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Re: 【短編小説】エンドロール②

 いつの間にか置かれている椅子に座り、机に置かれた白い紙とペンを眺めた。
 エンドロールを書く。
 主役は自分で間違いない。
 そしてひとまずは手近な友好関係を書き込んでいく。一方的に友人だと思っているパターンについては考えない事にした。
 結婚式の招待状もこんな感じなのだろうか?


 テストの時に解きやすい問題からやっていくみたいに、頭に浮かぶ名前をとりあえず記していると、ピタリと手が止まった。
 三か月だけ付き合った恋人と言うか、まともに関係性があったのは最初の一か月くらいの女だとかも書き込むべきなのだろうか。
 それより短い付き合いの女や、一方的に好きだった女とかはどうしよう?


 見栄を張ったり嘘をついたところで仕方ない。それに自分を構成している存在について端折るのも良くない気がする。
 ならば素直に書くしかない。
 相手の記憶からは消されていても、こちらは覚えている。悪い感情で覚えている訳じゃないから、たぶん大丈夫だろう。

 自分の人生を振り返る、そう言う意味があるんだと気づいたのはエンドロールに書く名前がそろそろ出てこなくなった時だった。
 悪いことが多かった気がするけれど、小さな幸せも確かにあったと思える。
 それが目的なのかは知らないけれど、少なくともそう思える人生で良かった。

 それでも、終わりにしたかった。

 ペンを置いて、目の前に立っている女に目を遣る。
 こんな女であっただろうか。
 先ほど見つめてしまった胸は小さくなっている。模様まで見えそうな茶色い目は黒くなっている。短いと思っていた黒い髪は茶色で長く伸びて結われている。
 それにスーツを着ていたはずだ。
 いまは喪服のような黒い着物になっていた。

 女は相変わらず瞬きをしない。
 それだけは変わらない。
「どこかでお会いしたことはありますか」
 思わず訊いた。ナンパみたいだと思った。
「いいえ、そんなはずはありません」
 女は瞬きをせずに微笑んで言った。
「そう、ですか」
 何を期待して訊いたのか自分でもわからない。人生のどこかで出会った気もするし、女の言うように会ったことがない気もする。

 立ち上がって女に手を伸ばす。
 女は瞬きをしない。
 指先に触れた髪は乾燥しているようで、しかし湿度が保たれているような手触りだった。
 女は抵抗をしない。抵抗どころか何の反応もしない。もちろん瞬きも。


 そのまま女の首に手を伸ばす。
 もしいまここでこの女と関係を持ったら、エンドロールには何と書くべきだろうか。
 スペシャルサンクスに付け加えるか、それとも最期の女とでも書くか。
 いや、そもそも自分の人生はとっくに終わっているのだ。だからこの河原でこうしてエンドロールを書いた。

 女の首筋は冷たく、それでいて皮膚の下で何か燃えているような熱が指に伝わる。指に込めた力が抜けていくような気がする。
 河の水が砂利を撫でる音が大きく聞こえる。
 女は口角を持ち上げたままこちらを見ている。その瞬きをしない目は金色に近い薄茶色だった。
 その目は何を見ているのだろうか。
 その目に映りたいのだろうか。

 いままでの人生でどうやって誰の目に映っていたのか、思い出せない。


 河の水に撫でられる砂利の音が響いている。
 女の着物に手を差し込む。手のひらに柔らかい陶器の様な感触が広がる。耳に撫でられる砂利の音が耳を飲み込む。引き寄せた女の首筋は何の匂いもしない。女は瞬きをしない。自分の鼓動は聞こえない。それはここに来る前に置いてきたものだ。

 ゆっくりと女の中に入っていく。
 これまでいくつのトンネルを潜ってきただろう。いくつのトンネルを出ただろう。
 自分の鼓動は聞こえない。
 どのトンネルに置いてきたのか、それともトンネルに入る前だっただろうか。もう終わってしまった人生がまだ続いている気がする。

 冷たい炎のような、柔らかい陶器のような、そんな肢体の女はやはり瞬きをしないしこちらを見ない。
「まだ、エンドロールを書き終わっていませんよ」
 暗く明るい光りが反射している。寒くて熱いトンネルの中で女の声が聞こえる。
「書き終えなきゃダメなのか」
 214118歩を数え始める。
 前へ。
 214117歩。
 後ろへ。
 214118歩。

「帰るよ。エンドロールを書くのが面倒になった」
 ぼくは脱ぎかけた服を着た。
「そうですか」
 女はやはりどこかで見た事のある、憧憬と嫌悪を併せた様な顔で笑っていた。

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