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査定準備編

0.発端

大平華子が課長になってから6か月たった。課と各グループの体制も落ち着いてきた。

特に、営業部との交渉で受けた、新規のデータ入力作業は、十分なベースロードとなり、しかも残業時間中に発生した、営業部門のネットワークトラブルも、当日残っていた春山の迅速な対応で、短時間で収束した。この件に関しては、営業の中村部長からメールでお礼を頂いた。いつも電話を使う中村部長なので、電話で挨拶したら、

「賞与査定などで、裏付けが必要なら、ハードコピーを大沢部長に見せなさい。」

とヒントをくれた。華子は、このような指導をしてくれる人たちが、ありがたかった。

そうこうしているうちに、年末の賞与査定の時が来た。

1.部長との根回し

華子は、査定の前に一度大沢部長の考えを、確認したいと思った。彼のスケジュールを見て、
「1時間ほど時間を欲しい」
と依頼すると、快く時間をとってくれた。会議室で大沢部長は笑顔で迎えてくれ、いきなり、本題に入った。

「情報システム課はよく成果を出してくれてありがとう。作業の効率化と、営業部の資料の処理の取り込みによる社外流出費用削減は、今回の査定に反映してよいです。」

華子はこれで、一つ目の関門はクリアできた。

「ありがとうございます。皆には、前より少し上の査定をつけさせていただきます。」

大沢部長はもう一言付け加えた。

「勝っているチームのもめごとは少ないというから、この機会に皆のモラルアップに役立ててください。」

華子は、ここまで配慮してくれていることが嬉しかった。しかし、今回の査定にはもっと重要な決断があった。

「部長、そこまでのご配慮ありがとうございます。ここでもう一つ、今回の査定で新しいことを試みたいのです。」

大沢部長は少し驚いた顔をしたが、興味深げに身を乗り出してきた。

「実は、今回の査定では、評価基準を公開とまではいかないが、少なくともグループリーダークラスには明確にします。特に、評価内容はできる限り明文化するようにし、勤務時間中での行動と成果を評価します。」

華子はここまで言って、大沢部長の反応を観察した。残念ながら、彼はポイントを理解できていなかった。

「それは当たり前のことではないですか。なぜそれを言い立てるのです?」

華子は、もっと踏み込んだ説明に移った。

「確かに、『建前』としてはその通りです。しかし実際は、色々な人間関係も反映した査定となっていますね。特に、『男社会』の『飲みニュケーション』などで、決まるものもありますね。」

これで大沢部長も顔色が変わった。

「そこまで踏み込むというのですか?しかし今までも成果主義査定の運営で、多くの課長が失敗しています。しかも、『男社会』に正面から挑むというと、かなり難しいものがあります。特に、飲み会での伝承などを完全に否定できますか?」

華子は、大沢部長が要点を掴んでいると感じたので、説明を加えた。

「確かに、おっしゃる通り、今まであった、定時後等の伝承や、評価と言う面も無視してはいけないと思います。しかし、私が預かった職場では、それを勤務時間内にシフトし、できる限り明文化しようとしています。私に課長をさせた、会社の意向もそこにあったのでは?」

これには大沢部長も少し悩ましい表情になった。

「そこまで踏み込みますか?しかし、実質的には、勤務時間外での動きや暗黙的なルールの習得などを、評価しないといけませんね。確か今までの女性管理職が失敗したパターンには、杓子定規な勤務時間だけでの評価と言う意見もあるが大丈夫ですか?」

この話は、華子も予想していた。

「おっしゃる通り、今までの先輩の失敗は、参考にさせていただきました。その対策として、後輩指導や同僚などのサポートの面も、明示した上で評価したいと思います。また、従来は文書化せず、それどころか明確に意識もしないで、伝承したり評価したりしていたものをできるだけ、明文化するつもりです。なお、この評価は私一人で行うのではなく、内田たちのリーダークラスの意見も十分組み入れるつもりです。」

この切込みで、大沢部長は少し安心したようであった。

「確かにそこまでの覚悟なら、良い方向に進むかもしれませんね。ただし、誰を参画させるかは、注意しないといけませんね。」

華子はここが大切だと言うことで説明を続けた。

「おっしゃる通りです。この評価には、私の個人面談結果と、グループリーダーの意見反映を考えています。なお、この意見を聞く範囲は、明文化しておきます。これ以外の課の運営でも、今後は各自の立場での情報アクセスや発言の権限を、明確化します。従来の建前平等、実際は見えない壁での序列が在ったり、酒の席やゴルフ場で、参画を許したりという、旧来の『男社会』の弊害を、できる限り排除していくつもりです。」

