見出し画像

#10 みんなデコボコでいい インクルーシブ教育をめざして

大学の教職課程で「特別支援教育」のことを取り上げる時、学生に紹介している詩がある。

「私と小鳥と鈴』
私が両手をひろげても、

お空はちっとも飛べないが、

飛べる小鳥は私のように、

地面を速く走れない。
私がからだをゆすっても、

きれいな音は出ないけど、

あの鳴る鈴は私のように、

たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、

みんなちがって、みんないい。

『みんなちがって みんないい』 金子みすゞ

■インクルーシブ教育をめざして

15年前、札幌市で新設の高校(普通科・単位制・三部制・定時制)の開設準備にあたった。

身体や発達の障害をはじめ精神疾患、性的マイノリティ、不登校、中退者、貧困、学びなおし、渡日・外国籍生徒など、多様な生活背景と学習歴を持つ生徒たちの存在を強く意識し、インクルーシブダイバーシティ多文化共生を合い言葉にしながら制度設計に取り組んだ。

全国の先進校や市内の各種施設を視察し、個別支援計画や日常の対応、コーピング・リレーション、カウンセリング、コーチング等について学んだ。

蓋を開けてみれば、入学希望者は、新しいタイプの高校に可能性を求めてチャレンジしたいという生徒だけではなく、自閉症スペクトラム・アスペルガー症候群、その他の広汎性発達障害、ADHD、LD、ディスレクシア、性的マイノリティ、社会不安症、対人恐怖症、緘黙、自傷行為、オーバードーズ、希死念慮を抱く生徒、IQが130〜140もあって対人関係に摩擦が生じたり、生きづらさ、困りを感じている生徒など実にさまざまで、正にダイバーシティ・ハイスクールとなった。

開校2年目あたりから、多くの生徒が弱さの情報公開ができるようになり、噂が噂をよんで競争倍率が3~5倍で推移する学校になっていった。

本当は受験者みんなが入学できればいいのに・・・・

開校と同時に私はこの学校で教頭になり、副校長、校長も経験した。

教員も覚悟のうえで異動希望してきているだけあって受容力と対応力が高い。

常駐のSCが3名、いつでも即対応してくれるSSWが1名、通級制度の導入など、支援体制も徐々に充実していった。

■異なる属性を受け容れること

一見すると家庭的に恵まれている子たち、定型発達の子たちも、気付きの連続だった。

自己と異なる属性の子たちと出会う中で、受容するマインドが育まれていった。

大小の違いはあるけれど、みんなどこかで傷を負いながら辿り着いた居場所だから。

もちろん、完璧な個別最適には至らないもどかしさだってある。
綺麗ごとで片付けられないこともある。

大変な対応に心が折れそうになったこともあった。

でも、生徒たちが弱さを絆に日々成長していく姿を見せてくれることが私たち教員の心の支えになった。

様々な教育プログラムを構築し、当時、高校としてはまだ珍しかったコミュニティスクール(学校運営協議会制度)も導入し、外部とのつながり方もバラエティに富み、エキサイティングだ。

第三の居場所として校内カフェをつくり、PTAや外部の方々からの支援もいただいている。

リカバリーできた生徒は強い。

竹の節のようなものか。

でも、彼らにとって、これから先の人生のほうが長い。

この先にもデコボコ道はたくさんあるけれど、つまずいた時、どうやって立ち上がればいいか学び続けてほしい。

教育の原点、意味ある学びの在り方を示すという意味で、社会に一石を投じ、多くの人に関心を持ってもらえる学校になったことをともて嬉しく思う。

そして物語は続く。

高校教師を退職した今、大学教員として、またNPO法人の一員(学校の外のオジサン)として、未来をつくる子どもたちの支援に回っている。

本当は全ての学校がこうなればいいけれど、ヒト、カネ、モノ、施設設備等の条件のすべてを満たすことは難しいのかもしれない。

いや、学校もみんなちがっていいのか。

それぞれのスクールミッションスクールポリシーがあって、そこで最適化することが大切なのだろう。

そして私は、教職を志す大学生たちがインクルーシブ(包摂)教育の理念を深く理解できるよう支援しよう。
デコボコの私だけど。