芸術解説:キュビズム(立方体主義)って、どこをどうおもしろがればいいの?

え、キュビズム? キュービズム? 立方体主義? ぼくだっていちおう(その言葉くらいは)知ってはいましたよ。だって、中学校の美術の教科書に載っていたからね。でも、ぼくがあれをおもしろいとおもったことはなかった。どこがおもしろいのかわからなかったから。当時ぼくにとって身近な美術はもっぱらマンガで、ぼくには好きな画家さえもいなかった。キュビズムのおもしろさなんてわかるわけがない。そもそも当時コドモだった頃のぼくは(キュビズムの歴史的前提になる)印象派が登場した歴史的文脈さえも知らなかった。前提になっている公認の美術史を知らなかったぼくが、キュビズムをおもしろがれるわけがない。一般に、学校の教科書って(先生が授業で解説する余地を残してあるゆえ、たいてい)説明不足ですからね。



なお、いまのぼくは理解している。印象派が登場したことは、フランスが普仏戦争に大敗したことと結びついていて。(青年パンク詩人のランボーが発狂せんばかりに絶叫しましたね。)普仏戦争敗戦後フランスは第三共和政の時代になって。長らく意気消沈し、ふさぎこんでいたフランス人もしかし、「鋼鉄の女王」エッフェル塔を建てる頃には自信を取り戻し、王様に支配される時代ではなく、市民が主役の時代を作っていることに誇りを持つようになった。これによって、たとえばルノワールが描く、そのへんの名もないお嬢さんがピアノを弾いている、ただそれだけの絵が愛されるようになる。



美術史とはおもしろいもの。モネが描いた、夕陽を浴びる積み藁。なんであんなものが名画になるの??? それは当時貧しく、最初の妻を亡くし、哀しみのなかで外をうろつき、ただひたすらふさぎ込んで絵を描き続けていたモネが、積藁をきっかけにそれからというもの、光の現象を追求し続けてゆく、そのきっかけになったからであって。(それまでの絵画は、たとえばレンブラントに顕著なように、光はモデルである人物に劇的な効果を与えるための演出であって、けっして光を現象としてとらえる認識はなかった。光を刻々と変化する現象としてとらえるようになるのは、モネが最初の人なわけ。)つまり、モネは写真技術の黎明期に、絵画の可能性を独自に追求した。



テクノロジーの発展にも目を向けてみましょう。19世紀前半、自転車が登場し、蒸気機関車さえも誕生。撮影者が暗幕をかぶってレリーズでシャッターを押す8×10のモノクロームの大判写真がニューメディアになる。なお、当時の大判カメラはモノクロでしかも露光時間がなんと数分と長いゆえ、とうていモネの油絵の表現には敵いません。(とはいえ、カメラの登場に、あわやおれたちは飯の喰いあげか、とたじろいだ画家もいるでしょう。写真に興味を持った画家もいるでしょう。もちろんカメラなんかに負けないぞ、と野心をかきたてられた画家もまた。)そのうえ世紀末には一方でまだフィルムも誕生していないというのにアニメーションが試みられもすれば、他方でリュミエール兄弟がサイレント映画を発明もした。絵が、写真が、動くじゃないか! (画家がうろたえないわけがありません。)しかも、1903年ライト兄弟は飛行機で空を翔けた。神をも恐れぬ機械? いいえ、人智の勝利と言えましょう。こうして機械が眩しく、運動が新時代の象徴となってゆきます。(キュビズムにやや遅れてイタリアで隆盛した未来派が運動を主題にしたこともいかにも同時代的です。)なお、ヨーロッパはまだ第一次世界大戦の、戦車と大砲と砲弾の地獄を体験していません。キュビズム(立方体主義?)は、 そんな1907–08 年の芸術運動であって。あっというまに広まったものの、ただし最盛期は意外と短い。それでもあの時期何百人もの画家たちがあの運動に夢中になった。電話もなく、パソコンもインターネットもない時代に、たくさんの画家たちが同じ課題に夢中になった。ここがおもしろい。


さて、あの連中はなにを試み、どこに情熱を捧げているでしょう? お答えしましょう。そこにはそもそもヒトが世界を見ることはなにか? そういう本質的な問いかけがあります。静止画像と言えども、ヒトが絵を見るときには少なくとも数秒をかける。目は画面を眺めまわし、ときには立ち止まって、味わいもすれば考えこむこともある。また、そもそもキャンバスって長方形でしょ。つまり、絵画って四角い平面の上に線や色を使って、なにをどう表現するかっていうゲームです。画家は誰だってキャンバスに垂直線/水平線、および対角線を意識して、なにかを描き、画面を構成する。人物、風景、戦争、果物籠、パン、ワイン・・・。物にはすべて形がある。形は事物が備えているものであると同時に、ヒトが認識するものでもある。たとえば窓は四角い。テーブルの上辺も四角い。ただし、カーテンやテーブルクロスが波打つとき生まれる襞はまた別の柔らかく動きのある形を作る。はたまたギターやマンドリンの形は曲線(=曲面)に細長い指板がくっついている。女性の体もまた複数の曲面をそなえている。キュビズムに魅了されが画家たちがギターや女性の体に関心を寄せたのは、キャンバス上の水平線/垂直線および対角線に、曲線を干渉させることに重宝だからであって。つまりかれらは現実を素材に、キャンバスの上で抽象化のゲームを追求し、楽しんでいる。そこで画家たちは具体的な形と質量を持つ対象を組み合わせ、徹底的に抽象化(立方体化?)しつつも、かろうじてかすかに(あるいはほどほどに)具体性を残す。キュビズムとは抽象画の夜明けであり、具象絵画から抽象絵画への移行期であって。そこには移行期ならではの不安定で多方向的な芸術運動の魅力がある。(関連事項としては、ロシア革命とともに芸術の革命をとなえたロシア構成主義における抽象化への意志もまた、いかにも同時代的な実験と言えるでしょう。)



いいえ、キュビズムに話題を戻しましょう。ヒトの網膜とは不思議なもので、キャンバスという同一平面上に描かれているにもかかわらず、明るい色は「前に出て」見えるし、暗い色は「後ろに奥まって」見える。そんな網膜による知覚の癖を意識した色彩効果も存分に活用する。(なお、この主題はその後モンドリアン~ロスコへ至る。)


つまり絵画を制作するにあたってキュビズムの画家たちは、〈絵画という静止画像を用いて、目が対象をいろんな角度から眺め、目で対象を撫でまわし、立体だらけのこの現実世界を感受する、その体験を表現し、鑑賞者に追体験を促し、見ることの不思議を味わってもらう、そんな表現の可能性〉を追求したのだ。



このムーヴメントのトレンドセッターはピカソなの? いいえ、ぼくの憶測では、ブラックじゃないかな。ただし、この(短い)時期、ふたりの作品は果たしてピカソが描いたのかブラックが描いたのか見分けがつかない。


ただいま(そして2024年1月28日まで)上野西洋美術館で『パリ、ポンピドー・センター キュビズム展、美の革命』、開催中です。



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