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これからぼくは幽霊の書いた本を読んでゆく。(ポール・オースターが死んだ。)

2024年4月30日、ポール・オースターは死んだ。2年まえに肺癌にかかって最終的にはなにかの合併症を引き起こして命を落とした。かれはブルックリンのご自宅で家族に見守られながら息をひきとったそうな。享年77歳。



日本で『幽霊たち』たちが刊行されたのは1980年代の後半だった。ミステリ小説の形式を取った哲学的思弁小説のおもむきがあった。なお、主人公全員が色の名で呼ばれているがゆえ、おのずとこの小説は抽象画のような印象を残す。ぼくはおもった、ずるいな、こんな知略をもってミステリ小説を形而上学化するなんて! かれは「マンハッタンのカフカ」と呼ばれた。そんなことだけをぼくは覚えていて、しかし、かんじんのストーリーをなんにも覚えていない。ウィキペディアにあたってみると、たいへん上手にまとまている。



主人公は私立探偵のブルー。ブルーはホワイトという男から依頼を受ける、ブラックという男を監視し、次の指示があるまで週1回報告書を自分に送り続けるように。そこでブルーは、ホワイトが借りたブラック宅の真向かいにあるアパートの一室に住み込み、双眼鏡で監視を始める。しかし、ブラックは読書をしたり書き物をしたりするだけで、事件らしい事件は起こらない。ホワイトの指示も一向に来ない。婚約者オレンジにもずっと連絡できないまま、なにも起こらない時間ばかりが過ぎてゆく。やがて、ブルーがブラックの監視を始めて1年が過ぎた頃、ブルーは考える、「ブラックの正体は実はホワイトで、見張られているのはむしろ自分なのではないか?」 そんなブルーはついに決心し、ブラックの部屋に潜り込む。そして、そこでブルーが発見した物とは・・・。


なるほどオースターの『幽霊たち』はそんな物語だったのか。ぼくは一度読んだはずなのに、しかしすっかり忘れていたよ。いかにもフランス文学に傾倒したニューヨークのアメリカ人が書きそうな小説だ。とはいえ、きょうびこういうスタイルで専業作家として生きてゆくのはたいへんだろうなぁ、と当時ぼくは心配もしたものだ。実際オースターの文章には切実な貧乏暮らしの描写が多い。苦労したんだなぁ、とおもう。もっともかれはアメリカの超有名作家で、貧乏暮らしは過去のエピソードなのだろうにしても。



なお、オースターの最初の奥様はリディア・ディヴイスで彼女もまた作家で、ちっとも小説っぽくない知的な寓話短篇を書く。岸本左知子さんの名訳で、白水社U ブックスで読むことができる。ぼくはリディア・デイヴィスの唯一無二の個性的世界もまた大好きだ。



オースターには20冊を越える作品が、しかもほとんど柴田元幸さんの名訳で読むことができる。ぼくの本棚にもまだ読んでいないオースターの本が何冊もある。これから少しづつ読んでゆきたい。オースターは死んでしまった。ぼくはこれから幽霊の書いた本を読んでゆくことになる。



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