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「ミュージカル『ジェイミー』」俳優 石川禅の魅力|舞台感想

 舞台に出会ってこのかた、いろいろな作品に触れてきました。たくさんの俳優さんも観てきました。劇場の椅子で鳥肌を立てた経験などは片手では数え切れないほどあります。

個性にあふれる役者に囲まれながらも、ひときわ異彩を放つ人がいます。舞台袖からほんの一歩、板の上に踏み出すだけで、ステージはもちろん会場のすべてを包み込む演技をする俳優さんを、わたしは3人知っています。

ひとりは王道の主人公役からちょっとクセの強い役、ときにはあでやかな女性役までもを軽々こなす、太田基裕さん。

もうひとりは、宝塚トップ娘役の実績をもち、繊細かつ大胆な表現力で多くのファンをとりこにする、花總まりさん。

そして、わたしが知る中で唯一、会場の空気を意のままに操る演技力を備えた名優、石川禅さん。今回はこの人の話をします。


 わたしが彼の演技を初めて観たのは、イギリス発のミュージカル作品が満を持して日本で上演されたときのことです。劇中では、ドラァグクイーンを目指す16歳の主人公をそっと見守る、ひょうきんなおじさんを演じていました。何の変哲もない、けれどときどきみせる仕草に女らしさをのぞかせる、とても不思議なキャラクターでした。

石川禅が演じるヒューゴは、ショードレスを扱うお店を営んでいます。ショーウインドーに燦然と並ぶ、きらびやかな衣装に引き寄せられた少年と、普通をよそおう普通じゃない男性がこの店で出会うわけです。

何を隠そうこのおじさん、とうの昔に引退した身ではありましたが、じつは伝説のドラァグクイーンだったのです。


 華々しい経歴とは裏腹に、どうやら人に言えない過去があるようです。「そんなにおもしろい話じゃないから」と謙遜するヒューゴに、少年は「聞きたい! 聞かせて!」と屈託のないひとみでねだりました。無邪気なオーラにおされ、ヒューゴは肩をすくめながら立ち上がります。

手に持った豪華な布をテーブルに被せ、簡単なステージを作り出しました。まだヒューゴの中に残るドラァグクイーンの誇りがそうさせたのでしょう。

ここまでは、ちょっとだけ変わり者の、普通のおじさんを演じきっていました。わたしは完全に油断していたのです。


そばに置かれた椅子に片足をかけ、すぅ、とおおきく息を吸い込みました。呼吸の音を皮切りに、舞台の奥に控えているバンドメンバーがいっせいに楽器を奏でます。間髪をいれずに彼の歌声が会場のすみずみまで響きました。

その瞬間、それまで「普通のおじさん」だったヒューゴが「伝説のドラァグクイーン ロコ・シャネル」にすっぱりと雰囲気を変えたのです。姿かたちは変わらないのに、まとう空気が「わたしはスターよ!」と観るものに訴えかけていました。

特筆すべきは歌にありました。ヒューゴが歌い始めた途端に、わたしの目も、耳も、肌も、髪の毛の一本いっぽんでさえも、声の圧に気おされたのです。石川禅の表現にからだ全体が圧倒されたのを感じました。個人の歌唱力がすごいなんて次元ではありません。まるでフルオーケストラが入っているかのような重厚さを、たったひとりで演出していたのです。

あっけにとられるわたしをよそに、過去を語り終えたヒューゴはすでにひょうきんなおじさんに戻っていました。うちに秘めたエネルギーを放出するような演技を見せたのは、劇中で一度だけでした。


 どうしてチケットを増やさなかったんだろう! と後悔した舞台は、後にも先にもこの作品だけな気がします。水面下で再演の話が進んでいたとしても、実際にあるのは数年後です。それに同じ役者が演じる保証はどこにもありません。後悔先に立たずとはまさにこのことです。

だからせめて、出会えた感謝を声高らかに叫ぶのです。プロデューサーさん、この作品を日本でやると決めてくれてありがとう! 最高のキャストをそろえてくれてありがとう! そして、推しにオファーを送ってくれて本当にありがとう!


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