うちの母は強かったし私はラッキーだった件

これは母から聞いた話し。

うちの母は20歳で結婚。ちなみに父は19歳でした。
別にありがちなヤンキー夫婦とかじゃなくて、子供が出来ないであろうと思われていた母にできた奇跡の子が私。
体質的に18ぐらいまで女性の日も来ず、来たは良いが安定しないし(半年に1回とか)病院でも原因は不明(おそらく当時は)まあ、私も20歳の時に出来にくいと診断おりましたしね。遺伝かな。

でもバブル期だった当時、20歳そこそこで妊娠なんて肩身が狭かったそう。
母は美容師の夢を諦めないといけなかったし、世間からも後ろ指さされるのは当たり前で、バブル期だからもちろん友人は未婚・独身ばかり、離れていった人もいる。しかもバブルなのに私にはお金が無かったと言っていました。
ちなみに当時は都会住みで母の実家はかなり地方。助けてくれたのは父方の両親のみでした。

そんな母から聞いた話し。

ある日、産婦人科に検診に行くために朝から地下鉄を利用した母は通勤ラッシュに巻き込まれてしまいました。
当時(80年代)は今の比じゃないぐらいの混雑っぷり。でも病院は行かないといけない。

※稼動人口は今より多くて可動交通機関は今より少ない

当然、母は危険な状態でした。
何故って、母はつわりが酷く痩せてしまい、お腹が目立たなかったので、傍目には妊婦さんだとわかり辛かったようです。
窓側に避難したようですが、どんどん押しやられぎゅうぎゅうの箱詰め状態に限界を迎え

「つぶさないで」
「助けて」

と小さく叫んだそうです。

そしたらすかさず、周囲にいた若い就活生の男の子たちが母の異変に気づき、スクラムを組んで壁を作ってくれたそうで・・・

母は感謝してもしきれない、と言っていました。いつの時代も人の優しさが人の心までも救うのですね。

あとから判明したのですが、母は切迫早産の気があって、私も危なかったのです。
その就活生の男の子たちがいなかったら、と思うと・・・

私は子供が産まれたときにその話しを聞いて涙が出ました。
私が生まれていなかったら、うちの子も生まれていなかったわけで・・・

私と母を助けてくださったその方々にもし今後お会いでる機会があればお礼を言いたいです。


ありがとうございます。



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