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「教師」されてはったんやなぁ:読書録「往復書簡 限界から始まる」

・往復書簡 限界から始まる 
著者:上野千鶴子、鈴木涼美
出版:幻冬舎

<本書が男の読者に届くとはあまり期待できないけれど、男たちの感想を聞いてみたいものです。>(上野千鶴子)

畏れ多い。
とてもしっかりした感想を書ける気がしません。

元・AV女優、元・日経新聞記者にして、研究者・フリーライター鈴木涼美さんと上野さんの「往復書簡」。
確か林伸次さんのnoteで紹介されて、ブレイディみちこさんの書籍にも言及されてるのを読んで、購入したのだと思います。
不勉強ながら「鈴木涼美」のことは知らなかったんですが(漠然と「そう言う経歴の方、いたかなぁ」…くらい)、最初は「ちょっと読むの面倒くさそう」と思ってたのが、すぐに引き込まれちゃって、最後まで興味深く読み終えることができました。
まあ、梅雨明けのベランダで、陽の光を浴びながら読むのに相応しい本だったかどうかは、「?」ですが。

引き込まれた一番の理由は、話が「一般論」から鈴木さんの個人的な経歴や体験、親子関係等々、かなりパーソナルなところに踏み込んで行って、そこに上野さんの、これまたかなり個人的な経験や考え方が重ねられるようになって、そこからコロナ禍の時事的な事件(森さんの辞任あたり)なんかも重なりつつ、言葉が行き来する展開になるのがスリリングな感じがしたからですかね。
「仕掛け」たのは上野さんの方。
最初の鈴木さんの、ちょっと「構えた」ような書簡に対する切り返し、そこから序盤の踏み込み具合ってのは息を飲まされるところがありました。
出口さんとの対談で、「組織人」として、そして「教育者」としての「上野千鶴子」の姿ってのをはじめて知ったんですが、優れた「教育者」としての先導(扇動?w)を見るようでした。
いやぁ、こりゃ、怖い(向き合いがいがあるという意味で)先生やったろうなぁ。
退官記念出版の話とか、枯れなさすぎでしょw。

ぶっちゃけ「刃」は<男>に向けられています。
「いや、そんな、気にせんでええよ。<男>のことなんか。もっと自分で自分らしくあればいいちゃう」
とか、生ぬるいこと言ったら、バッサリ…やろな。
「構造と主体」
その「構造」を支えてるのは誰なのか…って話でもあるし。

<どうして性暴力の問題を解決しなければならないのが、被害者側である女性なのか、わたしには理解できません。男の問題は男たちが解くべきではないのか、なぜ女性からの信頼を失墜させる痴漢男性に男たちは怒らないのか、なぜ痴漢撲滅の運動を男性たちは起こさないのか。それどころか女性からの告発を不当な訴え扱いして「痴漢冤罪」説ばかりを主張するのか、セクハラ男に最初に怒ってよいのはセクハラしない男たちなのに、なぜ彼らは怒る代わりにかえってセクハラ男をかばおうとするのか、風俗を利用する男たちはなぜそれを恥だと思わないのか…ほんっとに男って、謎だらけです。>(上野千鶴子)

ここにある「構造と主体」の構図は、<男>たちが向き合うべきものでしょうね。確かに。
まあ、ちょっとは変わってきてるとも思ってるんですけど、「全然、足りんわ!」っちゅうことか。

感想としちゃ「逃げ」やな。
自分が向き合うべき「構造」を「言語化」できるかどうか分からんし、するようなことなのかも分からん。
「読んで良かった」
そう思ってるのは確かですけど。


本作そのものとは少しずれる話ではあるんですが、
鈴木涼美の父親である「鈴木晶」は、高橋和巳の妻「高橋たか子」の40年来の弟子で、鈴木晶は高橋夫妻の著作権代理人を務め、今も高橋家の鎌倉の自邸に住んでいる
…って背景(上野さんが最後に触れられています)に、なんか不意をつかれました。
その「構図」が鈴木さん個人にどう言う影響を与えているのか、それは分かんないですけどね。


#読書感想文
#限界から始まる
#上野千鶴子
#鈴木涼美

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