見出し画像

Björkは『ミツバチのささやき』で6歳のアナが体験した恐怖の一夜を、音楽で表現する。

スペイン映画『ミツバチのささやき』(1975年)は、6歳の少女アナが恐怖の体験を乗り越えて、自分自身を獲得してゆく成長物語です。具体的には、アナは姉のイザベラと一緒に映画『フランケンシュタイン』を観た。それはふたりにとってエキサイティングな体験だった。ただし、アナは6歳、映画と現実の区別がまだない。アナは映画のなかの少女がなぜ殺されたのかわからない。怪物が殺された理由さえもまた。そこでアナは姉のイザベルに訊ねる、どうしてあの少女は殺されたの?」イザベルはさんざんアナをじらしたあげく、幼いアナをからかって言う、「映画のなかで起こることはぜんぶ嘘なの。実はね、ほんとはふたりとも生きてんの。そしてね、怪物のなかには精霊が住んでるの。しかも、ほんとは怪物は死んでないの。だって、わたしはこの村のはずれで、怪物を見たんだもん。でもね、みんなは怪物を見てないの。怪物は夜にしか出歩かないから。」あどけないアナはその(たちが悪く邪悪な)嘘をまんまと信じてしまう。


この映画についてもっと知りたい人は、ぼくのレヴューを読んでください。


映画『ミツバチのささやき』にはファンが多い。いろんな人がさまざまな言葉で、この映画の魅力について語る。しかし、ぼくはこれまでこんなに衝撃的な表現に触れたことがなかった。アイスランド人でレイキャビク生まれの、あのBjörk(ビョーク)が、彼女の活動の最初期のバンドKUKLのアルバム Eye(1984年)のなかの一曲で、アナが過ごした恐怖の一夜について歌っています。なお、バンド名のKUKLはアイスランド語で〈魔術〉だそうな。





中世の舞曲を使ったイントロが、やがて不気味なロックサウンドにかわり、童顔で当時19歳のBjörkは歌い、叫ぶ、まるでアナの化身のように。しかも、Björkは6歳の少女アナが、夜の森のなか湖のほとりで、映画『フランケンシュタイン』の怪物と遭遇したあの恐ろしい一夜を、さらにいっそう踏み込んで表現しています。Björkが受け取り表現するところの、あの一夜は、いったいどんなものだったでしょう? 歌詞を抜粋しましょう。



この曲はアナが闇のなかで聞く、男の不気味なささやきではじまります。
「So nice. So nice. 素敵だね。とっても素敵だ。」


On the other side of a big river
Monster hidden behind a tree
Anna knew...


大きな川の向こう岸に、
木の陰に怪物が隠れている。
アナはそれを知っていた。

Anna doesn't see never the less
So nice hands
Come to me
Me touch you
No no what
So nice hands
With me


「素敵だね。とっても素敵だ。」
(これは怪物の声です。)
アナはけっして見ない。
(怪物はアナにささやきかける、不気味な声で。)
「とっても素敵な手。
わたしのところへおいで。
わたしはあなたを触る。」


I am it

Sense, touch
Not for the first time
No no what
Tie
So nice hands
Not touch that
The neck


(怪物はささやく、)「わたしはそれだよ。」
(「それ」とは精霊のこと。)
(怪物はささやく。)
「感じるんだ。触ってごらん。
はじめてじゃない。
はじめてじゃないんだ。」

アナは叫ぶ、
触れないで、
首には。



Anna, I am it
Move, move, move
No not longer what
On the other side o a big river
Lies her own body
Anna, sinking
Anna is not here, sinking deeper


「アナ。わたしはそれだよ。
動いて。動いてごらん。動くんだ。」

もはやなにもかもがわからない。
大きな川の向こう側に
彼女の体が横たわっている。
アナ。沈んでゆく。
アナはここにはいない。
沈んでゆく、深く。




なんて恐ろしいオペラでしょう。Björkの絶叫がめっちゃ怖ッ。もちろんBjörkは知っています、怪物が悪霊であることを。しかし、アナはそれを知らない。それどころかアナは怪物が精霊だと信じている。夜の闇のなか湖のほとりで、怪物はアナに関係を迫る。アナにとってそれは精霊との交流であるはずなのに、しかし、じっさいにはそれは悪魔にレイプされる恐怖の体験だった。挙句の果てにアナもまた怪物によって湖のなかに投げ込まれ、泉のなかに深く沈んでゆく。Björkは、そう解釈し、この歌でアナの底なしの恐怖を表現した。Björkの感じすぎなほどに鋭敏な感受性と並外れた表現力が、「わたしたち」に恐怖を感染させます。ぼくはおもう、めっちゃ怖ッ。怖すぎます。ただし、Björkが慧眼にも見抜いたとおり、たしかにそれは映画『ミツバチのささやき』が暗示していることなんだ。もっとも、このシーンはあくまでもアナの幻想として描かれていて、これに続くシーンでは、アナがこの恐怖の夜を乗り越えることによって、生まれ変わり、神の意志に心をゆだねる強い人に生まれ変わることが暗示されています。



special thanks to 湘南の宇宙さん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?