共通テストの「親ガチャ」の問題

たぶん、世間一般から見たら私は経済面に関しては親ガチャ失敗なんだと思う。
でも母子家庭でも一生懸命働いて私を育ててくれて、今も私達家族のことを気にかけてくれる母のことを私は大好きなので「何で産んだんだ!親ガチャ失敗した!」なんてことは思っていない。
我が家は貧困家庭ではあったが母は優しく厳しく私にとってとても良い母であり、今でも仲良しで家庭環境はいいのでその点に関しては親ガチャ大成功である。
(ちなみに私は親ガチャという言葉はあまり好きではない)

共通テストの倫理のとある問題を読んだ。
「親ガチャ」が題材に使われて物議をかもしているらしく、SNSなどでいろんな意見を見た。
「豪邸に住めるくらい裕福な親の元に生まれた子供は運がいい。不平等だ」みたいな会話から始まる。

私も自分の家庭の貧困を意識し出した頃から、綺麗な一軒家に住んでいたり、吹奏楽部で学校の備品を借りず自分の楽器をすぐ買ってもらえたり、大学生になってもバイトもせず親からもらえるお小遣いで遊んでいる人を見るたびよくそんなことを思っていた。
裕福な家に生まれただけでこんなに生活が違うのか。不平等だ!…と。

私が少し前に投稿した「貧乏人の子は貧乏人になる」にも書いていたが、結局親が貧乏人だとほとんどの子供は貧乏な大人に成長すると思っている。少なくとも私自身を含め私の周りは皆そうであるからだ。


それに対して裕福な家に生まれた子供は、小さい頃からいろんな物事に恵まれているため他人を羨み僻むことなく真っ直ぐに、自己肯定感高めな人に成長してまた親と同じように成功していく。
教育にもお金をかけてもらえるため習い事をし、塾へ行き、良い大学へ進学し、一人暮らしも余裕でできるから県外の大学にも普通に行けて、もちろん奨学金なんて借りていなくて、良い企業へ就職する。
そしてもれなく親からの援助や遺産や生前贈与というオマケ付き。

私含め貧困家庭で育った人はそれらを一切持てないことが生まれた頃から確定しているのだ。

倫理の問題文の中で「生まれは関係ない。成功できるかは本人の努力次第」とあった。

それなら、貧しくて塾に行けず自分で勉強して進学校の公立高校へ行き、ほぼ毎日アルバイトをして学費を稼ぎながら大学の授業をこなし、留年せずストレートで卒業して就職してからも必死に奨学金を返し続けていた過去の私は努力していなかったのだろうか。
毎日家事育児をワンオペでこなしながら待機児童の娘と過ごしている今の私は努力していないのだろうか。
これまで一般家庭や裕福な家庭の周りの人たちよりも努力してきたつもりなのに未だに貧困生活から抜け出せないのは私の努力が足りないから?

私は、努力して底辺から這い上がって成功しました〜!みたいな話はほぼ信じていない。

少し前に、地方の高校の女の子が、英語力もお金も味方もなく海外の良い大学へ進学した!と話題になり本まで出版されていた。
しかし、結局は経済的に恵まれた家庭の子で中高一貫の私立学校に通い、親も先生も協力的で高校生の頃から海外へ何度も行って英語の勉強をしていたらしい。何が事実なのかはわからないけれど。

貧困から経営者になった!有名人になった!
みたいな人たちも本人の努力だけではどうにもならないことがたくさんあっての成功だろう。

この問題文の最後の方には、「努力も運次第だからと、努力している人が努力していない人と同じ扱いを受けるのは不公平では」とある。私も不公平だと思う。
努力して必死に勉強して働いて家事育児をしているにも関わらず、貧困なのは努力が足りないからだ!と言われる。
貧困家庭は一括りで「努力していないから貧困なんだ」と同じ扱いを受ける。

そして私の娘も「親ガチャに失敗した子」になってしまうのだろう。
妊娠した時はあんなに嬉しかったのに、今は貧困家庭なのに産んでしまって申し訳ない気持ちでいっぱい。
せめて私も私の母のようなお母さんになって娘と良い関係を作っていけたらいいな。

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