![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/120931586/rectangle_large_type_2_6bfa3ee3200cc70c0da25f3c86df08a7.jpeg?width=800)
西洋文明の上に立つ西田哲学
昨日のnoteを書いていて、プラトンの立場での言い分と、西田哲学の位置づけが見えてきました。つまり
プラトン達の開拓者の苦労
言い換えると
西洋文明の上に立つ西田哲学
です。
プラトンが『国家』を書いたときは
現在のような法制度もなく
市場経済も未発達
学校教育もない
時代です。そのような状況で
「国家」の統治には「正義」が必要
そこで「正義」に哲学者は近づく
と言う主張を、大著『国家』で行いました。
そこで使えた知的な財産は、当時として最高の学問である「ユークリッド幾何学」でした。ユークリッド幾何学の
理想化した「点」「線」の発想
が、「イデア」を生み出しました。
こうした抽象化し、理想化して
やっと因果関係を見出す
苦労を古代ギリシャの哲学者から、デカルトなどの近代西洋文明の開拓者は積んでいます。
逆に言えば
割り切りの上での2値論理
が、西洋文明の物理学的発想を生み出しました。
私たち日本人は、このような西洋文明の成果の上に立っていることを、忘れてはいけません。
西田哲学は、西洋哲学の上に立って
西洋哲学で目をつぶった現実対応
に向き合ったものだと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?