要なのはその仕事をしたことが、精神的に自分のプラスになると思える仕事に就くべきだと思う。誇りになる仕事をすべきだと思う。その誇りは精神病によく効く薬であるからだ。やりたい仕事をやるのも大事かもしれないが、統合失調症を治すというための仕事という視点も重要だと思う。俺のやった肥振りも、地味で多くの人がやりたくない仕事だが、そういうことをやる人がいなければ社会は回らないのである。自分は社会を支えていた、そう思えることも仕事の醍醐味かもしれない。これは統合失調症に限らず若い人全般に聞いて欲しいことかもしれない。最初からやりたい仕事しかやらないなど言うのは社会を舐めてるよ、と。
俺は大学時代にマンガ家になりたいと思っていた。だから会社に面接に行くのではなくマンガを描いていた。舐めていた。下積み時代が嫌だった。手塚治虫は十八歳でマンガ家になっている。マンガを描きながら医学部に通い、医師免許も取得した。マンガでも医者でも最初から「先生」と呼ばれていた。だから、彼の作品の視点は「先生」から見た世界観だ。いや、手塚治虫の批判の文章ではなかった。そんなわけで俺は手塚治虫のような人生を生きたかったが、目標は宮崎駿だった。しかし、彼の下積み時代が嫌だった。彼は二十代、手塚治虫のように華やかな生活はしていなかったはずだ。手塚治虫はたしかに先駆者だったが、ひとつひとつの作品の評価は宮崎駿とどちらが大きいだろうか?『千と千尋の神隠し』のような作品は下積みのない手塚治虫には作れなかっただろう。あ、また手塚批判だ。この手塚批判は根が深いようだ。俺は今、手塚批判をしたいわけじゃなく、労働者としての下積みは価値があるよと言いたいのだ。統合失調症を患っているならばなおさらだ。今は苦しくともこれは下積みだと思って苦労を耐えていればいつか、必ず、花が咲くと思う。そう言う俺自身、小説家になりたくて現在もそっちをやっているが、もし小説家になれなくとも、下積みは無駄ではないと思えると思う。社会の底辺を知っている人間と上澄みしか知らない人間とでは、社会と人間に対する洞察がまるで違うと思う。
 
統合失調症から就労して、夢を掴むまでのルートを俺はソーシャルワーカーとして開拓したいのかもしれない。それは未知なるルートだ。統合失調症で、福祉施設に通うというルートではなく、社会の網の目をくぐって、自己実現に向かうルート。それは人それぞれが置かれた環境により違うだろう。俺は福祉施設というルートが嫌いだ。社会福祉士などはすぐにそれを活用しようとするのではないだろうか?実務経験のない俺にはよくわからないが。福祉施設じゃなくても障害者に理解ある事業主などはいるし、仕事には厳しくとも部下に対する愛が深い人もいる。そういう一般社会で揉まれることが、統合失調症から社会で生活していける人間に成長できる肥料となると思う。花ばかりに気が行きがちになるのはわかるが、その下にある土こそが、美しい花を咲かせるには重要なのである。

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