【小説】病院ねこのヘンナちゃん⑫(episode1)
ひとつ前のお話→病院ねこのヘンナちゃん⑪
最初から読む?→病院ねこのヘンナちゃん①
もちろん楓子さんは気分を害したりしない。
優しい気持ちから発した言葉だとちゃんと分かっている。
「なにもあんなに申し訳なさそうに言わなくてもいいのに。
全然失礼じゃないわ、ねえ、ヘンナちゃん。」
裏庭に向かって歩きながら、楓子さんは微笑んだ。
常緑の垣根の向こうは、ヒヨコ先生ご自慢の薬草園と畑だ。
総称として裏庭と呼ばれているが、全然裏っぽくない。
クリニック全体のハブ、まるでお臍みたいにエネルギーの高い場所だ。
裏庭に脚を踏み入れると、アタシはいつもヒゲの先までホワホワしちゃう。
冬枯れの庭で、作業服みたいなジャンパーを着て、首にタオルを巻き黒いゴム長を履いた人が作業をしている。
誰かしら、庭師のオジサンかな。
新しく苗を植える場所の土を起こして、堆肥をすき込んでいるようだ。
「こんにちは。」
楓子さんが声をかけると、その人が振り向いた。
「あーー、楓子さん、待ってたよ。」
え?え?え?ヒヨコ先生だったの?
オーマイガッ!😲
あまりにもキマッテる農作業スタイルに、間違えちゃったよ。
「ちょうどお芋が焼けたところ。一緒に食べよう。」
庭の一画にある屋根付きの休憩所。ひときわ目を引くのが移動式のピザ釜だ。
ねこの形をしているからネコ釜と呼ばれているけれど、別にねこの丸焼きを作るわけじゃないわ。
ヒヨコ先生はこのネコ釜で焼き芋を作るのが好きなの。もちろん芋はこの畑で採れたサツマイモ。
「あっちっちっち…。」
焼けたばかりの熱々のお芋を、軍手をはめた手で真ん中からへし折り、半分を楓子さんに渡す。
山吹色のサツマイモから、ほかほか湯気が上がる。
「うわあ、美味しそう!」
二人は木のベンチに座ると、同時に焼き芋にかぶりついた。
「んふっ!」
「塩もバターも要らないね。」
ねえ、ひと口、アタシにもひと口ちょうだい。
後ろ足で立って、精一杯ベンチに伸び上がる。
カフェでのおねだりはしないけれど、これはいいでしょ?
ヒヨコ先生が、小さく千切った焼き芋をくれた。
はふはふはふ。うっふ~~~ん♡
「美味しいねぇ。私は焼き芋を食べてる時が一番しあわせ。」
まじですか?そりゃこのお芋は、とっても美味しいけれど。
「大好きなこの庭で、自分で育てたサツマイモをネコ釜で焼いて、のんびり空を見ながら食べる…、ね、しあわせでしょ?」
「確かにそうですね。」
「楓子さんは?なにをしている時、一番しあわせ?」
「え?」
楓子さんは焼き芋を持ったまま、かたまってしまった。
そんなこと、考えたこともないという顔をして。
呼吸することすら忘れてしまったかのように動かない。
このまま石になっちゃったら大変!
アタシはちょっと心配になって、楓子さんの脚に体をすりすりした。
楓子さんははっとして、自分の焼き芋を小さく千切ってアタシにくれたけれど、その動作はどこかぎこちない。
ちがう。お代わりを要求したんじゃないよ。
火を入れたネコ釜のそばは暖かく、まだ冷たい風が吹き抜けても気にならない。
ヒヨコ先生は釜に枯れ枝をくべて、火を調節する。
乾いた枝は、パチパチと勢いよく燃え上がった。
「…特にありません。」
楓子さんはつぶやくように言った。
「しあわせを感じる瞬間、…意識したことありません。」
「ふ~~~ん。じゃ、なにが一番好き?」
楓子さんは目を伏せた。
「分かりません。…私は何が好きなんでしょう?」
「そっか。」
ヒヨコ先生は大きな口を開けて、焼き芋をかじる。
もぐもぐもぐ。
「たとえばそうね…、今、口の中に、甘いお芋の味がじわ~~~っと広がって、ああ、美味しいな、しあわせだなって私は思うのよ。
しあわせってさ、なにかすごく非日常で大きなことじゃなくて、こんな些細な瞬間の積み重ねでいいんじゃないかな。
要はそれに気づくかどうか。感じることができるかどうかよね。」
もぐもぐもぐ。
「…しいて言えば、」
「うん。」
「私はこんな時間が好きです。ヒヨコ先生のそばにいると落ち着きます。」
楓子さんが言いたいこと、なんとなく分かる。
ヒヨコ先生は不思議な人だ。
警戒心を抱かせずに、相手の懐にするっと入っていく。
それは誰にでもできることじゃない。
人間には距離感というものがあって、それを侵すと警戒されたりトラブルになったりする。
だからどこまで踏み込んでもいいのか、お互いの懐を探り合い、境界線を越えないように気を付けている。
その点、ねこはシンプルよ。
敵か味方か、好きか嫌いか、瞬時で判断するからね。
「あのね、楓子さん、私が思うに、貴女はもしかしたらHSPかもしれないわねぇ。」
「なんですか、それ?」
「HSPはハイリー・センシティブ・パーソンの略。ものすごく敏感な人のこと。」
「ハイリー・センシティブ・パーソン?」
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