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カウンセリングだった(長文)

今日も今日とて目黒(品川区)まで行ってきた。

ここで話したかどうかは覚えていないが、今の先生のところにはもう10年以上通っている。平日はスクールカウンセラーをしているらしい先生は職業柄オタク知識も豊富で、大変話がスムーズである。

わたしやわたしの母についてもよく理解してくださり、今のところカウンセリングなしではまともに生きていけない。直接的に死に繋がるわけではないが、感情を濁らせて自傷行為に走る自分が目に見える。

まず今日は、最近珍しく母の話をした。彼女はその場しのぎをするために平気で嘘をつける人間である、という同意を既に得ている。
なぜ彼女の愛情(だと彼女が思っているもの)がわたしにさっぱり届かなかったのか。

それは彼女がわたしをまったく理解しようとしなかったからだ。

彼女は『とりあえず目の前の事態をクリアするために自己犠牲する』人間である。
たとえば保護者会でPTAの役員を選出する時、誰もやりたがらなければその場の雰囲気に合わせて立候補してしまう。自ら重荷を背負い込み、苦労する自分をネタに精神的自慰行為をする。

また、彼女は始終姑に気を遣って子供の感情をないがしろにしてきたのだが、わたしが成人してからそのことを糾弾したところ、「そんなことないわよ~ウフフ」などと言う。

この行動の理由を、先生はこう解きほぐしてくださった。
「お母さんは実際の姑との関係を思い出すこともなく、とりあえず北川さんの気持ちをなだめようとして適当に喋っている」

わたしは正直に姑を優先してきたことを認めて謝罪をして欲しかったのだが、母は『娘を愛している』と言えばわたしが満足すると勝手に定義して、何も考えず言葉を発している。

そうだ、彼女はそういう人だ。まともに理解を求めようとするだけ無駄だ。

しかしそのことを認めるのも悔しい。誰からもまともに理解されず、『わがまま』というラベルを貼られて傷つけられ続けていた子供のわたしが浮かばれない。

という塗炭の苦しみを乗り越えて、愛されなかった事実を受け止めて今後の自分の人生を生きなければならない。数年前からその訓練を始め、今ではだいぶ諦められるようになってきた。

今一次創作を楽しんでいるのは、なにも思い通りにならなかった人生を取り戻すための箱庭療法なのではないか。
実際世界の神となっているわたしの歪みやひずみが、『ファクト・エレクトロ』の世界には出ている。少しずつ複数のキャラクターを幸福にすることで、わたし自身も幸せになりたい。

現実的な話もした。
安定した就労のため、履歴書を書くとともに『自分トリセツ』的なものを作らなければならない。
わたしはExcelは難なく使えるが、『誰にでもできる』軽作業ができない。たとえば商品のピッキングでも、AとCのことを強く意識しすぎてBの存在を忘れて抜かす。
これはもうそういう脳の構造なので、意識して治るものではない。
しかし世の中(特に障害者界隈)では、軽作業はできるけどExcelを使えないという人の方が圧倒的に多い。

比較的高機能の自閉スペクトラム症(昔の定義での『アスペルガー』的傾向)のわたしは、ここでも理解されがたい。どうしてここまで理解されづらい人間なのか、と思うと絶望的になる。

せめて職場の職員さんにはわたしの凸凹ぶりを伝えなければならない。でないと、就労を支援してもらうにしてもとんちんかんなことになりかねない。
しかし、高機能自閉スペクトラム症の人間への対処経験が乏しいかもしれないと思うと、怯えが出る。
理解されないことで傷つくのはもういやだ。

次のカウンセリングは再来週の土曜日だ。なんとかそれまでに部屋の片づけを進め、履歴書と自分トリセツを作って先生にお見せすることを約束して、今日の診察は終わった。

来週は連休もあるので、なんとか懸案事項を進めたい。メギドのストーリーを進めるとか、FGOの種火を集めるとか、延々ツイッターのトレンドワードを追いかけるとか、そんなことに時間を浪費してはいけない。

そして追伸として、PS4を買うことをお伝えした。給付金がいつの間にか消えてなくなってしまう前に
形のあるものを買っておきたい、という欲求が働いたのだ。
「やり込まないような仕組みを作りましょう」
とのお言葉に、自制のシステム化を計ることを決めた。たとえば対馬には行かないとか、セールだからといって割引されたソフトを軽々とは買わないとか。

頑張れ、わたし。

いただいたサポートをガチャに費やすことはしません。自分の血肉にするよう約束いたします。