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フィンランドの人文系の若くウブな女と、ウォッカ臭いマッチョな鉱山労働者のロシア中年男、おたがい相手をエイリアンとしかおもえない剣呑な関係がしかしいつのまにか・・・。ーただいま上映中の映画『コンパートメント No.6』

ときまさにソヴィエト連邦がぶっ壊れた後の、あの1990年代初頭のロシア。それまで70年間、勤労人民全員が国家公務員みたいなものだった社会主義の国がいきなり、資本主義社会のなかに放り出された。しかも獲物にたかるハゲタカのような外国資本もどんどん入ってきて、ロシア社会は大混乱。そんな時代にフィンランド人の考古学専攻の若い女Laura(ラウラ)はモスクワの大学に留学中で、ロシア人の人文科学の女教授Irina(イリーナ)とレズビアン関係にある。パーティは天井が高く、たくさんの難しそうな本の並ぶお洒落な部屋でおこなわれていて。ソヴィエト連邦崩壊後であるにもかかわらず、人文系の学者官僚たちはどこ吹く風、いかにも知識人っぽい舌だけがよく回る無益で観念的な高等遊民的会話を楽しんでいます。若いLauraは(いかにもフィンランド人らしくイノセントで)恥ずかしがり屋で内向的でこのパーティでもいわゆる「壁の花」でありつつなお、かれらにあこがれのまなざしを注ぐ。Laura はIrina を愛しているから。もっとも映画の観客はうすうす勘づく、Irina はLauraの若い性をむさぼりながらも、実はそれほどにはLauraを愛してはいないのではないかしら。そもそもロシアとフィンランドは隣国とはいえ、しかし民族的にも言語的にも大きく隔たっていて、おたがい隣国に偏見がないわけがない。そしてLauraがそこに属したいと夢見ているロシアの学者たちのソサエティは、果たしてLauraを幸福にするだろうか?


IrinaとLauraはありえないほどドリーミーにも真冬だというのに一緒に北の地の果て北極海添いの港湾都市ムルマンスクの街へ、紀元前3千年紀にさかのぼるペトログリフを見に行く予定だった。ペトログリフとは謎の渦巻き模様の刻まれた古代の岩のことで、その地の海岸では引き潮のときにそれらがたくさん存在していることが確認できる。なんのためにそんな石ころが見たい? 自分たちの文化・文明のやって来たところを知り体験するために。(しかし、誰がどう考えたって、もしもどうしても行きたいならばムルマンスクは夏に行くべき場所である。)しかもIrinaに急遽仕事が入って、けっきょくやむなくLauraは1人で、心細さに耐えながらコンパーメント式の寝台特急でムルマンスクの街へ出発することになる、モスクワでの愛のおもいで映像のつまったヴィデオキャメラを持って。モスクワからムルマンスクの街までの距離は、(鹿児島から青森までほどで)ざっと2000km ほど。まずモスクワから ペテルブルグまでが寝台特急で十時間。ここで一泊。 その後ペテルブルグからどんどん北上しムルマンスクまでが25時間、途中下車1泊をとりながら。


さて、Lauraがモスクワの駅から寝台列車の6号客室に入ってみれば、乗り合わせたのはロシア人の鉱山労働者Ljoha(リョーハ)である。かれは危険極まりない過酷な労働環境で生き抜いて来たマッチョな40代の荒くれ者。ウォッカばかり飲み、煙草をひんぱんに吸い、ソーセージと黒パンとお茶を彼女にふるまいながらも、酒臭い息で「あんた売春はやんないのか?」とか言ってくる。Lauraにとってはフィンランドとて酔っ払い大国ながら、うんざりするには充分であり、こんな男と顔をつきあわせて旅をするなんてサイテーだ。他方Ljoha(リョーハ)はとんちんかんなロシア自慢をはじめる。「ロシアは偉大な国だ、ナチを倒した、月へも行った、あんたの国エストニアにはなにがある?」「違うわ、わたしはフィンランド人よ。」(フィンランド語とエストニア語は言語も近しく、両国の民族も共通しています。)なお、Ljoha(リョーハ)のお国自慢もまた世間知らずなものではあって、なるほどたしかにロシアは偉大な国であるにせよ、しかしソヴィエト連邦崩壊後の1990年代なお食料品を買うのさえも一時間も二時間も行列が必要で、しかも買えるものはライ麦パン、じゃがいも、タマネギ、ハム、ソーセージくらいのもの。テレビはモノクロ。クルマもおんぼろ。しかも民主化以降とめどなく物価が上がっていった時代である。他方、ロシアと比べればフィンランドは小国ながら、しかし経済的にはフィンランドの方がロシアよりもだんぜん稼いでいてハッピー&ラヴリーである。偉大なるロシア人たちがそれを知らないだけのこと。


