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【小説】病院ねこのヘンナちゃん⑳(episode1)

ひとつ前のお話→病院ねこのヘンナちゃん⑲
最初から読む?→病院ねこのヘンナちゃん①


「もっと誰かを愛したい。もっと誰かに愛されたい。」

絞りだすように出てきた言葉は、楓子さんの本当の気持ち。

自分はどこか人とは違うから、深くは関われないと諦めてきた。

だけど本当は…。

アタシはたまらなくなって、楓子さんの胸に手をかけて伸び上がる。

楓子さん、泣かないで、楓子さん。

アタシは楓子さんが大好きよ。

ミャ~~オ。


ヒヨコ先生は空を見上げながら、楓子さんの背中を撫でている。

…なんて、なんて穏やかで優しい時間かしら。

ほんのたまに、何かのきっかけで、心の蓋が開くことがある。

その時、ただそこに居て、寄り添ってくれる人がいるのは、とてもしあわせなことね。


「もうすぐ春が来るねぇ。」

のんびりとヒヨコ先生が言う。

「ねえ、見て。あそこの一画、菜の花がいっぱい咲くのよ。」

今はほぼ枯れ草色の庭だけど、よ~~く目をこらすと、小さな黄緑色の芽があちこちに顔を出している。


「楓子さん。貴女はもっと愛していいんだよ。

そして愛されてもいいの。

HSPは確かにそのままだと生き辛い。

だけどそれでもこの世界で生きていくんだから、自分の特性をよく理解して、卑下するでも嘆くでもなく、あるがままを受け入れる。

その上で、どうしたらもっと自分がラクになれるか、どんな環境なら自分が苦しくならないかを、よく考えたらいい。

五感からの刺激なら、取り除く努力ができる。

人間関係からくる刺激なら、自分の心を守る術を身につける。

なんでも真っ正面からまともに食らわない。

人の感情に翻弄されず、かわすテクニックも生きる智慧だよ。

人口の15~20%は、HSPだと言われている。

貴女の周りにもいるのよ、感覚が近い人や、その感覚を理解できる人。

HSP同士なら、話が早いかもしれないね。」

楓子さんはショールに顔を埋めて、黙って頷く。


「でもね、HSPではない人とだって、親しくなれるよ。

確かにHSPの感覚の鋭敏さを、体感することはできないかもしれない。

でもどうせ分からないと諦めていないで、本当に親しくなりたい人には説明してごらん。

それも相手がイメージしやすいように、具体的にね。

たとえば大きな声は、耳元でトランペットを吹かれているみたいだとか、ガチャンと物を置く音は、突然雷が鳴った時みたいにびっくりするとか、強すぎる柔軟剤の臭いは、バニラエッセンスを鼻に流し込まれたみたいで苦痛だとか、家電の小さな光が、ビーチの太陽と同じくらいまぶしくて眠れないとか、ちょっとした言葉のトゲが、全人格を否定されたかのように深く刺さるとか。

大切な人にほど、誠意をもって伝えてみて。」

うんうん。でもアタシはイチイチ伝えてくれなくても、分かるからね、楓子さん。

「そうやって環境にも人にも、心を開いていくんだよ。

そうしたら、貴女の”好き”の感覚も、きっと戻ってくる。

貴女のしたいことや居場所も、きっと見つかる。」

楓子さんはショールにさらに深く顔を埋め、肩をふるわせながら何度も頷いた。



アタシはヒヨコ先生と並んで、帰っていく楓子さんを見送った。

「なにかあったら、またいつでもおいで。焼き芋焼いて待ってるよ。」

アタシも!いつでも話聞くからね、楓子さん!

ミャオ、ミャオ、ミャオ💕

「今度は春の養生講座に参加します!」

楓子さんはラベンダー色のショールを揺らして歩き出した。

その晴々とした表情としっかりした足取りに、なにか希望のようなものをアタシは感じちゃう。

探していた答えを…、答えのとっかかりかもしれないけれど、楓子さんは今日、あの庭で見つけたのね。

まず知ることが大事だと、ヒヨコ先生は言ってた。

知って、受け入れることで、次の一歩が踏み出せるって。

HSPの繊細な感覚は、その人を苦しめもすれば、より深く世界を味わう助けにもなる。

楓子さんはきっとこれからHSPのことをしっかり学ぶはず。

そして持って生まれた性質とずっと付きあっていく覚悟で、いろいろ工夫していくんだと思う。

あれ…?なんだかアタシも嬉しくなってきちゃった。

楓子さんがもっともっと自由に、もっともっと自分の心に正直に、もっともっとしあわせになる姿が、目に浮かぶから。

適当に、いい加減に力を抜いて、スルーしながら、軽やかに生きていくのね。


「ねぇ、ヘンナちゃん。

私、子どもの頃、学校の先生を『お母さん!』って呼んじゃったことがあるの。

でもヒヨコ先生も、ちょっとお母さんみたいよね。

おやつを食べながら、ゆっくり話を聴いてくれる、お母さん…。」

さっきヒヨコ先生が火の始末をしている時、楓子さんはアタシにそっと耳打ちした。

うん、多分そう…。

アタシは捨て猫で、お母さんのことをよく覚えていないから、本当のところは分からない。

でも楓子さんが”おやつを食べながら、ゆっくり話を聴いてくれる人”って、説明してくれたから、なんとなくイメージできたよ。

そんな風に、分からない人にも分かる言葉で説明していけばいいのね。

お母さん…っていうのは、褒め言葉でしょ。

でもヒヨコ先生には、伝えないでおくわ。

だって…先生が調子に乗っちゃうと困るから。

これはアタシと楓子さんの素敵な秘密ね。

なんかいい感じ。ミャオ~~~~ン。


「なにさっきからミャオミャオ言ってるの、あんたは?

さ、瀬那がせかしに来る前に、仕事に戻るよ。

今日は薬膳ディナーの予約が入ってる。仕込みをしなくちゃ。」

や~~~ん、待って~~!

くるりと背を向けて歩き出したヒヨコ先生を、アタシは慌てて追っかけた。


~episode 1おわり~

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