大沢部長はこれを聞いて少し顔が引きつったが、直ぐに笑い顔になって答えた。

「そこまで行きますか。確かに、貴女に課長にさせるときに、本社の意向で、『ダイバーシティを伏線』という話が在りました。これなら、日本人以外でも対応できますね。しかし、一寸確認ですが、藤原さんの意見はどう反映します。」

華子は、これは少し予想外であったが、大沢部長の言わんとすることは、理解できた。

「藤原さんは、あれほどの方ですし、守秘義務などもよく弁えています。私
個人として、彼女の意見は尊重します。特に、表裏のある人などのチェックは、彼女の意見を聞きます。また内田さんの経験も生かさないといけません。確かに私も理想論を言いましたが、実際はソフトランディングとして、従来の流れも考慮しながら、落としどころを探ることになるでしょう。」

これを聞いて大沢部長は安堵の顔をした。そして意を決したように付け加えた。

「それを聞いて安心しました。さて、この話は一度本社の中野さんに相談してください。メールでよいです。写しを私にして、正規のメールで相談してください。」

華子はこれには少し驚いた。

「正規メールで相談ですか?この話、本社が噛むことになるのですか?」

大沢部長は意を決しつづけた。

「貴女が試みようとしていることは、この会社にとって大きなことです。先ほどはダイバーシティと言いましたが、これは社長直轄の検討事項です。しかも慎重に行わないと、旧勢力からの反抗が起こるかもしれません。本社の意向を無視しては、この話は進めません。私の感触では、本社は貴女のやることは、特別区の形で認めるようになると思います。やはりうちの会社は、従来の男社会的な伝承で動いている部分が少なくありません。ただこれを決めるのは社長の判断です。中野さんは社長室の特命社員としてこの件を扱ってくれるはずです。」

華子も状況は理解できた。

「解りました。戻ったら早速メールで、ご相談します。」

2.華子のまとめ

華子は、自席に戻って今までの大沢部長との話を、考え直してみた。確かに自分のしていることは、子育て社員や外国人など、公私の別をきちんとする人材向けの施策である。

但し。今までの会社の実情を考えれば、定時後のプライベートの付き合いの中で、人を育てていた要素も少なくない。また、空気を読ませるなどで、暗黙的に運営していた、立場の違いが効果を発揮していた。これは自分が課長になってからも、会議での発言順序などで実際に効果を発揮している。このように従来の良さを認めるが、長期的には自分の考える方針に間違いはないと思った。これで心の整理がついたので、昔の指導者である、中野さんにメールを打つことにした。

「正:本社 社長室 中野純子様
 写:弊 大沢B殿
 発:関西製作所 情報システム課 課長 大平華子

 件名:課内の評価方針の変革について(ご相談)

何時も色々とご支援・ご指導いただきありがとうございます。
さて、弊課の運営に関して、ご相談いたしたいことがあります。
主要点は、下記のとおりです。

1.賞与などの評価を成果及び業務時間内の行動で行い明文化する
2.育成などに関する対話も勤務時間内で行う
3.各人の立場と発言の許可条件等を明確にする

注)これはどれも内容は、建前としては当たり前ですが、本音としては実行されていないことです。特に、従来の飲み会やゴルフ場での会話によるインフォーマルな情報伝達と評価を、否定するものです。また、従来は暗黙的に運営していた、会議等による立場での発言許可を、明文化することも試みています。これはどれも、『男社会』の暗黙のルールを破るものとなります。
私は、従来の暗黙的な評価や秩序の効果は認めますが、今後の『人材の多様化』を考えれば、暗黙的なものを明確にすることが必要と考えました。

上記の方針で進めますこと、本社としてのご意見をいただければ幸いです。

以上

PS

なお、この運営はとりあえず、弊課だけの特別運営として様子をみたく、その点もご理解いただきます。

〆」

華子は、あまりうまい文章ではないと、自分でも思ったが、動きは速い方が良いと思ったので、このまま発信することにした。

3.中野純子の想い

私、中野純子は花咲電機の本社で、社長室スタッフ業務に従事している。スタッフ業務と言っても、曖昧な仕事であるが、社長の指示で各製作所のトラブル発生時の情報収集と、解決支援が主要な仕事となっている。実は私は女性総合職の第一期生として、初めて課長職に就いたが、少し部下に厳しく当たりすぎて、更迭された。それを救ってくれたのが、昔ある仕事でご一緒した中西社長であった。社長の鶴の一声で、私は、部長待遇として今の立場にとどまっている。

