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逃げろ、精神分析医タマミがあなたを狙ってる!

呪いの館には行っちゃいけねぇ。
それでも行くと言うのなら、
おれを振り切り行くのなら、
呪いの顔に気をつけて、
いますぐきみを狙ってる。
タマミ、タマミ、タマミ。
いくら頭が良くたって、
かわいくたって、
キノコ人間じゃねぇ・・・。



凄い歌ですね~。大槻ケンヂさんの空前絶後の才能全開、筋肉少女帯黄金時代の不滅の輝きが放たれています。もしかして「呪いの館」とは精神分析医の診療室のことで、そしてタマミとは週刊文春そのほかで活躍なさっている、自称ラカン派精神分析医、片田珠美さん(b.1961‐)のことかしらん!?? 



自称ラカン派精神分析医、
片田珠美さん。


精神分析医タマミは石丸伸二を分析し、こう叫ぶ。「石丸氏は無自覚型のナルシシスト、発信機はあるが受信機がない。自分の優秀さをアピールする発信ばかりに気をとられ、自分の発言を相手がどう受けとめ、どう感じているかに想像力が及ばない。他人の反応に傷つかない。傲慢で攻撃的。自己陶酔。注目の的でありたい。自分の他人の気持ちを傷つけることに鈍感。自分の無謬性に疑いを持たない。石丸氏は拒絶過敏性を持った、高学歴モンスターだ。



すごいですね~。読者のぼくは、石丸氏理解にあたってなるほどなるほどとうなずける部分もあるとはいえ、しかし、小池百合子にだってまんま言えるやん。リャンファン(蓮舫)さんにもまた。3人の精神は同型ですか? そんな分析、分析と呼ぶに値しません。ただの誹謗中傷です。分析医タマミのこんなにも言いたい放題で根拠なく野放図な誹謗中傷発言が『週刊文春』誌上そのほかで公然と許されていることにぼくは呆れる。自称分析医タマミはけっして石丸氏との診療セッションを数年間重ねたわけでもなく、ただマスコミ報道を見た自分の印象を好き放題語っているだけ。なんの資格で!?? それは彼女が阪大医学部卒で、パリ大学でラカン没後にラカン派精神分析をその入口だけ少しだけ齧った精神科医だからですよ。タマミだって高学歴サンスター、あ、まちがえた、高学歴モンスターやん。いったい彼女の自称知性のどこが高学歴なのかは謎ですが。



なお、彼女は臨床経験も一応あるとはいえ、短期間に過ぎない。精神分析医はさまざまな患者(クライアント)との臨床経験(生きていて変化してゆくクライアントと、自分もまた変化する存在としての分析医の、相互主体的な言葉の交流、ときには転移や逆転移にも巻き込まれつつの交流)を重ねるなかで、人は精神分析医に「なってゆく」もの。本さえ読めば、分析医になれるわけではありません。そもそもタマミはよくぞここまでラカンを幼稚に読めるもの。なかなかこんなにも頭が悪く、かつまた図々しく、しかも他責に情熱を捧げる人はいません。タマミの肩書はともあれ、しかし日本精神分析的精神医学界は、こんな言いたい放題な分析医を野放しにしていていいかしらん? なお、タマミの大衆向けのヒット作は『他人を攻撃せずにはいられない人』(PHP新書 2014年刊)である。それってタマミ、あんた自身のことやん! 



なお、タマミのその他の人気著書は以下のとおり。『職場を腐らせる人たち』、『自己正当化という病 』、『「自分が正義」の人に振り回されない方法』、『プライドが高くて迷惑な人』、『他人をコントロールせずにはいられない人』、『子供を攻撃せずにはいられない親』、『他人の意見を聞かない人』、『他人の支配から逃げられない人 』、『他人の不幸を願う人』、『許せないという病』、『無差別殺人の精神分析』、『一億総ガキ社会、「成熟拒否」という病』、『自己愛モンスター』、『いつまで「いい人」を続けるの?』・・・。彼女の著作は、読者がタイトルを読んだだけで内容がほぼすべてわかってしまうという超物理学的現象を読者にもたらします。あるいはそれは自称ラカン派精神分析とタマミのハンド・パワーの融合がもたらすサイキック・パワーかもしれません???


タマミの眼球は、
なにかの力によって激しく吸引されながらも、
しかし、辛うじて彼女の顔面に留まっています。

一般に遺伝因子と環境因子による
甲状腺ホルモン異常が疑われますが、
しかし、あるいはタマミの場合は、
正邪蠢く精神世界を注視し続けるなか、
聖なる力(理性)と
それを阻止せんとする悪魔的な力、
そのふたつの力の拮抗によって
激しい緊張状態を呈している怖れがあります。
ある日突然タマミの眼球がタマミの顔面を離脱し、目玉おやじとなって
鬼太郎の頭髪のなかに棲みはじめる可能性を、
誰も否定できません。


そもそも脳科学は意識がどういうものかについていまだ定説を持ちえていない。にもかかわらず、精神分析学派はフロイト以降、暫定的な仮説を数多く出して来た。たとえ定説がなくとも、科学的な根拠が未確定でも、目の前に患者が存在していればなんとかしてあげたいとおもうのは人情である。社会からの要請もある。また、ジャック・ラカンは「フロイトへ帰れ」をスローガンに、フロイトがばらばらに考察した症例と分析に、独自の統一理論を与えた。しかもラカンは自己の神秘化に長けたグルだった。ただし、ラカンであろうが誰であろうが、まともな分析医はみんな注意深く、用心深いもの。けっしてセッションを重ねてもいないどころか、そもそもじぶんのクライアントでもない人のことを、ああだこうだ印象だけで勝手に分析したりなどしないもの。タマミは精神分析学会から破門されて良い。もっとも、そもそも彼女は入会していない可能性が高いけれど。



また、タマミ自身が気の毒でもあって。なぜって、マスコミは自分たちが言って欲しいこと、それを言ってくれさえすれば儲かることを言ってくれる識者をいつも探しています。儲かるうちはちやほやし、その人が社会から飽きられれば、次の人を探すだけのこと。その人がしあわせになろうが不幸になろうが、マスコミは知ったことではありません。



そもそも学問は、自分が不思議におもう事柄を解き明かしてゆくもの。まず最初に学問は自分のためにおこなうもの。結果的に、その探求が万人に役立つことを願いながら。むしろタマミはまず最初に自分自身を分析対象にすべきでしょう。伝え聞くところによると、広島の片田舎育ちのタマミはフランス文学を研究したかったのに、しかし、母親の猛反対に会う。「かばち! フランス文学なんてやめんさい!!! 医学にしんさい!!!」こうして母親に傷つけられ、さんざはぶてながらも医学部に進学したタマミにとって、ラカン派精神分析は自分自身の精神形成を知るきっかけになりもしたでしょうし、またラカン派精神分析は文学の香りをまといさぞや魅惑的に見えたことでしょう。なお、ラカンは超エリート社会フランスに護られた人でもありました。しかし、それはそれ、これはこれです。気をつけろ、ラカンは時に読者をキノコ人間にしてしまいかねない。とくに生半可に読んだ気になってしまった読者を。


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