大阪人のメンタリティは南インド、タミル人のそれに似ている。そして木村充揮さんの天王寺愛。
日本語も北と南でずいぶん趣きが違いますね。各種東北弁は朴訥な印象があるし、また北陸の言葉も純朴な味わいがある。北海道弁は語尾だけが田舎っぽくて味がある。東京弁は江戸っ子弁を捨ててNHKが人工的にこしらえた言葉ゆえ、感情が乗りにくい。名古屋精神は関東と関西の折衷的な印象ながら、みゃーみゃー言って愛らしい。京都弁はイケズで、そして大阪弁は無敵である。なるほど、広島弁、博多弁もめちゃめちゃマッチョで不敵だけれど、しかし、大阪弁の「建前なんて要らんねん。本音でいかな人のハートはつかめへんで」というすべてをワヤにしてしまう破壊力には敵わない。しかも、かの吉本興業が大阪弁ウイルスを全国に撒き散らし、日本全土の大阪化という腹黒い計画に着手しています。いったい大阪になにがあるでしょう?
いまや大阪道頓堀にはこんな横断幕がでかでかと貼られているそうな。
『川に落ちるなら、恋に落ちろ!』
『飴ちゃんはコミュニケーション』
『話にオチは絶対つけてや』
『頭と身体は使ってナンボ! 動いてナンボ!』
『人情の街やで〜人があったかいねん』
大阪、調子に乗ってますね。もしかしてこれ、大阪市役所・建設局道路河川部河川課のお仕事でしょ? いやはや、とうていお役人の仕事とはおもえません。もっとも、さいきんかれらは道頓堀の河川敷にスカしたボードウォークとか作っちゃって、がんばってらっしゃいますもんね。関係者の得意顔が目に浮かびます。しかし、こんなスローガンつきの横断幕見せられた日には、大阪人たちがタコ焼き喰いながら調子に乗って歩いていると突然ボードウォークの板が割れて、大阪人数名が川に落ちるんちゃうか、って心配になってしまいます。
とはいえ、これが大阪人のメンタリティであり、大阪ローカル・ルールですものね。もっとも、ぼくは近年の大阪を知らなくて、15年ほどまえの話ながら梅田駅周辺にはガールズバーの女の子たちが二百人あまり立ち並んで、ミニスカ姿で客引きをして、路上はタバコの吸い殻が敷き詰められていたもの。なに考えてんだ、この街は!?? と呆れたもの。もっとも、梅田駅前の食堂では朝からコップ酒を提供していて、それについてはぼくは好意的ではあるけれど。
そう言えば、谷崎潤一郎は大正14年に『阪神見聞録』の冒頭で書いています、「大阪人は電車の中で、平気で子供に小便をさせる人種である。(・・・)事実私はさう云う光景を二度も見ている。もっとも市内電車ではなく、二度とも阪急電車であったが、この阪急が大阪付近の電車のなかでは一番客種がいいと云うに至っては、さらに吃驚せざるを得ない。」
もちろん大阪人は怒るでしょう、いまさら大正時代の話を持ち出すちゅうのは卑怯やで。大正時代の東京者だって偉そうに抜かせるか? 東京者は汲み取り便所のうんこをわざわざ千葉まで運んで埋め立てしてたやんけ。そんで東京者は千葉県をうんこ県とか呼びよるやろ。(註:呼んでいません。)めちゃめちゃえげつないやんけ。阪急電車んなかでガキが二度ばかりしょんべんしたくらいのことで、目くじらたてんな、ボケ。綺麗なおねえちゃんに馬乗りされて欲情して、腋毛剃って興奮して、おねえちゃんが下痢すんのにハァハァしてろ! この変態文豪!
