「埋もれた研究」発掘の一環で,100の研究アイデアを妄想して分析したら見えてきたこと【フィードバック・再考察編】

以前書いたこちらの記事

で産出・分析したアイデアについて,まず上記記事を読まない前提で,それぞれのメタクラスタに分類された研究アイデアについてどのような印象を持ったかアンケートをとりました。ご協力いただいたみなさま,ありがとうございます。

アンケートのフィードバック

「芯」メタクラスタ

まず「芯」メタクラスタについてのコメントをまとめると

  • 人から学ぶ,人を愛する,人と楽しむといった,自分以外の他者の存在を明確に意識させるようなアイデアが多かった。

  • 学問の枠を超えて学問自体や人間に立ち返る学際研究が多い印象がある。

  • 人との関わり方に関するテーマが多かった。

  • これまで着目されていそうでされていなかったテーマが多かった。

  • 個人の人生・キャリアに関わるテーマがみられたが,これらは研究になりうるのかと思った。

となりました。私自身の見立ては「私個人のこれまでの研究成果との関連は薄いものの,個人的に強く興味を持っている問いに深く関連するアイデアが多くみられた。」でしたが,ほかの方からみた場合に「これまでの研究との関連が薄いが,個人的に強く興味があるアイデア」に対して以上のような印象があったと解釈できます。

個人の人生・キャリアに関わるテーマですが,仮説の探索と検討を重ねて一般化できる知見を導き出すという前提であれば,キャリアについての研究は経営学や教育方面などの分野にもみられますし,研究者のキャリアに絞って考えるならば科学教育などの分野でも研究としては形にできるとみています。

「葉」メタクラスタ

次に「葉」メタクラスタについてのコメントをまとめると

  • 具体的なアイデアが多かった。

  • タイトルからだけではやや内容をイメージしづらい(あるいは多様な解釈が可能な)ものも散見された。

  • タイムリーなものが多かった。

  • 人の認知的側面と,機械の知性(AI)的な側面が織り交ざったアイデアが多い印象がある。

  • 格差や怒り,自分語りやムラ意識など,社会的な構造から影響されて自分の中に根付いている問題について視点を変えて捉え直そうとするアイデアが多かった。

  • 終わった後には自省を促すようなアイデアが多い印象がある。

  • 「他人」というより「自分」を変えるためのアイデアが多かった。

となりました。私自身の見立ては「これまでの私自身の研究の知見や学術研究の既有知識と,研究アイデアを出す際にヒントにした『わたしたちのウェルビーイングカード』(後述)のキーワードとをマッチさせようとしたアイデアが多くみられた。」でしたが,具体性やタイムリーさに関わる印象はカードのキーワードの影響が大きかったかもしれません。

また,「人の認知的側面と,機械の知性(AI)的な側面」「自省を促す」「『他人』というより『自分』を変える」はこれまでの私の研究の知見に関わるところですが,「格差や怒り,自分語りやムラ意識などの社会的な構造」は研究の知見から直接導き出された問題意識とは異なるものです。これに関してはのちほど考察を加えます。

「皮」メタクラスタ

最後に「皮」メタクラスタについて

  • 自分なりのやり方を掘り下げるようなアイデアが多いように感じた。

  • 研究テーマの独創性を強く感じた。

  • 単なる好みの問題かもしれないが,あまりピンとくるアイデアがなかった。

  • 研究の対象や用途がやや限定的な印象がある。

  • 「葉」は問題解決という印象だが,「皮」は言語化できていない部分をうまく言語化するためのアイデアが多い。

  • 自分と他者という社会的関係に主眼が置かれているように感じた。

となりました。私自身の見立ては「日常レベルの願望を述べるのみに留まっていたり,『わたしたちのウェルビーイングカード』(後述)のキーワードに強く引っ張られ過ぎたりしたアイデアが多くみられた。」で,この見立てにつながりそうな解釈として「自分なりのやり方」「独創性」「ピンとこない」「限定的」といったものが挙げられるでしょう。また,このような解釈につながるのは「皮」メタクラスタに属するアイデアの中で「私だけしか得しない印象のあるもの」が目立ったからという理由もあるかもしれません。そのようなアイデアをあえて出していたという意図もありますし,そのような当事者性の強いアイデアの一般化・相対化を試みることも,研究では大事になる場面があると考えたためでもあります(試みるに値しないであろうアイデアも多数あるとも思いますが)。

