見出し画像

まっとうな評論です。:読書録「ミヤザキ・ワールド」

・ミヤザキ・ワールド 宮崎駿の闇と光
著者:スーザン・ネイビア 訳:仲達志
出版:早川書房

画像1

アメリカの日本アニメ研究者による「宮崎駿」論。
個人的には<クリエイター>の個人史やトラウマなんかと<作品>を絡めて論じる評はあまり好きじゃないんですが(そういう意味じゃ、80年代の<テキスト>ブームの残滓があるのかもw)、ある種の「同時代感」を一方的に持っている「宮崎駿」が題材というのと、海外の研究者の論ということで、若干スキャンダルや暴露話めいてしまう国内の評論とは違うかな、と思って読んでみました。


基本的には「カリオストロの城」以降の宮崎駿監督の「長編作」を一つずつ取り上げて論じながら、監督になる前の個人的経験&アニメ製作+漫画版「ナウシカ」を取り上げています。


本作はもとも「宮崎駿」の個人史や思想と作品の関係を説くことを目的にしています。
作者が「作品」に影響しているとして考えているのは、概ね以下ですかね。

①第二次大戦の個人的経験
②結核を患っていた母親との関係
③東映時代の労使交渉の経験

思想的には「現代社会のあり方」に対する<怒り>や<疑問>が、その時々に作られた作品の中に反映している点を指摘しています。


正直言うと、目新しい指摘はなかったかなぁという印象はあります。
戦争体験の中で、避難の時に近所の人を「見捨ててしまった」経験なんかについては、「そうかな」と思うところもあれば、「ちょっと強引過ぎない?」ってのもあるかな。
でもまあ、全体としては、突飛な関連付けはほとんどなく、ある意味「穏当な」論になってるんじゃないか、と。
僕は面白く読むことができました。


しかし、考えてみれば、こんな風に「アニメ監督」個人を取り上げて、<まっとうな>評論を書けるってのが、「宮崎駿」の特異性なのかも。
同志としては「高畑勲」がいますが、彼の作品を論じるときには<絵を描き、動かす存在(もちろん宮崎駿がその中心なんですが)>を抜きには論じれないでしょう。
「富野由悠季」「押井守」もそう。富野由悠季の場合は「ジャンルの制約(ロボットもの)」というのもあります。
「廣野秀明」「細田守」「新海誠」…あたりは「今後」はあり得るかもしれませんが、まだ社会的インパクトという点では届かないでしょう。


「ピクサー」は<個人>より<集団製作>として作品の水準を高めています。
マーベルをはじめハリウッドの「エンタメ映画」はそういう方向に向かっているように見えますね。
それに比して、「エンタメ」なんだけど「個人」(監督・脚本)の色が強い作品が多い「日本アニメ」ってのは、ちょっと変わってる。
その最たるものが「宮崎駿」w。
だからこんな本が書かれるんですよね。


現在、宮崎さんは最新作を製作中。
「高畑勲」亡き後のその作品がどういうものになるか。
多分、相当「個人的」なもんになるんじゃないかと。
それを本書の作者がどう評するか。
ちょっと楽しみではあります。

#読書感想文

#宮崎駿

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?