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え? イエス・キリストって、フーテンの寅さんみたいな人だったの!??

話題はざっと以下のとおりです。日本人が好奇心旺盛であること。日本人の人の良さ。異国の文化の和風化。キリスト教。聖書のとっつきにくさ。史的イエス。フーテンの寅さん。一神教における愛と戦闘性。え、なにがなんだかわからないって? では、順を追って。


ぼくら日本人っておもしろいですよね。海外文化に好奇心旺盛で、たとえば逗子のマダムがフラダンスを踊り、浅草ではブラジル女性に混じって日本人のお姉ちゃんが臍見せて腰振ってサンバを踊る。また、往々にして日本人は海外文化を和風化する。コートレットからカツ丼が生れ、ビーフストロガノフが牛丼に生まれ変わる。建築にしても、たとえば神保町のすずらん通りや清澄白河には、大正時代に流行したいわゆる看板建築(木造建築をファサードだけ西洋風に見せかけたもの)が残っていて、左官屋が工夫を凝らした偽洋風が楽しい。時には左官屋ががんばってエンタシスまでこしらえちゃったりする。これが日本人ですよ。素敵でしょ。ねぇ。日本人の遊び心あふれるスピリットって江戸由来じゃないかしらんとおもうけれど、果たしてどうでしょう?


さて、話は聖書です。欧米の映画を観たり、小説を読んだりすると、ぼくのような非クリスチャンであっても、あ、背景にキリスト教があるんだろうな、って勘づくことがある。たとえば、映画で言えばフェデリコ・フェリーニ監督の『道』、ヴィクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』、小説だったらたとえばサン・テクジュベリの『星の王子さま』、サリンジャーの『フラニーとズーイ』、ましてや田中小実昌さんの『アメン父』にいたっては、著者のおとうさんは神父であり、クリスチャンである父親の迷いと苦しみ、にもかかわらずの気の軽さについて、おとうさんの謎について(愛情深い)謎解きのように描いておられます。こういう例は挙げてゆけばきりがありません。


こうなると大酒飲みでだらしのないぼくも、聖書を読んでみたくなる。ところがこれがまた旧約と新約をセットで読もうとすると2000ページもある。旧約はいわばユダヤ人にとっての創生神話とその後の話であって、日本で言えば『古事記』や『日本書紀』にあたるもの。(どれもこれも超読みにくいですね~。)それに対して、新約はイエスを主人公にしていて、いまは亡きイエスを、イエスの信者さんたちマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネがおのおのべつべつにイエスのことを語るという立体構成。ちょっとハリウッド映画さながらではあるのだけれど。



ところがそんな新約であってなお、読みはじめてみると、はなからイエスが眩しいばかりの聖人として描かれていて、人としてのリアリティがまったくない。しかもイエスについての描写が日本語訳ではすべて敬語になっていて、そのうえイエスの言葉は命令形がやけに多い。英語と違って、日本語には命令表現ってなじまないでしょ。また、4人の使徒たちの口調がすべて同じってところもつまらない。もしもぼくが訳者だったなら、江戸っ子弁、関西弁、博多弁、山形弁に訳し分けるのに。そんなこんなで、けっきょく読むのがめんどくさくなって、ぼくは聖書を閉じてしまう。そして時が経ってまた開く。やっぱりまた・・・。その繰り返し。



聖書って、もっと読みやすくならないものかしらん? おそらく似たようなことを感じる人もいたもので、そこで『コテコテ大阪弁訳 聖書』(データバンク、2004年)なんて名作が生まれる。訳文はこんなふう。「イエスはんは、ものごつう多い人間を見てから、山に登りにいかはったんやと。ほいで、腰をかけはったから、お弟子らも近くに寄ったそうや。ほいで、イエスはんが口を開いて、こういう教えをたれはった。”心の貧乏なもんは幸せや、そん人らは慰められるさかい。柔和なもんは幸いやで、そん人らは土地を受け継ぐさかい。”」いいですね~、そうこなくっちゃ! 余談ながらこういうノリが好きな人は大阪生まれのアメリカ人と日本人の混血、数奇な人生を生きる自称不良牧師アーサー・ホーランドさんと相性が合うかもしれません。



