[短編小説・児童文学]秘密の友達

 「日比野さんバイバイ」
「うん。また明日」
 放課後の教室。一時の騒がしさが過ぎれば、思い出したようにしんと静まり返る。
 四年生に上がれば、女子はバレー部、男子は野球部に強制的に入部させられる。だけど、私はそこに含まれない。
 クラスのの女子が、皆連れ立って体育館に向かうなか、ぽつんと残る私。
 寂しくないといえば大噓になる。

 「さて、行きますか」
誰にでもなくつぶやくと、私は一人、教室を後にする。
 誰もいない廊下を通って、向かうのは音楽室。放課後も鍵は開いていて自由に入ることが出来る。それは私にとってとてもありがたかった。

 音楽室に入り扉をしめると、いつも通り、ピアノに近い席を陣取る。ランドセルをおいて、課題曲の譜面を取り出し、ピアノの横について姿勢を整える。
 ポーンとラの音を叩く。
「あーーー」
 よしっ。と息を大きく吸い込んで、歌い出そうとしたその時。

 ガラッと音楽室の扉が開いた。心臓が跳ねて、全身に電気が走った。
「ああ、先客さん?」
入ってきたのは、同学年くらいの女の子。明るい色の長い豊かな髪。一度も焼いたことのないような白い肌。快活そうな眉。水色のワンピースが似合う、可愛いこだ。でも、見たことはない気がする。二組か三組のこかな?
 「ぶ、部活じゃないの?」
私からとっさに出た言葉はそれだった。女の子は、
「ああ、私はいいの」
といってこちらに近付いてくる。
「あなたこそ、部活、いいの?」
「私は、免除されてて。あの、体が弱くて、体育も出来ないの」
「ふーん」

 私の他に、免除されてるこがいたのか。じゃあこのこも、体が弱かったりするのかな? でも、そんなこと聞かれたら嫌かな?
 女の子はもう目の前にいて、色素の薄い瞳で私の顔を覗き込んでいる。
「何ちゃん?」
「え? あ。日比野、日比野麗奈」
「麗奈ちゃんね。私、カフカ。遠野カフカ。カフカでいいよ。よろしく」
差し出された手を握ると、カフカちゃんは強く握り返してぶんぶんと腕をふった。その手はひんやりと冷たくて気持ちよかった。

 「で、何してんの?」
カフカちゃんが首をかしげて聞いてくる。そうだよね、その質問は当然だよね。
 「あのね、選抜の合唱団、今年も作るでしょう。で、五月にそのオーディションがあって。四年生になったら、そのオーディションに参加できるじゃない? だから、歌、練習を。その、こっそり」
「えー。オーディション前に練習する人初めて見た。この学校の合唱団て、そんなに力入れてたっけ?」
カフカちゃんは目を大きく開いて驚いている。馬鹿にしているわけではなさそう。

 「カ、カフカちゃんは? 何の用事?」
「ちゃんはいらないよ。私も麗奈ってよぶから。ほら、言ってみて」
「カフカ―ちゃん」
「おしいっ。ま、そのうちでいいや」
といって、カフカちゃんは私の肩を軽く叩いた。

 「あのね、私はね、実はね、噂を確かめに来たの」
「噂?」
何か噂なんてあっただろうか? 安崎先生が実はおめでただとかいうやつ? 音楽室に確かめに来たんなら、音楽の梅木先生が何か噂になっているとか?
「これ、よ」
カフカちゃんはだらりと下げた手を持ち上げてぶらぶらさせる。
「幽霊ー」
「ええ?!」
「本当に知らないんだ。ま、当然かな」
といってニヤリとする。
「幽霊の正体見たり、日比野麗奈!」
カフカちゃんが私を指さしながらポーズを決める。

 「私、幽霊じゃないよ?」
私はあわてて否定する。
「あはは。わかってるよー」
手をひらひらさせて笑うカフカちゃん。
「毎日、練習してたんだね。放課後になると音楽室で幽霊が歌うって、噂になるくらい」
物言いが急に優しくなって、なんだかドキリときた。

 「で、練習の成果は?」
私は正直に
「ぜんぜんダメ」
と首をふった。
 「どのへんが駄目?」
カフカちゃんは、からかうこともしないで、真面目に聞いてきた。ちょとふざけたこなのかなって思い始めてたから、ちょっとびっくり。

