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映画『PERFECT DAYS』はズボラなぼくに、便所掃除をする気を起こさせてくれた感謝すべき映画ではあるけれど。だが、しかし・・・。

グローバル資本主義から降りた、しょぼくれて地味な人生にこそ幸福が宿りうる。そんな世界観について(多少の共感を持ちつつも、相応の疑いをも込めて)の考察です。


あのヴィム・ヴェンダース監督、映画『PERFECT DAYS』は、役所広司(68歳)演じるところの、夜に輝くスカイツリーのそばにある、墨田区押上の木造モルタル棟割りアパートに住む、心優しく知的で寡黙な公共トイレ清掃員の、極端なまでにミニマリスティックで形式化された、貧乏ながらも毅然と美的な、まるで禅僧のような生活を描く。役所広司演じる主人公は、きわめて寡黙で、ほとんどなにもしゃべらない。かれは必要なものしか所有しない。かれはダイハツの青いハイゼットカーゴに乗って、早朝から東京のさまざまな公共便所を巡回し、ひじょうに丁寧に清掃作業をこなしてゆく。なお、この主人公のトイレ掃除がいかに徹底して誠実であるかを、映画はひじょうに具体的にリアリスティックに表現しています。役所広司はそんな主人公を見事に体現しておられます。



また、かれは徹底したアナログ派で、携帯電話こそ使うものの、テレビもパソコンも持っていない。かれが大好きで若い頃から慈しんできたアメリカン・クラシック・ロックを聴くのはカセットテープである。ルー・リード、アニマルズ、パティ・スミスなどの名曲がかれの心に生きています。かれはネットに関与せず、古本屋で文庫本を買い、読書にいそしむ。モノクロフィルムを装填したオリンパスのコンパクトカメラで木漏れ日に輝く樹木を撮影し、現像されプリントされた写真は、ベストショットを残し、他は破り捨て、(その年撮影分ごとに)ブリキ缶に収めてゆく。押し入れのなかはブリキ缶が並んでいる。かれの人生とともにあるものは(たとえば神社で黙認されつついただいた植物の挿し木を植木鉢に植え)育てること。長年愛して続けているアメリカンロックをカセットテープで聴くこと。開店そうそうの銭湯へ行くこと。浅草駅地下街の居酒屋でホッピーを飲むこと。かれを歓迎する美人のママがいるスナックへ行くこと。役所広司演じる主人公は貧しく孤独ながら、それでもかれを慕い愛する他者をたくさん持って、かれはつましくも幸福なアナログでミニマルな人生を生きている。



なお、かれが便所掃除を手掛けるのは、やたらとお洒落でいまっぽいクールなデザイナー・トイレばかりである。その理由は、(ユニクロ柳井正氏のご子息で)ファーストリテイリング取締役である柳井康治が手がけた渋谷区の公共プロジェクト「THE TOKYO TOILET」のキャンペーンとこの映画が関係しているからである。なお、この映画への出資もユニクロで、登場人物は全員ユニクロの服を着ています。この映画は『TOKYO POP』『ロスト・イン・トランスレーション』などの、外国人が見た不思議世界東京案内映画にもなっています。



ぼくはこの映画を観て、好悪相反する感情がともに湧きあがってきて、とても困った。まず最初に疑問が群がり生まれる。たとえば、役所広司演じるところの主人公は、なぜ、公衆便所掃除人生を貧乏に生きながら、しかし(かれの世間を見る目が卑屈になることもなく、また自意識が歪むこともなく、ましてや反社会的どす黒いパッションを育てることもなく、かといって社会を変える運動に精を出す気もなくデモに参加するわけでもなく、むしろかれはとっくに壊れてしまった社会に自然と溶け込み、それどころか身近な他人たちに慕われさえして)、超然と小幸福を味わいながら暮らしていられるかしらん? なんて強靭な精神力だろう。いくらかれがもともとカネ持ちのお坊ちゃんで、書物にしたしみ良い本を選ぶ審美眼を持ち、ロックを愛することができる程度にはゆたかな家庭で育っただろうにせよ。なお、かれはある時期に、父親と激しく反目し家族と縁を切ってこの人生を選んだことが、かれの妹(おかかえ運転手が運転するレクサスに乗ってかれのもとへ現れた)の言葉によって明かされます。



この映画のなかで、役所広司演じる主人公はまるで聖人のようだ。歴史的人物としてのイエス・キリストや、お釈迦さまをさえ連想してしまう。なるほど、この現代、公衆便所掃除員のなかに聖人がいる、そんなファンタジーはとっても素敵ではある。けれども、いったいぼくら観客はこの映画をどう観たらいいのか、わからない。いったい誰が、公衆便所掃除員になって役所広司みたいな小幸福な人生を生きられるだろう?



また、こんなこともおもう。ユニクロは狂暴なグローバル資本主義の最前線で、安価でひかえめにお洒落な衣服を作って売って、世界中のたくさんの人々の支持を集めていて。ときに批判も浴びながらのその闘いがいかに過酷であるか、それはユニクロ上層部の人にしかわかりえないことでしょう。(なお、ユニクロの社員は半数強で、残りはパート~アルバイト。しかも、ユニクロには労働組合もありません。)それでもユニクロの願いは、自分たちは資本主義の汚濁にまみれて生きるしかないけれど、しかし、せめてときにはそんな自分たちもまた聖なるものに包まれたい、という切実なものなのではないかしら。なお、「THE TOKYO TOILET」は立派な社会貢献だとおもう。もともと東京オリンピックに合わせて企画されたプロジェクトだったそうな。



もしもこの映画の監督がヴィム・ヴェンダースでなく、あの『ピンク・フラミンゴ』で有名になったジョン・ウォータースで、しかも主役が役所広司さんでなく、笑福亭鶴瓶さん、あるいはタモリさん、はたまた所ジョージさん、挙句の果てに高田純次さんであったならば、いったいどんな映画になったかしらん?



そんなことを考えながら、ぼくは(掃除嫌いだったにもかかわらず)泡ハイターを使い、ゴム手袋でスポンジを持ち、長年のズボラによって汚れきった便器の掃除にいそしんでいる。ついでにユニクロの下着エアリズムも洗濯した。『PERFECT DAYS』の功徳とは言えましょう。



なお、ファッション・ブランドが映画に出資することはトレンドになりつつあるのかもしれません。たとえばサンローランは2023年に映象制作の子会社を作り、今年2024年にはカンヌ映画祭で3作品が選ばれています。そのうちの一本にクローネンバーグ監督の『Shrouds (シュラウド)』が含まれています。なお、この映画は人びとが死者とつながるための画期的装置を作るという話らしい。サンローランの世界と直接関係ないところも興味深い。いまやブランドイメージを高く維持する戦略も高度になったものです。

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