アイデアの発想の元を眺め直して気づいたこと

さて,このアイデアはもともと「わたしたちのウェルビーイングカード」

のキーワードから発想を広げたものですが,このキーワードは「I(自分個人のこと)」,「WE(近しい特定の人との関わり)」,「SOCIETY(より広い不特定多数の他者を含む社会との関わり)」,「UNIVERSE(より大きな存在との関わり)」と4つのカテゴリーに分類されています,研究アイデアを産出するのに用いたキーワードに着目して,これらのカテゴリーに基づいて研究アイデアを分けて眺め直してみると

  • 「I(自分個人のこと)」に属するキーワードからの研究アイデアは,「学習」「身体の知覚と錯覚」「感情」「認知バイアス」「当事者性」などといった私自身の専門分野である認知科学のトピックに関連するものが多数を占めた。個人的に興味が強いものもあれば,近年研究者の間で盛り上がっているものも含まれている。主に個人の認知過程に着目する研究分野を専門とするからこその着眼点と思える。

  • 「SOCIETY(より広い不特定多数の他者を含む社会との関わり)」に属するキーワードからの研究アイデアは,「いかに科学的・論理的・理性的に考える人を科学的な活動に巻き込むか」「科学的・論理的・理性的な考えを忌避する人やコミュニティに感じる分断や距離感とどのように対峙するか」に関するもの多数を占めた。社会に対する見方がそれだけ頑なであるようにも感じたし,「科学的・論理的・理性的な考えを忌避する人やコミュニティ」に私自身がこれまでの人生で長らく手を焼いてきたことも影響していると思われる。

  • 「WE(近しい特定の人との関わり)」に属するキーワードからの研究アイデアはキーワードに引きずられ過ぎて研究としてはどうなのか,というもの(例外的に「応援・推し」からのものは研究としての手応えを感じた)と,前述のSOCIETYに属するキーワードからのものと共通するものとに分かれた印象がある。

  • 「UNIVERSE(より大きな存在との関わり)」に属するキーワードからの研究アイデアは,WEと同じくキーワードに引きずられ過ぎて研究としてどうなのか,というものと,特に「つながり」を含むキーワードからのもので前述のIに属するキーワードからのものに共通する認知科学のトピックに関連するものとに分かれた印象がある。

といった傾向があると判断しました。これらの見立てをまとめると,全体として

  1. 私自身の専門分野の知識・興味に基づく研究アイデア

  2. 科学的・論理的・理性的に考える人・コミュニティと忌避する人・コミュニティの断絶に着目した研究アイデア

  3. ただキーワードに引きずられて思いついただけの研究アイデア(研究になるか疑わしいものも多数)

に大きく分かれそうと思えます。ただし

  • これらの3分類に明確に分けられないもの

  • キーワードに引きずられたものの,比較的研究としては見込みがあるもの

も含まれてはいるので,これらに注目することも大事です。一方で

  • 2.について考える余裕があるなら,1.に属するものを中心にリソースを振り分けて研究を進めるべき

  • 2.に属する,科学的・論理的・理性的思考の社会におけるあり方を問うものにも研究の軸足を置くべき

という2つのスタンスが考えられます。おそらく

  • そもそも私自身が2.の問題を考える土台になる思考を持ち合わせていないとみられる

  • 2.に踏み込むと,私が闘っても消耗するだけの敵と闘わねばならないからリソースの無駄である(教育関係の研究に私が絡むと非常によく言われる)

という指摘が周りからありそうに思えます。要するに私には2.の研究は向いていない,メンタルをすり減らすだけで私が研究に関わって得られるものはほぼないから,1.の研究に専念せよという意見です。

突然ですが,私にとって「洞察がまったく働かず,上っ面の理解以上の知的活動にまったく価値を感じていない人間」「人間はすべて自分の意思で行動・制御できるのであるから,自分の意思で行動を止められないのは自己責任であると考える人間」は,はなから相手にしたくない人間の特徴の二大巨頭です。このような自分と価値観が正反対の人間の相手ができるほどの余裕がないと周りからも思われているので,2.に踏み込んでも消耗するだけだから距離をとるべきということなのでしょう。しかし,このような人間との対峙のしかたを考えることは,私自身の生きる存在意義にも関わってくる(私の存在を全否定してくると感じる人々は前述の二大特徴がことごとく当てはまります)だけではなく,社会における学問の価値を問うという問題にも関わると考えています。1.の研究だけに専念できる環境などそうそう手に入りませんし,2.の研究は自分自身,そして学問の存在意義を問う意味で避けられないのです。もちろん自分自身と学問を同一視するなどというおこがましいことは申し上げるつもりはありません。ただ,学問の存在意義を主張することは,社会の中で自分自身の居場所を確保することにもつながるという信念は持っています。学問的な真理と驕らず向き合うことと同時に,他者を極端に相手にしないこともただ他者の言いなりになることもなく対峙を続けることは自分自身のためにも,学問のためにも重要と考えます。

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