 「あ、その、声、全然出なくて。もともと、声小さいし、向いてないのかもしれな」
「でも、練習し続けてる。でしょ?」
カフカちゃんと私の目が合う。ガラス玉のように透き通った瞳から熱が伝わる。
「うん」
私は、頷いた。
「じゃあ、私が力を貸す」
カフカちゃんが私の手を取って握りしめる。さっきと違って掌が熱い。
「うん」
力強く頷いた。

 「じゃあ、私の言う通りにやってみて」
カフカちゃんがドレミの音を叩く。
「らーらーらーらーらーらーらーらーらー」
「お腹に手を当てて。お腹をへこませて声を出して」
私の手に手が重ねられる。ググっと力強く押されて、
「らー!」
自分の者とは思えない声がでた。

 「カフカちゃん!」
「麗奈! すごいよ。ばっちり!」
私達は抱き合って喜んだ。
 それから、二人で発声練習をして、課題曲を歌った。
 声を聞きつけて、誰かが来ちゃうんじゃないかとおもうほど、大きな声で歌った。

 「ねえ、重いもの、あー、そこのオルガンとか。それを持ち上げようとしながら歌ってもすごい声出るんだよ」
「え、すごいね」
「うん。私がいないときは、そうやって練習してみてね」
「うん。わかった」
私はただうれしい気持ちで返事をした。

 「ねえ麗奈。明日も来る?」
「うん。来るよカフカちゃん」
「ねえ、一個約束して。私を探さないで」
「どういうこと?」
「守れないなら、もう来ない」
後ろを向いたカフカちゃんの表情が、見えない。私は急いで返事をする。
「わかった。だから、また明日、ここで」

 そうやって、一週間ほど、毎日楽しく過ごした。
 カフカちゃんは音楽に詳しかった。ピアノも弾けるし、歌も上手い。歌の練習のやり方を知っていた。
 そんなすごさや、一緒にいる楽しさが、私の小さな疑問を覆い隠していた。
 このまま毎日会えるなら、それでいい。どのクラスのこかなんて、どうだっていい。
 ただ毎日会えるなら、それでよかった。

 今日も、そんな楽しい一日の一つだと思ってた。
 「ねえ、そんなに歌うの、好き?」
片付けながらカフカちゃんが聞いてきた。
「うーん。カフカちゃんに会ってから大好きになった。って言ったら変かな?」
「ええ?」
「本当はね、運動じゃなければ何でもよかったの」
私は、すうっと息を吸い込んだ。

 「三年生までは、何度も入院して、学校、ほとんど来れなくて。四年生になる前にもう入院は必要ないってなったんだけど、友達も出来なかったから、学校行くの、すっごく緊張した。でも、いざ登校したら、皆優しくて、気を使ってくれて、いじわるする人なんてほとんどいなかった」
 カフカちゃんは静かに話を聞いている。
 「でもね、皆が、遠いの。親切にしてくれるけど、仲良くはなれてない。なんかさびしくて、でも、それってわがままな気がして」
 息を継ぐ。
 「同じじゃないからいけないんだ、と思ったの。何か、一緒にできることがあれば、近づけるかもって思ったの。ねえ、これって、不純?」

 私は笑って言ったのに、カフカちゃんは、手の甲で涙をぬぐっていた。
「わかるし、わかんない」
「え、どうし」
「わかりたくない!」
カフカちゃんが叫ぶ。
「同類だと思ったのに! 仲間だと思ったのに! 友達だと思ったのに!」
「友達だよ! そうでしょ?」
 カフカちゃんに体を向ける。手を伸ばして触れようとする。でも
「ぜんぜん違うよ!」
そう言い残して、カフカちゃんは音楽室を出て行ってしまった。

 追いかけられなかった。だって、仲良くなったのも初めてなら、友達を怒らせてしまったのも初めてだったから。追いかけて、捕まえて、何を言えばいいの? 何で怒ったのかもわかないのに。どうしたらよかったの?
 静かな涙が出た。誰に向けてでもない、自分だけの声のない涙。ただ悲しい涙だった。

 次の日からゴールデンウィークに入ってしまった。休みの初日に行ってみた学校は、体育館は部活のために開いていたけど、昇降口は閉まっていた。
 カフカちゃんに連絡を取る手段はもちろんない。
 「電話番号とか聞いておけばよかった。スマホだって、持ってたかの知れないのに。私が持ってないけど」
 ここ数日ベッドにゴロゴロしながら、うだうだと考える。