現在各製作所のトラブルは少ないが、一つだけ関西製作所の情報システム課の業務改善が、上手くいくのか気になっている。情報システム課の大平課長は、新入社員の時から面倒を見た子なので、個人的にも気になる。ただ、彼女が課長になる前に、昔私を教えてくれた、田中さんが色々指導したと聞いので、少し希望が持てる。彼は、定年直前まで、大課長として皆に慕われていたと聞いているので、大平さんは私のようにならないで、良い課長になって欲しいと期待していた。

そう思っていたら、彼女からメールが来た。本文の所は、正論であるが、注意書きの部分を読むと、かなり危ないものを感じた。但し、彼女の目指しているものは悪くないし、強引に現状を無視して突っ張るのではない。そこで、これでよいという趣旨で、返信しようとした。しかし、このままで単純に返してはいけないという、勘が働いた。また、社長からも、大平さんの動きには興味を持っている、と言われていたのを思い出した。そこで
メール内容を、プリントして社長と相談することにした。

幸い社長のスケジュールに空きが見つかったので、直接話に行くこととした。

「社長、一寸ご報告があるのですが、お時間いただけますか?」

「ちょうど今から30分程度は、自由になる。何か気になる話でもあるのかね。」

社長の機嫌は良い雰囲気だったので、思い切って今回の話をした。

「はい、勤務合理化のモデルケースとして動いている、関西製作所の情報システム課の件です。」
「あそこの動きは注目している。特に女性課長にした効果が出ているかな?」

この答えで、社長もこの案件に興味を持っていることが解った。

「実は彼女から相談のメールが来ました。どうも男社会へ真っ向から挑戦しようとしているようです。」

社長の目つきが鋭くなった。

「面白い展開になりそうだね。良ければメールを見せてくれるかな。」

これはある程度予想していた。社長は人の話を聴くよりも、報告書などを読むほうが早いという人なので。彼女のメールをそのまま見せることにした。メールを見ていた社長の顔が、急に引き締まった。

「中野さん、直ぐに人事担当の古野常務を呼び出してください。」

私はこのような展開は想定外であったが、あわてて席に戻り、古野常務の秘書を捕まえた。幸い古野常務も席にいたので、「社長がお呼びです」と伝えると、あわてて飛んできた。

4.幹部会議

私たち二人を前にして、社長は話し出した。

「古野さんに来てもらったのは、先般から試みているホワイト部門の生産合理化の職場で、期待以上の成果が出てきそうだからです。但し、そこでやろうとしていることは、従来の『男社会』への挑戦的要素もあり、邪魔が入る可能性が高い。そこで、表と裏から支えるべきだと思います。まず、古野さんはこのメールのコピーを見てください。」

社長は、「裏から」と言った時、はっきり私の方を向いていた。古野常務もそれに違和感は無いようであった。メールを見ていた古野常務も緊張した様子が見えた。

「社長、この大平課長は、かなりできますね。しかも、従来の伝承の必要性も認識した、バランスの取れた人材だと思います。これは、大切にしないといけません。」

社長は、これに不満な顔を見せた。

「それだけか?私が人事部門に検討を依頼している、『ダイバーシティ』の実現に関し、彼女は突破しようとしている。この件に関して、人事部門としてはどう思う。」

古野常務は、少し困った顔をしたが続けた。

「確かにご指摘の通り、ダイバーシティに対応するために、評価の明文化と言うことは、一つの解決法だと思います。ただこの動きに関しては、こちらとしては、一つの参考事例として、見せてもらうという姿勢が良いかと思います。今からこちらが口出しすると混乱してはいけませんから。但し、支援要請があれば、最大限の優先度で対応します。」

社長はまだ不満だった。

「それで、この件に関する、リスクの予想をどう見る。」

古野常務は、額の汗を拭きながら続けた。

「確かに、大平課長も指摘していますが、従来の『男社会』への否定と言う要素があります。これに関する反抗と言うか、何らかの動きはあると思います。この動きに関しては、社長がおっしゃった表裏からの支援が必要と思います。この席に中野さんが同席していると言うことは、中野さんが裏側の指揮を執るということでしょうか?私は依存ありませんし、全面的に協力させていただきます。」

社長はまだ不満であった。

「もう一つ、大平課長自体のリスクを、君はどう評価する。」

この質問を受けて、古野常務は少し困った表情で私の方を向いた。そして、心を決め話し出した。

「ご指摘の、大平課長自身のリスクに関しては、今回のメールを見る限り、従来方式の伝承の効果なども配慮して、バランスが取れていると思います。なお、上司の大沢部長からの情報ですが、部下の中でも、並みの能力の人でも地道に努力している者に対しても、チャンスを与えて成果を出させているようです。一部の優秀すぎる女性にありがちな、杓子定規に業務成果のみを追い求める、無能なものを切り捨てるという人ではありません。私は彼女の人柄と能力を評価します。」