さて、こういう系譜のなかで、ある牧師が目からウロコが落ちるようなイエス観を語っておられます。「イエス・キリストはフーテンの寅さんみたいな人だったんですよ。」(米田彰男著『寅さんとイエス』ちくま選書2012年)。先日ぼくはその説に触れて椅子から転げ落ちた。しかし、その後それがこの牧師(米田彰男さん)が長い伝道のご苦労の末にたどりつかれた〈日本人のためのイエス像〉であるだろうことに気づき、深い感慨を持った。



いったいフーテンの寅さんこと車寅次郎氏のどこがイエスと重なるかしらん? 寅さんは父の車平造と芸者の菊のあいだに生まれた子。16歳のとき葛飾柴又の家を飛び出し、切れ味のいい啖呵で占いや手相見をしたり、古雑誌やスニーカーやサンダルを売る、そんなテキヤ商売で暮らしを立てる渡世人になった。(前述の田中小実昌さんと似てますね。ただし、田中さんはご自身を意志の弱いだらしのない男と自称しながらも、キリスト者であることの辛さ、困難をも気さくな言葉で語ってやまない人でもありました。いいえ、本題に戻りましょう。)旅するなかで寅さんは誰とでも親しくなる。寅さんは辛い境遇にある人を下町流の江戸っ子弁で励まし、勇気づけ、惜しみなく人情をふるまい、そしてさらりと風のように去ってゆく。寅さんには聖なる無用性がある、(と米田牧師は見る)。イエスを寅さんみたいな人だとおもってみてください。がぜんイエスが身近に感じられてくるでしょ。と、いわば米田牧師はおっしゃっておられます。


なるほど、おもえば歴史上のイエスは貧しい石工の子。イエスもまた石工の仕事に従事した。しかし、30歳のとき決心して、古代ローマ帝国ではみんなが着ていた綿素材のかんたん製法のワンピースみたいなトゥニカ(=チュニック)だけを着て、上にトガ(toga)を身につけることもなく、サンダル(soleae sandals)を履き、無一文、ナップザックひとつで家を出る。裸一貫、布教の旅に出たのだ。イエスは誰とでも食事をともにした。貧しい人たちはもちろんのこと、徴税人、娼婦、辛い病におかされた人ともこころよく(ぶどうのどぶろくみたいな)ワインを飲み、ぼそぼそした丸パンを齧り、焼き魚にレモンを絞って食べた。そしてイエスはかれら彼女らを勇気づけ、励まし、業病をわずらった人を治しさえした。誰と過ごすときも一日か二日だけ。イエスは風のように去ってゆき、布教の旅を続けた。


ほらね、イエスって寅さんに似てるでしょ、と米田牧師はおっしゃる。う~ん、似てるっちゃ似てますね。もしかしてその説は、なんとしてでも日本人に布教するための、米田牧師ならではのアクロバット論法ではあるかしらん??? まずはイエスにしたしんでください。やがてあなたは厳しいキリスト教の世界を知るでしょうという二段構えかしらん??? そのための、イエスの和風化かしらん? 



なるほど、たしかにこういう話はウケますよ、ぼくら日本人に。だって、ほっとしますもん。じっさい当時かの地の人たちにとって最初は、イエスがさぞやうさんくさいホームレスに見えたでしょう。しかし話してみれば誰もがイエスに魅了されずにはいられない。イエスはそんな気の軽い明るい人だったことでしょう。でなければ、裸一貫無一文で2年間も布教の旅などできるわけがありません。田川健三牧師もまた同じ解釈を採っておられます。ぼくもまたイエスのある言葉をおもいだす、「え? おれが善人? ばか言っちゃいけないよ、善人は世界でただひとり、神様しかいねえんだから。」おっと、ぼくまでイエスの言葉を寅さん口調に訳してしまった。



