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思い出「大人達への怒り」

【クソガキ】

8歳の時。

俺は、学校が終わって家に帰ると、もちろん宿題なんてやらなかった。

この頃、母親も仕事に出かけていて、家に帰るといつも誰もいない。

俺は、家に帰ると何も考えずに外に飛び出し、友達の家に直接向かった。

遊ぶ約束なんてしていないのに、友達の家に行くと遊んでくれた。

そして、何して遊ぶかなんてその場で考え、即興で遊び始める。

プラモデルで遊んだり、近くの空き地に行ったり、本屋で立ち読みしたり。

目的も無くふらふらして、ただそれだけが楽しかった。

そして家に帰って、翌日の学校の支度をする。

俺は、時間割なんて見ないで適当に教科書をランドセルに突っ込んでいた。

ノートも適当に突っ込んで、教科別に分けてノートも書いていない。

俺は、本当にあほなクソガキだった。

この頃、強制的に朝30分勉強させられていた。

この時間に宿題をやって、学校に向かう。

いつも朝の30分では宿題をやり切れず、そのまま学校に向かった。

当然、毎回宿題忘れだ。

でも俺の馬鹿加減は、こんなものではなかった。

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【子供の抵抗】

学校に到着し授業が始まる。

その日の時間割なんて全く解らないまま、適当に持ってきた教科書。

当然、その時間の科目の教科書は無く、忘れもの扱いになる。

時には、筆箱すら忘れる時もある。

もう全く授業を受ける気なんてなかった。

毎回誰かに教科書を見せてもらい、鉛筆を借りて授業を受ける。

この頃の俺は、こんな状態でも全く恥ずかしくはなかった。

何故ならこれは、俺なりの大人たちへの反抗だったから。

人の気持ちを全く聞かず、ただ自分の意見だけを相手に通す。

そんな大人達に、心底嫌気がさしていた。

だから大人達の言う事なんて全く聞く気はなかった。

この時は、もう既に何を言っても無駄だと完全にあきらめていた。

でも、1つだけ大人達に質問した事がある。

それは、嫌いな勉強を何でしないとならないのか?

でも、この問いに答えてくれた大人はいなかった。

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【女の涙】

俺は、このまま大人の言葉を無視し続けて学校に通っていた。

教科書もノートも準備は適当にランドセルに入れてく生活が続いた。

授業が5時間目まであるのに1つの教科書しか持っていかない事もあった。

そして俺の忘れ物があまりにもひどいので、先生は罰を与えるようになる。

それは、忘れ物をしたら机の上に正座して授業を受けるというもの。

でも、この罰を与えられる事になっても全く気にせず忘れ物とし続けた。

そして俺は、毎日わすれ物をして机の上に座っていた。

それでも俺は、全く気にならならずどうでも良かった。

この状態が続き先生も流石に参って、俺にだけ特殊なルールが設けられる。

それは先生の席の後ろの棚に俺の勉強道具を全部置いといて良いという事。

多分こんなルールが成立したのは世界でも俺1人だけだろう。

それほど、あほなクソガキだった。

ある時、担任の松田有希子先生が本気で俺に問いただしてきた。

「何で貴方は忘れ物しない様に出来るのにわざとやらないの?」

そう聞かれた。

俺は、この問いに対し「勉強する意味を教えてくれ」と、返事した。

そうしたら、先生が涙目になって「またその質問なの?」と言ってきた。

そして、黙ってしまいもう帰って良いよと言われて変える事にした。

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【大人達】

俺はこの日、1回家に帰ったが、もう1度学校に戻た。

そして、先生の席の後ろにある勉強道具を全部持ち帰った。

そして、次の日。

先生は、当然後ろにあった俺の勉強道具がないのに気が付いた。

その事を俺に訪ねて来たので「全部持って帰った」と答えた。

そして俺は、「もう忘れ物しないから大丈夫でしょ」と先生に言い放った。

この時先生は「そうなのね」とだけ言い授業を始めた。

そして俺は、もう忘れ物をしていかなくなった。

なぜ俺は、教科書を持ち帰ったのか。

それは、俺が女性の涙を見たのが初めてだったから。

その時なぜか「俺は頑張らないといけないな」と思えた。

これが、誰でもある男の本能だったのかもしれない。

もう今は、勉強する意味も解る。

勉強しておかないと、好きな事やりたい事が出来た時スグに始められない。

大人が自分の意見しか言わない気持ちも解る。

大人でも、自分の事だけかまってちゃんという大人園児もいるという事だ。

相手の言葉を聞かないと、その人の真実の気持ちが解らない。

俺は、わが身の事と痛烈に反省して、子供の時の自分に後悔した。

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