古代ギリシャの哲学は現在と違う
山本七平や小林秀雄の方法論に
著者の時代の目で読む
があります。私も、これが大事だと思っていました。
しかし、とんでもない思い違いが見つかったので、懺悔します。
私の失敗は、プラトンの大著「国家」国家 (対話篇) - Wikipediaにある
若者の教育は詩人ではなく
哲学者が行うべき
の誤解です。
国家の第10章は、単純に読めば
詩作の弊害
を述べていると読めます。
しかし、「国家」に続いて書かれた「パイドロス」パイドロス - Wikipediaでは
ソクラテスが神から授かる教えを
見事な神話として展開
しています。現在の私達なら、これは
哲学でなく詩
と言う人もいるでしょう。
そこで、もう一度反省すると
私達の持つ哲学のイメージは
ソクラテスやプラトンと違う
と解りました。つまり、私達は
ソクラテス・プラトン->アリストテレス
さらに
デカルトやカントなど
多くの先人の蓄積の上で、哲学を学んでいます。また、数学や論理学も、古代ギリシャから大きく進歩し、その蓄積の上に立っているのです。
このように考えると
ソクラテスやプラトンの思考には
自分で神話の世界を想像する手法
もあったでしょう。これは
現在なら詩人の創作
当時なら哲学者の思考
と言うべきではないでしょうか。このように見ると「ティマイオス」も、「国家」の実現を描いたのだと解ってきます。
繰り返しますが
現在の先入観を意識し
当時の眼で観る努力
が大切と解りました。
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