なお、『男はつらいよ』は山田洋次監督・脚本、渥美清主演で1968年~1969年までフジテレビでの放送からはじまりそれを松竹映画が引き取って、映画シリーズは1969年のお盆から1989年までは盆と正月年2回、1991年からは年一回正月上映としてて、48作1996年正月まで公開された。映画版だけでも(その後制作されたリヴァイヴァル作品2本を含め)計50作ある。なお、晩年渥美清は肝硬癌になってやがて癌が肺に転移し、1996年8月65歳で亡くなった。『男はつらいよ』には人情が生きていた頃の善き日本が生きています。



もっとも、ぼくは米田牧師や田川牧師に共感しつつ、しかし他方でキリスト教の厳しくおっかない面も忘れてはいけないともおもう。なぜって、キリスト教は見わたす限り沙漠という厳しい環境に育ったもの。そこを無一文で布教を続ける苦労はなみなみならないものだったでしょう。しかも、当時ユダヤ教にもさまざまな宗派があって緊張関係があるなか、イエスは独自の宗教観を持って、いわばユダヤ教の外へ出た。身の危険がないわけがありません。気丈なイエスはなにも恐れなかったでしょうけれど。そしてキリスト教は愛にあふれていると同時に、異教と闘う勇気を堅持してもいて。クリスチャンは闘う。かれらは義のための闘いを辞さない。イエスは過酷で危険きわまりない状況で、すっからかんで布教を続け、結局わずか二年で十字架にかけられた。もっとも、それで終わらないところがイエスの超人性(あるいは聖書におけるイエスの神秘化)ではあるのだけれど。



なお、史的イエス、イエス没後にまとめられた聖書内イエス、神学によって二千にわたって変化を続けて来たキリスト教の枠組、この3つは切り分けて考えるべきではあるでしょう。とくに、史的イエス没後にキリスト教は戦闘性をも高めていったとも言えるでしょう。西側教会と東方教会が(精霊の解釈などによって)分裂する。あの恐ろしい十字軍。異端審問も繰り返される。ましてや魔女と見なされでもしたら、命さえ奪われる。さらには、カトリックとプロテスタントの分裂が起きる。近代においては欧州列強は他国を殖民地化するにあたって、まず最初に宣教師を送り込み、そのあと大砲を積んだでっかい戦艦の出動だ。なぜ、そんなスキームができあがってしまったでしょう? それはクリスチャンにとって、非クリスチャンなんてものは野蛮で愚かで哀れな〈肉〉に過ぎないから。伝道とは、そんな人間のかたちをした肉を、(慈悲深く)神にしたがう人間にまで引き上げてあげること。ぼくが言うのはまったくもっておこがましいことながら、そんな一神教の恐ろしさを知ったとき、ぼくらお人よし日本人のキリスト教理解は、おそらく次のフェイズに入るのではないかしら。



いまイエス生誕の地、ベツレヘムはイスラエルーハマス戦争によって、地獄のようになっています。誰もが胸が潰れそうになる。この戦争の原因をもっぱら宗教に帰すことはけっしてできないでしょうし、ネタニヤフにも問題があるでしょう。しかも、それぞれの陣営の背後に政治的思惑を持ったパトロンが控えてもいる。それでも一神教が別の一神教と接するにあたっては、おたがいが相手を敵視し、両者の緊張はいやまして高まるもの。事と次第によっては、お互い戦争を辞さない。ぼくら日本人は、そんな一神教の恐ろしさに目が眩む。



ぼくら日本人にとっては、史的イエスならば好きになれもすれば、信仰の対象にもできるかもしれません。しかし、イエスの没後のキリスト教はたいそうおっかない。けっきょくぼくら日本人にとっては寅さんこそが、風のように自由で、誰よりも慈悲深い、類稀なる存在なのかもしれません。だって、寅さんは誰も憎まない。それでもこれからもぼくはときどき聖書を読み続けるでしょう。それはなぜか? 史的イエスに会いに? う~ん、それもあるけれど、どうして聖書を読むか、そのほんとうの理由はぼく自身にもわからない。


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