エピローグ「芹沢怜司の怪談蔵書」

「今の話で四十四話目……?」

 白紙の本の誕生経緯は分かった。記された怪談は二度と現れることはないのは本当にありがたいことだ。しかし数が合わない。何を見落としている?

 パラパラと本を捲っていく。どこかに怪談話が載っているはずだ。

 短い話だろうか。縦読み、カバー裏、逆さまにして読んでみる……本を回転させながら最後の怪談話を探す。

 見つからない。

 今度は一つ一つ読み直してみる。長年積んできた読書経験を活かして素早く読み込んでいくもこれといった話はない。
 どいつもこいつも家にいる。確認が取れていないのもあるけど、それもきっと話した場所に出現しているだろう。

 ――確認が取れていない怪異か……。

 この家で話して現れていない怪異――そういえばドッペルゲンガーと交換の儀式は見ていない。配達人も見ていないが、わざわざ紙に書いて来訪を伝えたのだからきっと家のどこかにいるはずだ。しかしこれらを入れても四十四話にはならない。

 参った、お手上げだ。

 本に顔を埋める。これ以上は何も出てこない。

 少し顔を上げて今開いているページに視線を落とす。

【壁の中から】

 知人が初めてあのアパートを訪れた話に目を通す。
 ああ、もしかしてこれか……。記述が短い上にこれ以上の情報はないから見落としていた。

 ドッペルゲンガーの話は二つあったんだ。

「さようならだドッペルゲンガー。君はよく演じたよ」

 白紙の本の話を読み始めてからずっと黙っている知人……いや、彼はもういない。ここにいるのは知人のドッペルゲンガーだ。

 ドッペルゲンガーに別れを告げるとようやく口を開いた。

「やっと言及してくれましたか。どこで気付きました? やっぱりリサイクルショップでの話ですか?」
「疑い始めたのはもっと前からだよ。君は気付いていなかったかもしれないけど、部屋の空間を繋げる話を語ってくれたときだ。昔の話なのにまるで見てきたかのように話していたんだ。その時からこれは私の知っている知人だろうかと思い始めたよ」
「ああ……まあ実際見てましたからね」
「でも半信半疑だった。リサイクルショップの話を読んで確証したんだ。しかしいつから知人に成りすましていたのかわからない。壁の中から聞こえる声の話より後なのは確かだろうけど」
「複合です。思い浮かべてください。ここで語り、未だ確認が取れていない怪異……一つはドッペルゲンガー。これは今判明しましたね。僕の中には二つのドッペルゲンガーが内包しています。壁の中の声に出てきたものとお手伝いさんのものが。
 そしてもう一つ、交換の儀式です。魂が交換されたんですよ。そしてご存じの通り交換されたものは消滅します。僕は壁の中の声の話の後、密かに家に来ていました」
「それは気付かなかった。どこにいたんだい?」
「隣の呪具が収められている部屋です。あなたは掃除しないといけないと思いつつも入らなかったでしょう。だから僕の存在に気付かなかったんです。交換が行われたのは彼が戻ってきた後ですね。確か……魂を抜くカメラの話をしたときですかね?
 儀式の効果は家中に満ちていた。玄関で彼と出会い、交換の儀式が遂行されました。おそらく実際に目にしたから巻き込まれたのでしょうね。一瞬の出来事でした。ボロを出さないよう言動には注意していたはずですけど……早々に出してしまいましたね。無理して話すんじゃなかった」

 知人の姿をしたドッペルゲンガーはやれやれと肩を竦めた。ドッペルゲンガーは出会うと死ぬという危険な怪異だが、こうして話していると普通の人間のように見える。そう思えるのは、自分のドッペルゲンガーではないからだろう。

「それにしても冷静ですね。知り合いが死んで、目の前にいるのは偽物なのに」
「私は過去、何人もの友人知人を亡くしてきた。小学生の頃からずっとね。その人を知れば知るほど喪失したときの痛みは辛いものとなる。だから私は”知人”以上の関係を持たないことにしたんだ。生きているのなら心配をする、危ないことに首を突っ込まないよう注意もする。それでも亡くなったのなら仕方がない。運が悪かったんだ。今回も同じだよ」

 この世は思った以上に怪異が蔓延っている。今日明日、今この瞬間にも誰かが巻き込まれているのだ。知り合って、お互いのことを知ったら悲しみは深くなる。抉られた傷をさらに抉らなくていい。そんなのはもうたくさんだ。

「おや、もう時間のようだね」

 ふと知人のドッペルゲンガーを見ると向こう側が透けて見えるくらい薄くなっていた。

「ああ……そうみたいですね。それでは僕は本と共にこの世から消え去りましょう。怜司さん、短い間でしたけど楽しかったですよ」
「さようなら」

 短い別れの言葉を告げて目を逸らす。

 一回、まばたきをして窓から外を眺めると雲一つない夜空が広がっていた。
 コンビニはない。部屋を出て家中を歩き回る。家に巣食っていた怪異は影も形もない。風呂場も元通りだ。

 最後に呪具が置かれている部屋に入る。元からあった呪具は残っているが、集まってきた呪具はなくなっていた。

 すっかり閑寂とした家に戻っている。

 さあ、今回も生き残ったからにはライフワークである怪談の調査を、死なない程度に始めようか。

 ――おや、これは……白紙の本の置き土産かな。どう編纂されているのだろう。ちょっと読んでみようか。

 本棚から一冊の真新しい本を手に取る。

【芹沢怜司の怪談蔵書】

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