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復讐は何も生まないよと引き止められるが、私は復讐心で生きられる。
「やめなさい!復讐は何も生まないわ!」
映画やアニメでよく聞くセリフである。
大抵の場合、そのセリフを聞いた主人公は復讐を諦め、敵と和解する道を選ぶ。または復讐に身を焦がすあまりに自滅してしまうパターンもある。
とにかく物語の上で、"復讐"というものは"やらない方がいいもの"とされることが多い。
だけど本当にそうだろうか。
生きていれば誰にでも、"どうしても許せない人"というものがいるものだと思う。
そんな人を見返すために、倒すために、踏み越えるために生きることは、果たして悪いことなのだろうか?
私はそうは思わない。
私にもこれまで生きてきた中で許せない人が何人かいる。私の青春を壊した奴、私の夢を馬鹿にした奴、私のことを裏切った奴…どれも理不尽に私の幸せを壊し、私の精神を酷く乱した者たちだ。
中にはもう10年近く前の学生時代からずっと許せない人もいる。たとえ今はもう会うことがなくても、私の幸せを壊したことに変わりはない。だから許せない。
それでは、許せないということは悪いことだろうか?
これに対しても、私はそうは思わない。
どうしても許したくない人を無理矢理許すことは、自分の心の声に反することになる。それにはとても大きな精神力を必要とするし、心を削る。私に非がある場合は抜きにして、私に何の非も無いのに私の幸せを壊した奴を、私が許す必要なんてない。それをすることで私の心が壊されるようなこと、あってはならないのだ。
そして何より、私の復讐心は、私の創作意欲の糧となることがあるのだ。
私の書く詩やエッセイのほとんどは、実は悲しみや怒りから生まれている。しかしそれらが時に誰かを救うことがあるようで、「あなたの言葉に救われました」という言葉をもらうことがある。
もし私に怒りや怨みや復讐心が無ければ、こんな作品は生まれなかっただろう。そう思えば、復讐心というものは、全くもって悪いものだという訳ではない気がする。
「復讐なんて何も生まないからやめなさいよ」と引き止めてくる人がいるが、それはお門違いである。復讐したいと他人から思われるようなことをした奴を野放しにしておく方が危険なのに、なぜこっち側が我慢しなければならないのか。引き止めるべきは、復讐したいと思われるような行動をした奴の方だろう。世界は間違っている。
だから私は復讐心を忘れない。
一度でも私を傷付けた奴、馬鹿にした奴、見下した奴、認めなかった奴を、私は一生許さない。
そして、そんな奴を踏み越えるために、こうしてありのままに書き綴ってやるのだ。書き綴る、否、書き削る。ガリガリと引っ掻いて喰い千切るように、ここにこうして書き残してやるのだ。
お前のことだよ、
絶対に私の方が幸せになってやるからな。
自分の書いた言葉を本にするのがずっと夢です。