仏教の論理を知るために
西洋文明の伝統的な
哲学的論理
と違って、仏教の論理は
比喩と類推
が主体になっています。この様な思考法は主観的で
自ら感じ取る
経験が無いと、理解が難しいと思います。
更に話を難しくしているのが
現在の環境と違う
状況で説かれたことです。例えば、坐禅の一方法に
不浄観
と言う修行があります。これは
小野小町のような美女が死んで
その死体が腐り最後は骨になる
と想像して、そのイメージから
美女に対する執着
を除こうとするモノです。
さて、此処で大事なことは、この様な修行が始まっ多、平安時代には
鳥辺野や化野での風葬
が行われていたと言うことです。もっと露骨に言えば
朽ち果てていく死体を見る
経験を多くの人がしています。この経験を踏まえて「不浄観の修行」を行っているのです。
さて、弘法大師空海の色々な教えを読むと
大地からそびえる樹
のイメージが、根底にあるように思います。
まず、大地の中に、色々な滋養などがあります。そこに
仏になる力の種をまく
とまず土の栄養を吸収します。その上に、周囲の人を救いたいという
慈悲の水を注ぐ
と
仏の心の芽が出てくる
ようになります。この芽を
知恵の火の力
で育てていきます。これは、樹が日光を受けて成長していく感じでしょう。こうした樹が成長すると、枝や葉が茂ります。これが、風に乗って、広がっていきます。これが
色々な方便で皆を救う
仏の現実世界での働きです。さらに、このような樹が存在する
空間
があります。
虚空の蔵に全てが存在
と言うイメージを
大空にそびえる樹
と言う比喩で考えます。
このような比喩が、大乗の経典が描かれた時代の
論理的思考法
だったと思います。
なお、法華経の中に
お釈迦様の教えを伝える
多くの菩薩が大地の中から湧き出る
場面があります。これを
大地から力が湧き出る
と
自分の心の底の力
を同じように見るのは、私だけでしょう。
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