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Re: 【超短編小説】夜 ボンバイエ

「どうしたの?」
「勃たねぇ」
 ベッドを降りると汗ばんだ足がフローリングに張りついた。
 女はなにも言わない。
 嘲笑えば殴れるし、慰めても追い出されるのを知っている。別にお前のせいじゃない。
「おれがどうかしてるだけだよ」
 またはコイツのせいだ。
 煙草に火をつける。換気扇に煙が吸い込まれていく。煙草なんて吸うもんじゃねぇな。だが煙草をやめるほど意志が弱くもねぇ。
「必要なのは教養だ」
 勃起にしてもそうだ。脳みそじゃ勃起できねぇ。

「嫌なことでもあった?」
 女が優しく言う。
 女が優しいと言うのは、つまり怒ってるとか呆れてるとかってことだ。腹を切って死ねと言ってるのに近い。
「いや、何もない」
 何も無いから勃たねぇんだよ、ワカんねぇだろうな。
 煙が換気扇に吸い込まれていく。
 無意味に金曜日の夜が溶けていく。
 その先にあるのは?
 月曜日だ。ウンザリする。

 金曜日の夜と言う事に対して芽生える悦びと言うものが、そのまま金曜日の夜のうちに枯れてしまうようになった。
 実際に夜更かしと言う行為が悦びではなくなり、不安と苦痛を伴うようになった。
 夜は終るものであり、そのまま朝は苦痛でしかなくなった。
 濃紺のビロード幕が引かれた金曜日の空は月曜日の朝と言う白い刃で引き裂かれてそのまま光に飲み込まれていく。
「光あれ」
 死に損ないのイカサマ野郎のせいでこのザマだ。
 疲れた。眠れない。もう少し夜を。
「なに?」
「何でもねぇよ、先に寝てろ」
 女は鼻息を荒くして布団を被る。
 それでいい。
 射精の次に大変なのは勃起なんだよ。それに比べりゃ労働なんて屁でもねぇ。お前にはワカんねぇだろうからな。

 光あれ?
 まだだ、まだやめてくれ。
 煙草の先端で赤い光が明滅する。
 だがその短い希望の光はあまりにも弱くおれが背中から浴びた金曜日と言う光の影はそのまま日曜日を越えていく。
 昔は確かにあったはずの終わらない夜はどこかに置いてきてしまった。

 それがどこかはわからない。
 夜中の校庭か、操車場か、ファミリーレストランか、もう無くなってしまった家や公園のどこかかも知れない。
 それはもう取りに戻る事ができない夜で、もう二度と戻れない夜なんだと思う。

「もう夜は終ってしまうの?」
「いや、終わらせなければならないのだ」
「どうやって?」
「灯りを消す事によって、眠りによって、夜を越えなければならない」
 そんな会話がセックスだって?
 フロイト中毒のアタマ岩波文庫共が悦ぶところのレクリエーション、メディテーション、マスターベーションのミルフィーユ。
 勃起しろよ、射精までもってけ。
 勃起にすら健康が求められる。
「スクワットが足りないんじゃない?」
「足りてねぇのは金曜日だよ」
「それとも歳?」
「未成年だっけ?にはワカんないだろうな」


 金曜の夜から月曜日が見えてしまう老眼気味の神経は安い石鹸よりもすり減っている。
 終わらない夜を信じていた心はとっくに消えてなくなっていた。
 夜のトンネルを抜けた先にあるのは不自由な光に満ちた朝で、それは浪漫に溢れた雪国とは似ても似つかないものだ。
 もう金曜の夜は限界なのだ。
 もっと正確に言えば金曜日の夜を過ごす自分自身がもう限界なのだ。
 もう楽しくない。
 金曜日の夜が終わる事が怖い。
 月曜日に怯えながら過ごす金曜日の夜。
 もしも夜更かしをしてしまったら土曜日と日曜日を使って家事を済ませた上に体力を、サイクルを戻さなければならない。
 その他に何もできない。
 もう無理は出来ない。


 しかし。
 この金曜日は二度とない金曜日だ。
 不断の努力で勃起するしかない。
 勃起ができれば射精まではそう遠くない。
「ひとは夜更かしをやめた時に、
 そして消灯をした時に年老いていくのだと思います。
 このまま起きていればどうなるものか。
 危ぶむなかれ。
 危ぶめば夜は短し。
 起き続ければその一秒が終わらない夜となり、その一秒が終わらない夜となる。
 迷わず夜更かせ、更かせばわかるさ」

 おやすみ。

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