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十年偉大なり、二十年畏るべし、三十年歴史なる、五十年神の如し

先週この記事の「川崎」さんが会社にこられました。何かといえば、横長の巻物みたいな集合写真をスキャンして欲しいとのこと。現物は大きいので、新聞社からデータでほしいと依頼があり、持ってこられたものです。

#日経COMEMO #NIKKEI

当社はこういうのもしています。新聞には載らず、電子版で載っていますが、実物は左右にもっと長く、高さも30㎝くらいあるので、結構な迫力でした。

これ見てもわかるように、ハレの日だからかもしれないが、皆さんいいものを着ておられます。子どもらもソックスはいているしね。もしかしたら同時期の日本の子どもらは着物に裸足、下駄であったのかもしれません。

私はこの川崎さんとは長いお付き合いで、この記事にもある「ハワイ移民資料館 仁保島村」にも何度か伺ったことがありますが、私財をなげうってとはこういうことかと、圧倒されました。

一度は熊本の友人から「モロカイ島の日系三世で、アイリーンさんという広島移民の友だちがいる、ひいおじいさんらの旅券があるけれど、出身地を探せないだろうか。今度来日するので、広島に行きたいということで…」

ということでメールで送っていただいた資料にあった旅券には「仁保島村」とありました。たまたまそこの公民館の館長さんが知り合いだったので、聞いてみると「仁保ならハワイ移民に詳しい人がいる」と川崎さんを紹介していただきました。タイトル写真はその資料館です。

お目にかかって「こうこうですが…」とお話しした所、「ご先祖探しは遺産分与とか財産に関わることが多いので、基本お手伝いしてないんですよね」とのこと。

渡航許可証

そこを「アイリーンさんはモロカイ島から来られて、ご先祖さんの旅券はこちら~」とお見せすると、「えっ!モロカイ!それは珍しい」と一気に調査モードに入られました(アイリーンさんに聞くとモロカイは8000人位しか住人がいない小さな島なので、広島からの移民は珍しいかも?とのこと)。

日本帝国海外旅券

昔のパスポートは写真がないので「特徴」というのがあるんですね。これ見て本人確認をしたんでしょう。

このパスポートやビザには姓名欄の所に「移民」としてあり、このお婆さんは、旦那さんに呼び寄せられたとあります。なるほど呼び寄せる人がいないと行けなかったということか。

しか~しである。川崎さんによると

「この時期は移民は制限されているので、旦那さんが最初に行ったわけじゃないでしょう、曽祖父さんらが先に行って呼び寄せたんじゃないかな?」とアイリーンさんに聞くと

「ああ、そういえばそんなこと聞いた事があります。曾祖父母はその後帰国したらしいけれど、その後はわからないんですよ」というので、「じゃあその後も調べてみようか」との事だったそうです。

等々、戸籍を見たり、色々話をした後「場所はわかりました」とのことで、案内してもらいました。なんと「この坂道の30軒のどちらかがご先祖さんのご出身場所(土地)でしょう。後でもう少し調べて、ご親戚、縁者がいるかどうか確認してみましょうね」とまでしていただきました。
結局その後ご親戚や縁者は見つからなかったものの、アイリーンさんにとっては素晴らしい出来事だったと、後日感謝のご連絡をいただきました。

私はこれを目の当たりにして大感動しました。今は行政も「個人情報」等でこういうことは積極的に関わっててもらえないし、ルーツ探しが目的で、決して金銭的にどうのこうのということでもないので、調べる所もありません。市井のボランティアとはいえ、川崎さんが偉大な仕事をしていることに敬服しています。
先年アフガニスタンで亡くなった中村哲氏も私財や自分を投げうって、混乱のアフガニスタンのために活動されましたが、川崎氏も同様です。行政やアカデミズムが手を伸ばさないハワイ移民についての取り組む姿勢にただただ頭が下がります。
タイトルは中国の格言からです。

今回この記事は日経が取り上げましたが、どうやら地元紙はスルーのようですが、本当にそれでいいの?

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