 「あー、もう。何で怒ったの? そんなにひどいこと、私言った?」
 私は、部屋着を脱いで着替えた。わからないなら聞くしかないじゃない。私は、学校に向かった。

 やっぱり昇降口は閉まっていた。先生用の玄関にまわって、忘れ物を取りに来たということにして中に入れてもらった。
 まっすぐに音楽室に向かう。ガラッと威勢よく扉を開けると、
「ギャッ!」
「びっくりしたあ」
「誰? 誰?」
そこにいたのは、同じクラスの女の子三人だった。

 「あれ? 日比野さん? どうしたの?」
内藤さんが私に気付いた。彼女はクラスでも目立つ活発なこで、バレーも得意らしい。
 「あ、忘れ物を取りにきだけで」
「音楽室に忘れ物?」
大口さんは、内藤さんの大の仲良し。お洒落なこだ。
「うちらはちょっと探検。肝試し的なやつ」
浦野さんはマイペースな人だと思う。独特の雰囲気を纏ってる。

 三人は、顔を見合わせた後、私に迫る。
「音楽室の噂、知ってる? 人がいなくなった音楽室で、お化けが歌うんだって」
「し、知らないよ」
とっさに嘘をついた。そのお化け、たぶん私とカフカちゃんだよね。でも、それは内緒にしたかった。
 「そっか。もういこっか。さぼりがばれても嫌だし」
内藤さんが二人を促す。

「ねえ、そういえば日比野さんは合唱どうすんの?」
浦野さんが唐突に聞いてくる。
「あ、オーディション受けるけど」
「ほんと? 受かったら一緒にしゃべろー。私も受けるから」
 私は、突然のうれしい誘いに驚いた。そして、じんわりと胸に期待が広がるのを感じた。
 でも、大口さんは続けていった。
「だって、合唱団に入ったら、バレー抜けれるもんね」
 サーッと一気に体が冷えていった。
 内藤さんは、大口さんの言葉を受けて残念そうに
「えー、バレー、楽しいじゃんね」
と浦野さんに同意を求めてじゃれつく。そこに大口さんが混ざって三人でふざけあっている。
 私は、表情を変えずに三人を見つめていた。

 「日比野さんバイバーイ」
「また学校でね」
「じゃあねー」
にぎやかなままに、三人は行ってしまった。
 私は、音楽室にぽつんと残された。

 寂しさはなかった。
 私は、少しムッとしていた。
 少し、不機嫌になっていた。
 少し、怒っていた。

 私、もっと真剣な気持ちで合唱のオーディションのこと考えてる。一緒の目的をもって、一緒に頑張って、その中でお互いを理解して、仲良くなって、友達になって。一生懸命やろうと思ってる。
 それを、バレーをさぼるためだなんて。酷い。馬鹿にしてる。健康な人ってあんなに傲慢になれるの? ああ、なんて不純!

 不純?
 カフカちゃんことを思い出す。カフカちゃんは、歌が好きだ。歌を愛してるといってもいい。ものすごい知識量と練習量を彼女の背景に感じる。
 カフカちゃんは、私もそうだと思ってたんじゃないだろうか。私が、カフカちゃんのように純粋に歌うことを愛していると。
 それなのに、私、歌は友達づくりのためなんて言ってしまった。私は、彼女の期待と信頼を、裏切ってしまったんじゃないだろうか。

 そこまで考えて、私は首を振るった。
 ちょとまって、それって、カフカちゃんの勝手な思い込みじゃない。勝手に同じだって思って、違ったら怒って。それって、それって、今の私と一緒じゃない。

 思いっきり息を吸い込んで、吐き出す。
「カフカあー! ごめーん。でも、カフカも酷いよ。まるっきり一緒なんて、そんなことないけど、一緒にいるの、楽しかったじゃない。私、真剣に歌ったよ? そこは本当だよ。ねえ、仲直りしようよー!」

 わあんわあんと声の名残が消えていく。ここで叫んだって、何にもならない。
 私、カフカを探す。どんなカフカだって、受け入れるんだ。

 私は、二組の先生に会いに職員室へ入っていった。
 「先生、二組の遠野カフカさんに連絡を取りたいのですが、連絡先って教えてもらえませんか?」
「んん? 遠野カフカさんなんて生徒、二組にはいないよ?」
「え? 本当ですか? じゃあ三組には?」
「いないいない。名簿にも載ってないよ」
「そう、なんですか」
「何か勘違いしたか?」
「そうみたいです。すみません。失礼します」