この説明を聞いて、社長は笑顔を見せた。

「流石は古野さん。そこまで調べていましたか。それなら、抵抗勢力問題に、リスクは絞れますね。さて少し脱線するが、良い機会なので、この話と絡む田中和夫氏の話をしておきましょう。中野さんはよく聴いておいてください。」

これに対して、古野常務は大きく頷いた。しかし私は、なぜここで田中氏の名前が出るかわからなかった。

5.中西社長の説明

中西社長は、古い思い出を語りだした。

「私が、入社したころは、マイクロプロセッサーの導入期で、技術的にも大変革の時代でした。今までの専用回路やリレーシーケンスが、マイクロプロセッサーのプログラムで置き換わる。さらに高度の機能追加ができるという変革期だったのです。その中で、マイクロプロセッサーのソフトウエア処理の標準化を成し遂げたのが田中和夫氏でした。彼の率いるグループのソフトウエアやファームウエアの生産性は、他部門を大きく引き離していました。」

この話は、私も一つの伝説として聞いたことがあった。古野常務も、頷いていた。

「ここで一つ大事なことは、彼は会社の技術蓄積のない分野を、一人で切り開いたと言うことです。先輩の助言も少しはあったようですが、参考意見のレベルでした。しかも、彼は自宅からの通勤者だったので、先輩たちとの交流もほとんどありませんでした。つまり、メンター的な人がいなかったのです。」

これを聞いて、何となく自分のことみたいな気がしてきた。

「そして、彼がマイクロコンピュータのプログラム製造の関連会社に出向した時も、技術力で抜群だったので、あまり管理を行わないでも仕事を進めることができました。その後、出向から戻った後も、グループリーダーとして、それなりの仕事をしたのですが、課長と衝突したのです。理屈の上では彼の言うことが正しいのですが、立場的に、口出しが許されない範囲まで踏み込んだのが致命傷でした。このような立場による発言などは、先輩たちとの付き合いの中などで、暗黙的に身に着けるものが多いのですね。これを彼は、教わらなかったというか、身に着けなかったのです。」

そこで、社長は一区切りした。そして社長の視線を受け古野常務が続きを話した。

「その職場で田中氏は課長と衝突していた。そこで技術者教育担当と言うことで、彼を研修部門に引き取ったのです。彼は、研修の上位部門である人事総務の中でも、付き合いがなく浮いた存在でした。但し彼が偉いところは、技術的なスタッフとして、自分の専門以外のことでも、人事の人間たちに説明できるように、勉強し直したのです。コンピュータ技術者が、発電機などの強電の世界から、機械のことまで理解したのです。さらに、すごいのはMBA(経営学修士)の教材まで手に入れて、独学で勉強したのです。つまり、会社が課長教育でする教育を独学で身に着けたのです。但し、それを独学で身に着けただけに、できない人に対しての優しさは、少なかったですね。」

この時、二人が私の方を向いた。私はこの話、自分についても言われているように感じ身を切られる思いだった。しかしひとつ疑問が出たので、質問した。

「一つ質問してもよろしいですか。」

二人はこれを予測していたようであった。社長が頷いたので話を続けた。

「私たち、特に女子の技術者が田中さんに色々質問に行き、教えてもらいました。ある種のインフォーマルな組織となっていましたが、会社がこれを黙認したのはなぜですか?」

二人の間で目と目があったが、社長の指示でまず古野常務が語りだした。

「実は会社側としても、女子の技術者の指導に関しては、従来の男のような、酒を飲みながらの指導と言うことには、戸惑いがあったのです。そこで田中氏が質問に答えるのはある意味ウエルカムだったのですね。もう一つ言えば、彼は会社の派閥には属していなかった。そのため彼に近い人間は、他の人の引きを得る機会を失う可能性があった。そこで、従来の男社会で出世する可能性のある人間は、意識して付き合わないようにしていました。彼の『女性ひいき』と言う悪名は、これが一つの原因です。」

そこで社長がもう少し補足した。

「ただし、田中氏は『大局的に見て会社の不利益になる行動』はしていなかった。これは確かです。だから、職制の壁を越えるなどの、やりすぎがあっても、一部幹部の保護があったのです。」

私もだいぶ状況が見えてきた。そこで最後の疑問があった。

「宜しければ、もう一つ疑問があるのですが。田中さんが定年前に、課長をしたと聞きます。あの時はそんな厳しいことを言わず、皆が楽に仕事が出来たとききました。一体何があったのですか?」

これに関しては、古野常務が答えてくれた。

「田中氏の業績には、会社としてどこかで報いたいと思っていました。しかし、あの厳しさを何とかしないと、部下を持たせるのは難しいというのは理解していました。そのため、かれをカウンセラーの講習会に参加させたのです。そこで、人の気持ちに対する思いやりなどを、学んでもらえればと考えました。」

