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小説家を目指す者の世間の中での立ち位置

私は現在四十五歳の独身男性で小説家を目指しているのだが、中学三年生の頃からマンガ家になりたくて、芸術家的生き方をするように自分を変えてきた。それまでは、自分は世間内の一プレイヤーに過ぎなかったが、次第に観察者になっていった。そして、ついに自分の中に観察者の自分とプレイヤーの自分とを作り上げた。高校二年生のことだ。しかし、観察者の存在は大きく、観察者はプレイヤーを殺し、私を乗っ取ってしまった。それ以来、私は観察者として生きて来た。
大学に入っても友達がほとんどできず、彼女もできなかった。文学部哲学科の私はただ、周りを観察していた。プレイヤーであることは忘れていた。マンガ家になることしか考えていなかった。そして、原稿を出版社に持ち込んでも、「画のクオリティーが低すぎる」とどこの出版社でも言われた。自分の絵が下手なことに自覚がなかった。私はついに大学三年生の夏、実家に帰り、精神科を受診した。高校二年生のプレイヤーを殺し観察者に乗っ取られた時点で精神病になっていたのだ。
太宰治の『人間失格』は観察者である人間は失格者であるという内容だと思うが、あれを書いた太宰治は私から見れば、何人もの女と付合ったり、小説が書けたりすることで、充分健康に見えた。たしかに、人間の多くは観察者、太宰風に言うと「道化」の部分はあると思う。しかし、そんな人間もプレイヤーである部分を同時に持っていて、プレイヤーが完全に死んだのが精神病、中でもその象徴的な病気である統合失調症だと思う。
統合失調症は百人にひとりはなると言われているが、太宰などの小説に共感できるような、観察者に浸食された統合失調症予備軍はかなりの率でいると思う。予備軍でない者と言ったら、天真爛漫ないわゆる「てんねん」と言われる人かもしれない。私も小学生の頃は「てんねん」だったが、次第に悪というものに浸食されて、先に述べたように観察者が膨らみ、高校二年生で乗っ取られた。
統合失調症のような精神障害者をいわゆる「サイコパス」と呼んで、マンガやドラマで理解不能な凶悪犯罪者にする場合があるが、あれは多くの人が、自分が統合失調症になり事件を起こすことを恐れているため、そのような人を「他者」として排斥すればとりあえず自分は健康なのだと安心できるからだと思う。
私は統合失調症になってからの人生は半端なく地獄だった。そこから這い上がるのは努力という言葉では生ぬるすぎるほどの苦闘だった。四十五歳の今でもまだ完全に戻ったわけではない。しかし、ほぼ健康な心の在り方は戻っている。
こんな文章を書いている私は、二十代、マンガ家を諦め小説家を目指し始めた。観察したことを生かしたいからだ。精神を病みながらも哲学や文学をやって、相当、世間に対する観察力は高まったと思う。その観察した結果をどう表現するかが芸術家のジャンルに分けられるのだが、私は小説を選択した。本当はマンガやアニメがよかったのだが、その才能はないから、小説にした。最初は村上春樹の文体を真似することから始めた。
観察者は傍観者とも言える。世間の中にいながら、世間の外にいる。私は今、介護の仕事をしているが、その職場での人間模様など観察もするが、その中のプレイヤーでもある。その職場に私に対していや~な態度を取る人がふたりいる。そのうちのひとりが、新人(とは言っても私よりひとつ年上)の人にやはり冷たい態度を取っているらしく、相談を受けた。私は「その冷たい態度を取る人が、職場を分断しようとしているけど、それに乗っかってこちらが受けて立てば、その人と同じ人間になってしまうから、俺はそのような分断的態度には乗っからない」と言ったら、「大人ですね」と言われた。まあ、大人というか、観察者の立場である。しかし、その冷たい態度を取る人は、プレイヤーとしての私にも冷たい態度を取るし、もうひとり、こちらは露骨に言葉で嫌みを言ってくるので、さすがに私も観察者でばかりはいられなく、プレイヤーとしてムカつくのだが、かつて病気で完全なる観察者であった私としては、ムカついている私をあながち嫌いではないのである。怒ることは大事だ。
そういえば、中学生の頃、私が学校でムカついたことがあったりして、それを父に話したりすると、父は必ず、「お釈迦様ならそんなことで怒ったりしないだろうな」と言った。そんなこともあって、私は中学生の頃から仏教を強烈に意識した。解脱したいと本気で思っていた。しかし、生きている以上、プレイヤーなのである。喜怒哀楽があってこそ人間なのである。私は高校三年生の一年間、「笑うことは罪」と考えて、一回も笑わなかった。統合失調症になったばかりの頃で、キチガイだったと言える。人間は笑ったり怒ったり泣いたり愛したりするものである。どんなに世間を客観的に見ることができたとしても、そこに生きる人間であることに変わりはない。
私はまだ小説家を目指しているが、完全な観察者になってしまっては何も書けないのではないかと思うようになった。
私は小説とは三島由紀夫みたいに、哲学的に言葉で人間の心理を説明できるものが良いのだと思っていたが、最近は即興小説を書いているためか、小説内のプレイヤーに感情移入し、共に泣き笑い怒り愛したり憎んだり、そういうものが小説には大切なのではないかと思うようになってきた。三島由紀夫は彼の最後の小説『豊穣の海』で主人公の本田繁邦に、自分は「見る」存在だった、と言わせている。つまり観察者である。三島も解脱という言葉をよく使う人で、たぶん、金閣を焼いた『金閣寺』の主人公のように、市ヶ谷駐屯地で立てこもった三島事件を起こしたのも、彼なりの解脱だったのだろうと思う。彼は「行為」という言葉を重視していて、小説を書く行為は、観察者の行為であり、本当の「行為」ではないと思っていたような気がする。つまり小説家はプレイヤーではなかったと三島は認識していると私は思う。
行為など、観察者がその身のうちに存在しない人ならば、その生活がすべて「行為」である。私も自分の中に観察者の視点がなかった小学生の頃はメチャメチャ楽しかった。いわゆる「リア充」だった。しかし、観察者の視点を持ち、文学や哲学を学んだ者にとって、ただプレイヤーとして誰かを嫌いだからと冷たい態度を取ったり嫌みを言ったりするのは、無知で幼稚な気がする。よく大人が「本を読め」と言うのは、「観察者の視点を持て」という意味なのだろう。太宰や三島はその観察者の視点を持つことの悲劇性を書いた作家だったのだと思う。
私は完全な観察者になって病んでしまったために、プレイヤーとしての青春を失ってしまった。しかし、観察者であることも人間であることに違いはない。そのような視点を持つことに誇りを持ちながら、プレイヤーとして笑い泣き怒り愛したりして生きたいと思う。

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