SFで見るアメリカ人の発想
読書の秋と言うことで、一寸毛色の変わった感想を書いてみます。
私の注目は、1940年代から50年代のアメリカのSF小説です。なぜこれを取り上げるかというと
現在のアメリカ人の根底に流れるモノ
が見えてくるからです。特に注目したいのは
E.E.スミスのレンズマンシリーズ
アイザック・アシモフのファウンデーションシリーズ
です。この本は、米ソ対立の社会の中での、アメリカ人の発想をよく反映していると思います。そして、今回のロシアのウクライナ侵略に対する、アメリカ人の発想も見えてくると思います。
なお、以下の記述は、ネタバレだらけです。あらかじめお断りしておきます。
さて、両作品に共通するモノは
優れたモノによる支配
です。SFですので『人間』だけでなく、他の種族も含みますが
優れたモノが支配する
ただし
一般にはそれを見せない
と言う発想は共通します。
レンズマンシリーズでは、更にこれに
善なる指導者:アリシア人
悪なる搾取者:エッドール人
の対立があり、諸悪の根源であるエッドール人を滅ぼせば、知徳に優れたレンズマン達が支配することで、皆が幸せになる、と言う勧善懲悪的なストーリーです。言い方を変えれば
デモクラシーこそ最善
と言う無邪気な発想です。
なお、レンズマンシリーズには
アリシア人以外の種族の自助努力
を認めています。アリシア人について隠すのは
コンプレックスで潰されない
依存してしまって自助がなくなる
のを防止するためです。
一方、アシモフのファンデーションシリーズは、もう一ひねりがあります。そこでは
大帝国を統一する「第一ファウンデーション」
陰で操る「第二ファウンデーション」
の両者が存在します。ここで「第二ファウンデーション」の人間は
第一ファウンデーションの心理を操る
第一ファウンデーションには知られてはいけない
と言う立場で行動します。さらに第一ファウンデーションの人間に対し
第二ファウンデーションに依存してはいけない
第二の人員同様の心理学的知識を持たせない
という行動を取ります。
こうした
知的優位者の支配
支配者と被支配者の断絶
依存させず自助努力を引き出す
発想はアメリカ人の考え方として、今でも続いているように思います。
なお、アシモフは晩年、ファウンデーション・シリーズの続編を書いていますが、それでも
大衆と知恵ある統治者の乖離
はあるように思います。
これで「本当に民主主義が成立する」のでしょうか?