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デカルトの「我思う、ゆえに我あり」を考える

デカルトは西洋近代哲学の最初の人と言われている。
有名な「我思う、ゆえに我あり」という言葉が近代的自我の目覚めだと言われる。
この言葉の意味は、すべての存在を疑ったとしても、疑っている自分自身が存在していることは疑うことができない、というものだ。
この言葉については多くの哲学者が批判してきたものと思う。
私も批判してみたい。

すべての存在を疑う、例えば「宇宙は存在しないかもしれない」と疑ってみても、疑っている自分自身が存在していると気づく。
しかし、疑っている自分と、疑っている自分が存在していると客観的に見る自分は別物だと思う。なぜなら、疑っている自分が存在していると判断する主体は、疑っている主体とは明らかに違うからだ。その判断をした瞬間、疑う主体は疑うことをやめてしまう。この客観的に判断する主体はどこから来たのだろう?疑う主体とは別の自分であるような気がする。
ここで日本語の「自分」という言葉を考えてみたい(この日本語がいつからあるのか私は知らない)。自らを分ける、と書く。この「自分」とは客観的に見た私のことだ。主観的私と客観的私を分けて考えている。客観的な「自分」は他者から見た「私」であり社会的な「私」だ。私の経験上、警察や自衛隊などに属している人に、一人称に「自分」という言葉を使う人が多いと思うが、その理由は組織性が強い組織に属しているからだろう。(私はそのような警察官や自衛隊員に「私」や「俺」などの一人称を取り戻して欲しいように思う)
社会的自分あるいは客観的自分に気づくこと、それは数学の難問に思考の全てを注いで集中していた学生が、腹が鳴ったために自分が腹のすく人間であったことに意識を引き戻されるのに似ている。デカルトも宇宙の存在を疑っていても、疑っている自分は生活をしている人間であることに気づいたのだと思う。それは警察や自衛隊でなくとも、人間は社会に属していれば誰だって社会的自己を持っていると言えることによるのだと思う。ここで先の疑問、「客観的に判断する主体はどこから来たのだろう?」という疑問に、「社会から」と答えることができると思う。
「社会」は「私」が生まれる前から存在していた。「私」は「社会」の中に生まれてきた。
(「だから社会に従え」というのは暴論だと思うが、それについてはここでは述べない)


デカルトは徹底的に疑ってみて、疑いえないものを見つけた。では、疑わなかったらどうだろうか?
考えるのをやめるのだ。そうすると、「我思わない、ゆえに我なし」と言えるだろうか?これは言えないと思う。なぜなら、思うことをやめていれば、どうして我がないと判断できるだろうか。
思わないとは、疑うことではないわけだから、「信じること」と言えるのだろうか?「私は信じる、ゆえに私はある」と言えるのだろうか?これはじつはデカルト的だと思う。「我思う、ゆえに我あり」を信じたデカルトは最初から疑いえないものを求めてすべてを疑った。彼は最初から疑いえないものはあると信じていたと思う。
「我思わない」のあとには何が来るだろうか?「我なし」ではない。「わからない」でもない、なぜなら思わないとはわかろうともしていないからだ。「我思わない」には「我なし」も「我あり」も導き出せない。なぜなら、考えていないから判断もできない。
「我思わない」には主客の分離がまだない。だから「私は思っていない」という自覚もない。「心を無にしている」と言えそうな気がするが、そもそも客観がないからそれも無理だろう。客観とは言うまでもなく他者の視点である。「心を無にしている」という自覚もないことは間違いない。また、「我思わない」は「我思わない」とも思わない。思わないからだ。したがって主体の我もない。だから、「思わない」と主語なしで表現すべきだと思う。

私たち人間はいろいろなことを考えるが、生まれてきたときは、何も考えていないと思う。少なくとも、「我思う、ゆえに我あり」などとは考えていない。思想の基盤とは、大人になってから熟慮してひねり出す物ではなく、幼い頃から培う感覚的なもののような気がする。「省察」とはおのれの意識の深くを見つめることではあるが、すべてを疑って考えることではなくて、主客未分の記憶に沈み込んで掴むものかと思う。


結論が少し乱暴になってしまったと思うが、哲学的思考は疲れるもので、精神の健康に必ずしもいいものだとは言えない。元気な時はおもしろく考えられるが、考え過ぎると病的になる。今日は私が元気だったので以上のような思考ができた。私は哲学書を読まなくなって久しいが、読まないからこそ自分の考えをまとめることが少しはできるようになってきた。私は「我思う」ではなく「我ときどき思う」くらいにしておこうと思う。


デカルトと言えば、2000年春、私が学生時代に、パリへ、今は亡きおばあちゃんと旅行に行ったことを思い出す。(ずるいことに費用は当時八十歳のおばあちゃんに出してもらった)。パリに五泊したのだが、半日だけ、おばあちゃんにはホテルで休んでもらい、私ひとりでパリの街を彷徨ったことがある。私は旧市街をあてもなく歩いた。自分がどこにいるのかわからなかった。すると、感じのいい古い教会の前に出た。私は休憩しようと思い中へ入った。暗く静謐で厳かな教会だった。私はこの教会が気に入り、翌日、この教会におばあちゃんを連れて来ようと思った。ホテルに帰ってガイドブックで調べてみると、その教会はサンジェルマン=デ=プレ教会というパリで現存する最古の教会であること、そこに哲学者デカルトが眠っていることを知った。哲学科の学生だった私はこの偶然に何か運命的なものを感じた。翌日、おばあちゃんと朝一番にその教会に行った。教会の前のカフェでおばあちゃんはカプチーノを、私はショコラを飲んだ。忘れられない思い出だ。

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