私も、思わず身を乗り出して聴いた。古野常務は話を続けた。

「結果は予想以上でした。カウンセリングの講習中は、自分もカウンセリングを受けるのです。その体験で彼は大きく変わり、人に対する思いやりもできてきたのです。そこで、彼に少し問題のあった課の課長を最後にお願いしたのです。その状況は貴女もご存知ですね。」

私はこれで、多くの謎が解けた。そこで社長が次の話題に話を戻した。

6.抵抗勢力との戦い

社長は、私の方を向いて話を切り出した。

「今までの田中氏の失敗は、今回の大平課長はしないと思う。そこで彼女には、十分働いてもらいたいが、従来の『男社会』からの抵抗は、多分あると思う。そこで想定攻撃と対策を考えて欲しい。」

私はすぐに思いつく攻撃法を挙げた。

「まず一つは、パワハラ案件の扇動ですね。課内の出来の悪い人間を誘って、指導せずに無理な仕事をさせたと言って、組合にでも駆け込みをさせる。これは一つの戦法としてあると思います。同様に取引先からの訴えもありますが、あまり関係の少ない部署だし、付き合いの古い相手はそこまでしないでしょう。もう一つはスキャンダルのでっち上げですが、これはまず隙を見せないと思います。なお、抵抗勢力の、ゴルフや酒の席での勧誘と言うか結束固めは、あると思います。」

社長と古野常務は頷きあった。古野常務が答えた。

「私もそのリスク認識でよいと思います。なお、直属上司の大沢部長とはすでに緊密に連携することで同意を得ています。また、営業部の中村部長も支援は惜しまないと言って居ます。」

私は、少し驚いて思わず確認してしまった。

「中村部長ですか?彼は、男社会の代表ではないですか?」

すると古野常務から厳しく言われた。

「中村部長は、一度大平課長に助けられたことがあります。その後彼女の仕事ぶりを見て、従来のことも考えながら新しいことを試みていると、高く評価しています。なお、我々は、多様な価値観を識別できなかったり、将来の見通しが悪かったりするような人材に、市場のビジョンを見る営業部長などさせません。」

これは厳しい言葉であった。すると社長から一言、注意があった。

「今回の調査では、組合の女子部には注意しなさい。」

私はこれに関しては、少し納得がいかなかった。

「組合の女子部は、女性管理職の登用などには、会社に申し入れている方ではないですか?」

すると社長は苦笑いして、説明してくれた。

「確かに、組合の女子部は、女性管理職の登用などは申し入れています。しかし彼女たちの行動は、一緒に酒は飲む、ゴルフには積極的に参加すると言うことで、『男社会』には、並みの男以上に適応しています。彼女たちに後ろから刺されないように注意してください。」

この話には我ながら納得してしまった。

7.本社での結論

今までの話を踏まえて、社長からは以下の方向で動くように指示された。

1.今回の情報システム課の動きは、テストケースとして特例扱いとする
2.このテストケースは、本社人事部の観察事項とする
3.同課からの支援要請があれば、本社としては前向きに検討する

そこで、社長はもう少し説明をしてくださった。

「今回の、『男社会』と『多様化対応』の問題は、どちらが正解というものではありません。正しいと言うことにこだわると、ヴェーバーが言う『神々の戦い』となります。状況に応じて使い分けるべきです。ただ宗教戦争は、一度発生すると収束させることは難しいです。今回は、経済特区のような特別な世界で試験的に行うと言うことで、できるだけ波風を立てないようにしましょう。大平課長の試みが成功すれば、それを磨き上げて、広げられるところまで広げることは、人事部門が検討してください。私の考えでは、『トヨタ方式』の導入が一つのヒントになると思います。上手に導入したところは、導入すべきところとそうでないところを上手く仕分けています。これは大きなヒントですね。その他トヨタ方式には、『文書を大切にする』、『進化する官僚主義』など今回の実行にも参考になる点があります。これらの情報は本社として、支援してください。」
これに対して、古野常務はきちんと答えた。

「私の宿題、確かにいただきました。この件と関連して、新入社員を含む若手社員の早期自立化を検討します。近頃は、女性技術者も男のように甘い考えの者が増えてきましたから、困ったものです。」

これは、多分突っ込みを予定した話と思ったので、私が質問してみた。

「それ、男のくせに、女みたいに甘い考え、の間違いでは?」

古野常務は、苦笑いしながら説明してくれた。

「この話は、今までの話と微妙に重なっています。1990年ごろまでの、工学部進学の女性と言えば、技術者として生きていくと言う、気概を持っていました。また学生時代もよく勉強していて、会社に入ってからも自主的に学ぶ人たちが多くいました。しかし、近ごろは偏差値で入りやすい工学部に入る、就活でどこでもよいから内定を得るという、男女平等の発想がいき渡っています。昔から、男の技術者には、会社に入ったら何とかなるというものもいたのですが、女性でこのようなタイプが増えだしたのは近頃ですね。」