大阪人の心の奥底にはひそかに東京批判のマグマが潜み燃えたぎっています。かれらは呆れる、そもそも東京駅ってなんでまたあんな官僚的な街にあんねん? 東京を代表する駅やねんから、渋谷か新宿に作らなあかんやろ? 東京駅は歌舞伎町に移転せえちゅうねん!(註:なるほど、吉本興業東京本社は新宿ゴールデン街にあります。もっとも、東京駅があの場所にある理由は、旧江戸城たる皇居のおひざ元だからなのですが。)スカイツリー? なんやあれ、昼間は地味~にしてんのに、日が暮れたらキラキラに美女ぶりやがって、シャネルの服着たミナミのホステスかちゅうねん。しかも入場料がまた高い、大人平日3100円で休日3400円、ぼったくりやんか。通天閣の方がよっぽどチャーミングやで。大人千円やで。それでもまだ高いとおもうねんけどな。
いったいどういう街なんでしょう、大阪って。この歌では、憂歌団の木村充揮(きむら・あつき)さんが苦労人ならではの酒焼けした渋い喉で、アコースティック・ギターを爪弾きながら、天王寺愛を歌いあげておられます。バックのアコーディオンがまたセンチメンタルなメロディで泣かせにかかる。バックのストリングスがまた時給仕事でしらじらしい慰めにかかる。どなたのアレンジだか知らないけれど、アレンジャーも木村さんみたいにもっと苦労して、安酒飲んで毎日飲んで、朝から飲んで、十年続けて酒焼けしてからアレンジしていただきたい。と文句を言いながらも、実はぼくもまたこの歌が大好きだ。
大阪人は日本国憲法だろうが、聖書だろうが、コーランだろうがシェイクスピアだろうがカントだろうがヘーゲルだろうがすべて大阪弁に翻訳して読んでますからね。「天皇はな、ニッポン国の象徴で、わしらニッポン国民の心を結びつける象徴やねん。まず最初にわしらが主権を持ってるやんか。これ、重要やねん。ほんでな、天皇の地位は、わしらニッポン国民の総意に基いてんねん。」いやはや、ありがたみもなんにもありません。
大阪弁の破壊力、凄いですね~。たとえば「このチャウチャウは、チャウチャウじゃないんじゃないかな?」を大阪弁に変換してみましょう。「このチャウチャウ、チャウチャウちゃうんちゃう?」もはや日本語とはとうていおもえません。
しかし、おそらく大阪人の多くはおもっておられるでしょう、「ニッポン全体を大阪にしてもうたらええやん。めっちゃ素敵やん♡」しかし、言うまでもなく、大阪人以外にとっては空恐ろしいこと。ディストピアSFと言ってもいいでしょう。たとえば、粗品さんはおもしろいとはいえ、しかし、もしも大阪府がマイナンバーカードを管理し、しかもその活用が中国共産党が強権行使しているような徹底管理に発展したならば、おそらく「あいつはおもんない」評価が組み込まれかねません。おもろい? おもんない? 知るかそんなもん! なお、近年感染症の脅威が懸念されていますが、大阪人スピリットもまた感染症のひとつです。幸か不幸かワクチンはいまだ開発されていません。もしかしたらぼくもすでに感染しているかもしれへんねん。あ、あわわ、なんということでしょう、「しれへんねん」!?? ぼくはもう手遅れかもしれません。
大阪弁はジャマイカ英語をおもわせます。また、大阪人のメンタリティは、南インド、タミル人のメンタリティに似ています。タミルナード州はインドの大阪府で、チェンナイは大阪市です。映画俳優ラジニ・カーント主演作品を何本か観るだけでもそれを味わうことができます。吉本興業はタミルの映画製作会社と業務提携すべきでしょう。また、大阪府は上海電力にメガソーラ発注してる場合ちゃいまっせ。2025年4月の大阪万博もあかんたれちゃいまっか???
他方、東京のエリート・サラリーマンのメンタリティは西インド、ムンバイ人に似ています。
あ、それそろ話にオチつけなあかんねんな。話このまま終えたら、大阪人にドツかれて道頓堀に突き落とされてまうで。水深3.5メートルとはいえ舐めたらあかん。死んでもうたらどざえもんや。どざえもんよりドラえもんがええわ。どこでもドア開けば、そこはインドの大阪チェンナイやで。タイランドのチェンマイとどっちがええかな~。迷うわ。
thanks to 小林久さん(元スーパーやまと社長)