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うつ病ニートがアイドルを目指した話②

推しに罪はない

10月。私はケーキを作っていた。

大好きな推しの誕生日をお祝いするためのケーキ。

お父さんはリビングでくつろいでいた。私がキッチンでがちゃがちゃしているのが気に障ったらしい。

『うるさいんだよ!考えろ!!そもそもお前は兄弟の中で1番最低なんだよ!人としても!1番金かけてやったのによ!大学も辞めてまともに働きもせず夜遅くまでほっつき回ってるようなやつが!いい加減にしてくれ!消えろ!!』

あんまりはっきりは覚えてないけど最低って言われたことは一生覚えてると思う

ケーキ作ってただけなのに。推しの誕生日になんでこんな罵倒浴びなきゃいけないんだ!ふざけんな!今日は神聖な日だぞ!(過激)

働いてない訳じゃない、コロナの関係で時短営業になったり人数削減でシフト減らされてるだけ。ほっつき回ってるわけじゃない。電車で一時間以上かかるスタジオに通ってるから遅くなるだけ。

兄は私より偏差値は低いが大学は卒業した、就活して結婚して娘もできた。

姉は大学に通いながら養成所に自分のお金で行って、目指していた業界に就職して今は勢いのある企業に転職して順風満帆。

末っ子の私はどうやら1番最低らしい。育ててくれた親が言う、これはどうしようもない事実なのだ。

自己肯定感のかけらも無い私にはお墨付きの印をつけられた気分だった。

この時あたりから少しずつ調子が狂い始めた。

寝たくても全く寝れない。働いて踊ってヘトヘトになっても。

2日寝れない日もあった。毎日サプリを飲んで、ストレッチして湯船に浸かって、携帯見るの抑えて快眠オルゴールメドレーを聞いても。

リビングに行くのが怖くなった。

家にいるのがとにかく嫌で、レッスンに行けない時は何時間も近所の公園のベンチに座って時間を潰した。

親の顔を見ると少し心が落ち着かない。

さすがに職場の人に心配されて精神科に行った。とりあえずな漢方と不眠症を改善する薬を処方された。

特別薬が効いた実感は無かった。

しょっぱいハンバーグ

そんなこんなで心身ともにギリギリで生きていた。間違いなく推しのおかげです。大好き。ありがとう。

踊っている瞬間は何も考えなくてよかった。体に基礎が染み付いてきた実感もあって波に乗ってる感覚があったから必死になれた。

レッスンから帰ってきてご飯食べようとした。なんの変哲もないハンバーグ。

用意し終えた途端流れ出した涙。びっくりした。なんで?なんで泣いてるの?って思わず声に出しても止まらない涙。はじめての経験だった。

いつもよりケチャップソースはしょっぱかった気がする。

それ以降泣くことが増えた。寝る前とか、部屋でぼけーっとしてると頬に伝っている時が何度もあったし、人前で泣くことも増えた。

涙は心の汗だから気にしすぎちゃダメだよ

ダンスの先生から貰った言葉。心臓は確かに仕事しすぎてるんだろうなと思った。

でも恐ろしいことに追い込まれるのは誠に勝手だった。

お父さんからの言葉だけじゃない。お母さんからは

お前の踊り見て誰が感動するの?ダンサー諦めなよ、どうせなれないんでしょ?お父さんと離婚したらお金貰えなくなるんだよ?このままなら仕事つけば?

お兄ちゃんには

お前がもしダンサーになれなくて一生まともな職に就けなくてお金に困っても俺は助けないからな?勝手に生きろよ?

お姉ちゃんからは

夢諦めろとは言わないけど、はっきり言って今のお前は親不孝だよ

上記に書いた言葉は全て秋から冬にかけてのほんの数ヶ月の話。

家族全員からこんなことを言われて通常どおりに生きれる人が果たしているだろうか。

(てかお兄ちゃんに助けてなんて言ったこと無いのに急に言われて腹がたった。しかもお母さんを通して言われたことがもっとむかついた。)

時は流れて行くにつれて私の心はやつれていく一方。いろんな言葉、先の暗い未来、弱い自分。こんな厳しい世界でどうやって生きていこう。生きるべきなのか?あれ?てかなんで生きてる??

...ああまた長くなっちゃった。多分次もアイドルの話できない。

まあこれ自分の気持ち整理するために書いてるからいいか。誰か出版社の人見つけてくれないかな〜(^.^)

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