この話には、私も同感してしまった。またこのようにまえた社員が多いと、大平課長の方針に支障が出ることも納得した。古野常務がここまで考えてくれているのを知り、少しうれしくなった。ただ、昔の技術系の女性にも、私のように『おしとやか』な者もいると反論したかったが、少し立場を考え黙ることにした。しかし社長の視線には少しいたずらっぽいものを感じた。社長はもう一つ私に宿題を出した。

「中野さん、この話本社として、もう少し理論的な支援をしてください。組織の理念型として、『単一男社会』『多様性社会』を考えて、検討してください。なお比較対象として、『ファーストフードのアルバイト組織』『大学の研究者組織』を加えるのも、面白いと思います。」

これを聞いて、吉野常務が助け舟を出してくれた。

「社長は、アメリカ式のMBAはあまり好きではなくて、経営学はドイツ式のマックス・ヴェーバーの理論を調べられたのです。ヴェーバーの著作は岩波文庫に色々ありますから、調べられたらいかがです。」

これはとんでもない宿題と思ったが、自分でスキルを身に着けるという方針を、日ごろから言っているし、今回の大平課長の動きもそれに沿っている。そこまで考えると、自分も泣き言は言えないと思った。

その後実務の打ち合わせが少しあり、結論として、本件の支援のため、私中野は関西製作所に入り、情報収集にあたることとなった。なお、この行動に関しては、古野常務の方から、しかるべき人にはお声掛けをしていただくこととなった。なお社長からは、

「昔世話になった、友人たちによろしく」

とのお言葉もいただいた。
つまり、田中イレギュラーズを使ってもよいと言うことである。このための必要経費は、古野常務の方から出していたけることになった。なお、緊急時には営業の中村部長が、営業経費を出してくれるだろうと、社長が笑いながら言ってくださった。

これを踏まえて返信のメールを送った。

8.本社からの返事と課内の展開

華子がメールを出した翌日に、本社からのメールが届いた。

「正:関西製作所 情報システム課 大平華子課長殿
 写:同 生産部 大沢正男部長殿
 発:本社 社長室 中野純子

件名:課内の評価方針の変革について(回答)

先般貴信にてご紹介の件、当方確認いたしました。
当方としては、今後の社員の採用多様化などを見越して、貴方の試みは貴重な先行事例として、支援していきます。
なお、今回の試みはあくまで貴課内の特別事例として運用します。
本件に関連し、なにか必要なことがありましたら、私が窓口になりますので、何なりと申し付けください。

以上」

華子は、このメールで本社の支援を感じて嬉しくなった.すると直ぐに次のメールが来た。

「大平華子さま
  中野です

先ほどは、公式にメールです。ここからは内緒話ね。
今回の話は、女性活用だけでなく、外国人の社員採用なども含めて、旧来の『男社会』からの脱皮と言うことで、社長も注目されています。
ただしやりすぎると『男社会』からの反動もありそうです。貴女は私よりはうまく対応するとは思いますが、色々気になることもあり、一度私も其方に伺います。
なお、何かあれば、大沢部長と中村部長は、味方になってくれるであろうと言うこと含んでおいてください。
それでは、あまり無理しない範囲で頑張ってね。

中野 純子 」

華子は、自分一人ではないと言うことが判り、少し楽になった。さて、今回の件は自分一人では、対応は難しい。そこで、内田、松原、平木の3名を呼んで、趣旨説明の会議を行った。

「今回の賞与査定は、従来の方式と大きく変えます。具体的には、できる限り説明を書いた査定にします。特に通常業務の目標達成などは、数値的にも見ることができますが、その他の他の人のサポートや、育成に関する事項も、できるだけ、文章化して明確にしてください。例えば、内田さんのグループの春山さんが、残業時に営業部門のトラブルをフォローし、修復したことなどですね。これは彼の業務範囲を越えても、利用者の支援になったと言うことです。」

これを聞いて、内田さんが質問した。

「これは、従来の査定会議とあまり変わらないように思うのですが?」

華子は半分この質問を予想していた。また松原と平木の二人は、まだ慣れていないので、状況はつかめていないと見た。そこで一気に踏み込むことにした。

「今までの査定では、定性的な面は、課長の判断に負うところが大きいですね。そこを文章で誰にも見えるようにするのが一つのです。そして文章化できるのは、行動評価を行うのは、勤務中の行動にかぎるという点です。」

