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多動のひどい発達障害者が2時間映画を見られるようになるまで

今日は早稲田松竹へ映画を見に行った。演目は名作映画『卒業』「クレイマー・クレイマー」である。


さて、繰り返しになるが、わたしは発達障害である。幼い頃から多動性を起こしまくってきた。たとえば以前映画ファンの彼氏がいたことがあったのだが、映画を見ていても明らかに落ち着きがない上、映画のキスシーンではキスを迫るようなことを行っていた。本当に浅はかで頭悪くて、わたしの数ある黒歴史(ネットミームの方)のひとつである。今からでもこのことを謝りたい…。

その後も途中で飽き、下手をすれば眠ってしまったような作品も何本かある。現在の経過時間がわからなくて落ち着かず、危うく時計を持ち込みそうになったりもした。

わたしがこのような問題行動を起こしていたのは、「自分のことを健常者だと思っていたから」でもある。わたしは普通なのだから、普通の人もそう考えているし、みな苦痛を感じているものだと思っていた。

成長と診断を重ねて、わたしの生きづらさの理由がわかった。

わたしはもともと強い多動性を持ち、2時間黙って座っていることができない。

己が発達障害であることを自覚し、その特性や欠点などを棚卸しした結果、わたしの集中性の欠点が浮き彫りになった瞬間だ。

しかしそれが明らかになった瞬間、映画を見るためのライフハック(死語)ができた。

以前物語を作る勉強をしていた。その際に、映画は客を飽きさせないよう起承転結でストーリーを組むという基本的なことを学んだ。つまり、映画の起承転結を読み解ければ、なんとなく今の地点を理解できる。また近年のエンタテインメント作品では、「これが最後の決戦だ!」などと観客に教えてくれるものもある。より親切だ。

また、『2時間座っていられない自分』を自覚することで、ただのダメ人間ではない、障害の特性なのだ、と自分を落ち着かせられるという利点ができる。
わたしは健常者ではない。
2時間座って映画を見ることができないのは、『わがまま』ではなく己の意思で制御できない障害があるからである。

実際、障害者認定を受けてから、映画を見ることが楽しくなった。たとえば映画の構成や描写で話の組み立てや省略で語らせる方法を学んだ。また、2時間おとなしく座っていたことを自分に褒めるようになった。作品世界へ没頭する回数は増え、より作品を理解するようになった。

やはり、己に合ったライフハックやノウハウを学び、脳の障害に阻まれていることをシステマティックに取り除くことはたいへんに重要である。たとえば発達障害のお子さんを持つお母さんたちにも役に立つ概念であろう。

できないことをむやみに叱る/怒るのではなく、己の子供を理解して、ともに最良の手段を模索することで、発達障害者は格段に生きやすくなることを、世の発達っ子持ちの親御さんにも知っていただきたい。

まぁわたしはご推察の通り、何らの気づきも配慮もされずにただ『わがままだ』と強い抑圧を受け続けて人格が歪んだんですけどね!!こんなクズがこれ以上量産されませんように!!!

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