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想定してるコンテンツに「世代差」を感じますw:読書録「新しい教養としてのポップカルチャー」

・新しい教養としてのポップカルチャー マンガ、アニメ、ゲーム講義
著者:内藤理恵子
出版:日本実業出版社

僕自身は「ポップカルチャー(サブカルチャー)」には一定の理解がある人間だと思っています。
ただまあ、サラリーマン生活も後半になると、ナカナカ日常的にどっぷりって感じにはならないし、アップデートもされてないので、
「今だとどんな感じなのかな?」
とふと思って、読んで見ました。
「さすがに世代が違うわ」(作者は79年生まれ)
と感じる一方、
「ちょっと思ってたのとは違ったかな?」
ってとこもありました。


「マンガ」に関しては、ピックアップされているのは「銭ゲバ」(ジョージ秋山)、「男おいどん」(松本零士)、「罪と罰」「火の鳥」(手塚治虫)、「ザ・ファブル」、伊藤潤二、「攻殻機動隊」…あたり。
僕は「マンガ」は比較的ずっとフォローしてきた分野だと思ってるんですが、その観点から見ると、「ちょっとオールド寄り」な感じ?
というか、その作品と「ドストエフスキー」を比較するあたり、「新しい教養」としてはどうよ…って思わざるも…。


「アニメ」に関しては、「アニメ論」というよりは、「就職氷河期がいかにアニメに影響しているか」…みたいな論展開になっています。
作者自身が「就職氷河期」で酷い目にあってるってのもあって、なんとなく「怨念」を感じさせるような記述もw。
これも「現実社会の諸相を<アニメ>というジャンルから見る」という観点からは面白いのかもしれませんが、「新しい教養として」という視点からは「う〜ん」って思っちゃいます。
まあ、「社会科学分析を<アニメ>で行う」というところに「新しい教養」の切り口があるのかもしれませんが、そうだとすると手法や視点は「新しい」かもしれませんが、「教養」そのものはアップデートされてないように感じます。


「ゲーム」の章には、「ゲームの歴史」のような概論もあるのですが、焦点が当たるのは「龍が如く」シリーズとドストエフスキー(死の家の記録)との比較だったりします。
「どんだけ<龍が如く>が好きやねん」
ってとこは微笑ましかったりもするのですがw、ドストエフスキーを持ち出すあたりには「古臭さ」も感じなくもないです。
V Rゲームなんかにも言及してて、「アニメ」パートほどパーソナルな経験に引っ張られてはいませんが。



もちろん、「教養」そのものをどう定義するかってのはいろいろありますし、何もかもが新しく置き換わっていくことを良しとはしません。
古典には古典の良さや、人間・社会への厳然とした影響力があると思っています。
僕自身は「教養」の基本的な部分は「古典」が支えるものと考えています。(学問としての蓄積も含め)
でも「新しい教養としてのポップカルチャー」とか言われて、「古典」的にポップカルチャー(マンガ、アニメ、ゲーム)を捉えて、「古典」を学ぶような擬似的な講義を期待しちゃってたんですよね。
それ自体、「遊び」なんですが、作者はもっと真面目で、「古典」と「ポップカルチャー」を結びつけるような視点や手法を論じていた…という…。
まあ、これは僕の方の読み違い・誤解ってことなんですけどw。



作者自身はマンガもアニメもゲームもかなり踏み込んで楽しんできているようです。
その意味では、本書のバックボーンにあるポップカルチャーに関する「蓄積」は馬鹿にできません。
そこから、もっと概論的な「ポップカルチャー論」を読ませてほしかったな…ってのが僕の感想です。
読んでる間は結構楽しんでたんですけどね。(怨念やら、どハマり具合が面白くてw)



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