内田さんが、素直に反応した。

「つまり、今まであった、暗黙的な関係や、定時後の『飲みニュケーション』を排除すると言うことですね。」

華子は、ここまで露骨に言うと少し問題と思ったので、少し補いをつけた。

「排除と言うことではなく、公式な文書に残せる形にすると言うことです。そのような他人への配慮をする人は、勤務時間中にも何らかの行動があるはずです。それを拾ってあげて欲しいのです。確かに今回は過渡期ですので、そのような貢献も考慮しないといけないと思いますが、今後は文書に残せる勤務時間内の行動で評価したいと思います。今後社員が多様化し、例えば外国人の社員が入ったとき、このような明文化した評価にしないと、対応できないと思います。」

これを聞いて、松原が低くつぶやいた。

「外国人社員の雇用まで考えないといけないのか。」

ここで華子はもう一押しすることにした。

「将来、松原君や平木君が課長になる時代には、外国の大学を出た社員がいるかもしれない。その時に、今までの暗黙の理解と言う話や、定時後まで含めた付き合いで決まるという話は通らなくなりますね。これを考えて、うちの課では一歩ずつ進めていきたいのです。」

ここまでは、皆が一応納得した。そこで華子はもうひと押しした。

「これと関連するけれども、前に松原さんに、課員ごとの情報アクセス権の階層を検討してもらいましたね。これをもう一歩進めて、会議に参加する権限、発言する権限なども、もう少し細分化して明示するようにして下さい。これも従来からあった、『暗黙的に、参加を許す、発言を許す。建前では参加者平等だけれども、実際は序列で発言できる人が決まる。』と言う話を辞めて、明確にすることを考えています。」

ここまで言うと内田が一言言った。

「大胆な改革ですが一気に行きますか?」

華子は少しやりすぎたとみて方向を修正した。

「『一気に』ではないです。徐々に進めないと皆混乱するでしょう。しかし、将来像をきちんと持って進めて欲しいのです。」

これに対して平木が要点をついてきた。

「これって、従来の『付き合い大事』と言う雰囲気の人には、抵抗がありますね。」

華子はすぐに返した。

「平木さん、はっきり言って『男の付き合い』でしょう。但し、私も今までの付き合いの中で伝承されたものや、付き合いの中で評価した者、許されて徐々に発言が増えたものなどは否定しません。ただ多様化して、付き合いに入らない人間が出る状況では、勤務時間内で勝負を決めないといけないと言うことです。もう一つ関連して、勤務時間内で、技術・技能や業務Know Howの伝承も行うのです。」

これに対して内田が質問した。

「それは、業務効率化とは矛盾しませんか?」

華子はこれに対する答えは準備していた。

「伝承を、勤務外でも行ったのは、今までの間違いです。今後は、コンプライアアンスの観点からも、許されないでしょう。業務効率化で浮いた時間を費やしてでも、伝承は勤務時間内で行います。但し、個人スキルの習得を、自分の時間で行うのは勝手です。その時は、スキル向上をきちんと評価してあげるのが会社側の務めです。」

内田が少し反発した。

「少し厳しすぎるようですか大丈夫ですか。」

華子は落ち着かせるように言った。

「これは理想形です。ただその方向で進めてください。」

この説明で若い二人が頷いたので、内田も引き下がった。

そこで、華子は具体的な方向を示すたたき台を提示した。

9.査定の方向付け

華子は、まず自分たちの査定資料(表1)を皆に配り、意見を言わせるようにした。これを見た、内田は一寸苦笑いをして、ここまで書きますかと言う風に、華子の顔を見た。一方若い二人は、自分たちの項目とお互いの項目を見比べているようであった。

表1 査定表(案)

名前              項 目 
大平 
  ・業務目標達成  課の運営と経営計画数値の達成(残業時間短縮XX時間)
   新規業務(営業部の資料処理)開拓による社外支出削減による超過達成
  ・人材育成 松原GL…GL業務ができるように育成
       平木GL…経営文書の一部作成力を指導、GL引継ぎ支援 
内田 
  ・業務目標達成  運営Gの目標値過剰達成
  ・課長代行業務、課内の人間関係円滑化に尽力
  ・人材育成 松原・平木の人間面での育成支援
    春山の作業支援 
松原
  ・業務目標達成  社内開発Gの目標値達成
  ・課内の文書管理合理化
  ・新人の戦力化指導
  ・春山担当分の技術トラブルの支援 
平木 
  ・業務目標達成 課長の補佐業務、途中より社外開発GL引継ぎ
  ・課長不在時の対応(資料作成等)
  ・グループ内新人の指導、協力会社指導
春山
  ・特別加算対象項目
   営業部のネットワークトラブル対応(営業部長の感謝あり)