 私は、靴を履くと、一目散に走って帰った。
 カフカ、カフカ。
 幽霊はそっちじゃん。

 走りすぎたせいか、家へ着くとぱたりと倒れた。連休が終わるまで、ベッドで大人しくすることを両親から命じられると、私は大人しく従った。

 休み明け、両親の了解を得て学校へ向かう。一日中そわそわと過ごし、遅々として進まない時計の針を何度も睨んだ。

 お待ちかねの放課後。私は誰より早く教室を出ると、音楽室に向かった。
 誰もいない音楽室に飛び込んで、カフカを呼ぶ。
「カフカ! 出てきて! 私、幽霊でもいいから。 ねえ、カフカ!」

 その日からも毎日、音楽室に通うけれど、カフカが来ることはなかった。

 そうこうしているうちに迎えた、オーディション当日。
 いつもの音楽室で、一人ずつみんなの前で歌う。
 伴奏が始まる。息を吸う。出だしのレ。メロディを流れるように正確に。サビのフォルテ。お腹から声を出す。
 大きな口を開ける。眉と頬をあげる。恥ずかしさなんてなかった。
 ただカフカと歌ったように歌う。
 カフカに届くように歌う。
 ねえ、カフカ、聞こえてる?

 オーディションは合格だった。
 全員が歌い終わった後、皆の前で合格者が発表された。
 私の名前が呼ばれたとき、皆が大きな拍手をくれた。
 歌うのは恥ずかしくなかったのに、拍手はものすごく恥ずかしかった。

 梅木先生は総評で、今年のコンクールへの大いなる期待を語ってくれた。
 大口さんも合格。私のもとに寄ってきて、
「ねえ、歌うの楽しみだね」
と声をかけてくれた。

 それから三日ほどたった頃。放課後の合唱練習が始まる直前、私は梅木先生に呼ばれて、一緒に保健室へ向かった。
 「失礼します」
何事だろうと、保健室のドアを開ける。
「ああ、来てくれてありがとう」
養護の上原先生が迎えてくれる。上原先生には一年の頃からずっとお世話になってる。ほんわかした優しい先生だ。

「ほら、出てきなさい。話したいって言ったのはあなたでしょ」
梅木先生が、カーテンのひかれたベッドに向かって話す。梅木先生は音楽指導に熱心なパワフルな先生だ。
「もう、引っ張り出すわよ?」
「自分で出るー」
聞きなれた声がした。

 声の主は、白いカーテンを開けて出てくると、照れくさそうに頭をかきながら、
「麗奈、合格おめでとう」
と言ってくれた。
「カフカあ!」
私は、会いたかった人にやっと会えた喜びで、カフカに飛びついた。
「なんで? 幽霊じゃ? でも、なんでもいい。会いたかった。ごめんね。カフカ」
「幽霊じゃないよ。私こそごめん。あんな態度、なかった」
 二人で抱き合って、きゃあきゃあと声をあげた。目には涙が滲んでいたけど、私たちは笑った。

 体を離すと、私はカフカに聞いた。
「で、カフカの正体って何なの?」
「保健室登校児だけど?」
「二組にも、三組の名簿にもいなかった」
「私、五年だけど?」
「それは、調べてない」
「探すなって言ったじゃん」
「それは、ごめん」
「いいよ。そんなこと」

 「さあて、遠野さん、約束通り日比野さんを呼んできたわよ。これで明日から教室に登校するのね?」
梅木先生がいたずらっぽく言う。
「はい」
「無理はしなくていいのよ」
今度は本当に心配しているのがわかる言い方だ。
 「別にいじめとかがあったわけじゃないし。麗奈が根性見せたから、私も頑張る。しばらくは」
カフカもいたずらっぽい言い方をする。
「それに、声楽、ちゃんとやりたいし。語学とか必要だし。まあ、家庭教師で十分なんだけどね。ニシシ」

「そうそう、あなた達、よく保健室で一緒に過ごしてたのよー。気付いてなかった?」
「え、あのずっと閉まってたカーテンの中、カフカ?」
「いや、そっちこそカーテンから出てきたことなかったじゃん」
私達は目を見合わせて、プッと二人で噴き出した。
「あはははは」
二人の笑い声が調和して、保健室に響いていた。


おわり

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