Lauraはこの(どんな犯罪歴があっても不思議のない)荒くれ者に自分がレイプされるかもしれない危険を感じ、コンパートメントを変えたい。しかし彼女の希望はロシア人の女車掌にぶっきらぼうに拒否される。チップをちらつかせても無視される。やむなく彼女は恐怖に震えながらまるで囚人のようにコンパートメントに閉じ込められつづける。LauraはモスクワにあるIrinaのアパートに戻りたいとおもう。他方、Ljoha(リョーハ)にしても目の前の sweet innocent な若い娘に興味もあれば性的欲望をかきたてられもするものの、しかしこの真冬に北極海沿岸まで古代の石ころを見に行くなんて脳内がお花畑どころか気が狂っているとしかおもえない。そんなちぐはぐな二人をコンパートメントに閉じ込めたまま、列車は沈鬱な雪におおわれた大地を進んでゆき、霧深い駅で停車し、強風の吹雪のなかを走ってゆく。


ところが長い旅を続ける中で、コンパートメントに乗り込んできたある同乗者の人間性を疑うような出来事をきっかけに、Laura(ラウラ)は大いに傷つけられ、取り乱し、怒りと悲しみのなかで、気がついたときにはいつしかIrinaおよびモスクワの大学のインテリたちのソサエティへの執着がなくなっていることに気づく。そのとき彼女はむしろ荒くれ者の中年男 Ljoha(リョーハ)のなかにある心の優しさ、魂の善性に気づく。そしてふたりは・・・。




いまにしておもえば1985年からはじまったペレストロイカは、ソヴィエト連邦崩壊のプロローグであり、同時にロシアの二十世紀末におけるしっちゃかめっちゃかなどんちゃん騒ぎのはじまりでもあった。かれらにとってペレストロイカは、言論の自由が許され収容所に送られる恐怖はなくなったものの、しかし他方で経済効果ははかばかしく上がらず、未来への希望を感じられない沈鬱をもたらした。そんな気が滅入るモスクワの街に、ロックンロールが、パンクが、ヒップホップが流れはじめ、若者たちはスケボーに熱中し、人民はマクドナルド一号店に行列をつくった(行列には慣れっこだった)。すでに1980年代後半ロシアは経済的にも文化的にもきわめて混乱していた。しかし、まさか国家が消滅するとまでは誰もおもわなかった。ところが、消滅の日はおとずれた、1991年のクリスマス、モスクワのクレムリンから鎌とハンマーの赤い旗が消えた。解放政策をとなえたゴルバチョフ大統領は辞任し、七十年間の歴史を誇るソヴィエト連邦は消滅した。むろんかれらは、それまでの価値観のすべてを否定し、資本主義を受け入れるほかなかった。七十年にわたる歴史はなんだったんだろう、とロシア人が疑問を感じないわけがない。そんな時代だった。



なお、この映画はノスタルジーとして1990年代を描いているわけではない。実は2014年、ロシアがクリミア半島を占領してからというもの、西側諸国はロシアに経済制裁をかけていて、しかもシェール革命以降、原油価格も下がっていて近年のロシア経済は困窮していて、ソヴィエト連邦崩壊後と似ているのだ。



この映画『コンパートメント No.6』は2021年制作。これは両国の男女の友情~恋愛を描いた奇跡的な映画であって、いまはもう政治的な理由によってけっしてこういう映画を撮ることはできないでしょう。なぜなら〈ロシアは世界中の敵〉というイデオロギーがすっかり浸透してしまって、他の意見を許さなくなっているから。早稲田松竹で5月26日(金)まで上映中。併映は、同監督による陰気で憂鬱なボクシング&恋愛フィンランド映画『オリ・マキの人生で最も幸せな日』 http://wasedashochiku.co.jp/


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