華子は説明を加えた。

「実際は、数値的な裏付けもいるし、定性的な話にも具体的な行動事例をつけるべきと思います。しかし着目点としてこのようなもので考えています。」

これに対し、内田が質問した。

「課長、これは良いことが多いですが、加点主義ですか。悪い方もやはりこのような形で書くのでしょうか?」

華子は文字通りの意味以上のものを感じたがとりあえず、表面上の答えを返した。

「当然悪いことも書いてもらいます。特に、人の足を引っ張る、他部門の信用を失うというのは、この形で記録すべきです。」

内田が本音を言った。

「このようにすると、悪い話はよっぽど目立つことだけ書き、良い話は少しでも拾うと言う形になりそうですね。」

この質問には、松原・平木の二人も同意した。華子は一つ目の要点に入った。

「そういうことは、当然起こります。従って、これでやると甘い目の査定になります。そこで、甘い目の査定を実現するためにも、経営目標の数値を完全に達成し、余剰の利益か経費節減を生み出すことで、賞与の原資を生み出すのです。これが管理職の仕事です。」

この話で、3人は急に引き締まった顔になった。平木が答えた。

「つまり、今までの業務改善の成果をここで報いてくださる。そのために加点主義の評価を行う。この認識でよいのですか。」

華子は、平木の鋭さが嬉しかった。しかしもう一歩踏み込むことにした。

「今回はそれでよいのですが、もう一つこの査定は従来よりも、明文化したものが増えています。今までだと業務目標は数値なのできちんと評価する。しかしその他の、他の人への支援や育成の評価が、曖昧と言うか管理者の個人的・主観的なもので決まっていました。この部分を明文化したいのです。繰り返しますが、外国人社員に説明できるレベルを最終的にはめざします。」

松原も口を挟んできた。

「厳しい話ですが、方向は見えたように思います。われわれの部下に関しては、春山さんの記述を参考にしたらよいですね。」

華子は、この話題にはもう一つ別のものがいると知ってほしかった。

「彼の場合には別の意味があります。厳密に仕事の効率とか、スキルで評価したら、彼はあまり良い評価になりませんね。しかし、誠実にトラブル対応している。また他の人のフォローもよくしている。そのような面を評価するため、あえて例として書きました。効率以外も見て欲しいのです。」

これには内田が大きく頷いた。松原・平木も異存がないようであった。最後に華子は一押しした。

「さて、これは数値部分を伏せて、許された人には公開することも考えてください。特に当人にはこの評価を見せても構わないように作ってください。」

これには3人も息をつまらせた。しかしこれが改革の要点であるとは、3人とも理解しているようであった。内田がつぶやいた。

「そこまでやりますか。できない周辺の課長あたりからの風は厳しいですね。」

華子は、つけ加えた。

「実際の公開は運営上の問題があるので、難しいでしょうが、個別面談で説明できるようにしてください。」

これで、査定方針は皆に共有された。

10.華子と内田の内緒話

松原、平木の二人が退出した後、華子と内田は二人で少し話をした。内田は前の鈴木課長の時代から、グループリーダーをしていたので、今回の査定会議の異様さを特に感じていた。そこで、華子に質問した。

「課長、一寸よろしいですか。今回の査定では、成果に対する厳しい話がなく、いわゆる分捕り合戦もないですね。これであの二人は、査定会議とはこのようなものと考える危険性はないでしょうか?」

華子は、内田が言っていることはよく解った。

「確かに、今回の会議はある意味で甘い会議です。ただ、方針として文章化と言う方向に舵を切ったので、他の難しさは除外しました。彼らには、ぼちぼち厳しい話もしないといけませんね。」

内田は華子が問題を理解しているのを知り安心したのでもう一つの話に移った。

「こちらは解りました。しかし、課長の方針はかなり外から抵抗を受けるというか、迷惑と言う他の課長が居そうですが…」

華子はこれに関しても説明しておくことにした。

「その通り。そこで本社に支援をしてもらって、ここは特別区の扱いをしてもらうように動いています。将来の多様化の実験と言う扱いです。」

これで内田も一応納得した。

「そこまで根回しができているなら安心しました。また、春山君のことありがとうございます。」

華子はこれも少し説明しておくことにした・

「彼の話は、地道な努力と言うか、常日頃の仕事を大切にして、お客様の評価を得ている人を、技術的な深みがないと言うことで、不利にならないようにとの配慮です。特に、若い二人への戒めも含めて、入れておきました。彼の査定は、前より1ランクは上げてください。」

二人はお互いに笑顔を交わした。これから、旧社会への戦いが始まる。

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