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和魂の物語力

明治の文明開化の時

和魂洋才

と言うスローガンが叫ばれました。これは、明治までは

和魂漢才

でした。

さて、このスローガンの意味するところを、もう少し明らかにしましょう。

私の考えでは

  • 和魂:実体験や物語での納得

  • X才:権威から押しつけられた教え

となります。日本列島に生きている私達は、中華文明の辺境にあり

儒学などを選択して受け入れる

余裕がありました。一番の事例は

科挙制度を導入しない

選択です。朝鮮半島や琉球までは、科挙が行われましたが、日本は聖徳太子の憲法でも

私達が納得することが大事

と言う発想で

儒学の権威を無条件での受け入れ

を防止しました。その代わりに

共通の物語で納得

する形で、多くの人を巻き込む政治が行われました。

特に、日本的な革命である、貴族支配から武家支配への移行時には

承久の変の逸話
太平記

などの「物語伝承」で

天皇の権威に従うと
旨くいかない

という納得が、特に武士達に広がりました。

さて、これがおかしくなったのは

徳川政治の中での儒学特に朱子学重視

です。ここで、

主君に忠義

と言う道徳を植え付けて、秩序維持を図りました。

水戸学などは、儒教の朱子学の影響で

天皇崇拝

になります。なお、これには、水戸藩独自のねじれた感情も絡みます。水戸藩は、御三家とはいえ

紀州・尾張より格下

となっています。具体的には

将軍を出すのは紀州か尾張

と言う扱いです。そこで

天皇は将軍より上

と崇拝することで、御三家の最下位という屈辱を晴らす、傾向もありました。

さて、こうした

朱子学という漢才

から出た行動は

大衆の納得でなく権威の押しつけ

での行動になります。このようなとき

カリスマに引きずられる

状況が発生します。

一例として、幕末の水戸藩は

尊皇派と佐幕派の血みどろの争い

を演じます。これが、藩主でも収めることが出来ません。これを終わらせたのは

天皇の勅書

と言う絶対権力でした。

さて、明治政府は、もう一つ

西洋文明の力

とも直面します。特に科学的な知識を、早急に植え付けるために

学校教育での知識付与

を効果的に行いました。ただし、大衆の魂に響くように、国家神道での神話共有を行います。つまり

天照大神の子孫の天皇陛下
国民は陛下の赤子

と言う物語を、全国民に染み込ませました。

さて、このような「神話」支配は

昭和の敗戦

で幕を閉じます。その後は

科学知識主体

の教育が中心となり、物語的な教育は弱まります。

しかし、会社の伝説などで、物語の力は、潜在的に生きています。



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