起業物語② 誰のためにも役立たないけれど、自分にとって大切なこと
突然書き始めた、起業までの物語シリーズ。会社員から少しずつ立ち上げていった活動を振りかえっています。
0.会社員からの独立
1.ヒモ解き職人として
今日は、ヒモ解き職人として起業して、とりあえず毎月コンスタントにお仕事をもらえるようになった「その後」から書き始めることとします。
2.クライアントワークからの転換期
時は、2019年。
自分で「ヒモ解き職人」という看板を掲げて、2年が経過した頃だった。本当にありがたいことに、自ら発信をしなくても、継続のお客様やご紹介のお客様が来てくださり。
壁打ちを中心に、コンテンツを体系的にまとめた資料制作や、書籍化に向けた企画をまとめるサポートなど、仕事は順調だった。コロナ前だったが、仕事の大半はオンラインで完結、自宅からオンラインで仕事をできる環境も整備でき、手に入れたかった「働き方」も手に入っていた頃だと思う。
でも、その頃から「ちょっとした違和感」を感じるようになっていた。その違和感が一気に言語化されたのは、この本に出合ったことがきっかけだった。
私の発信を数年前からご覧になっている方にはおなじみのこの本。本の一節に書いてある言葉に、当時の私は無性に心を持っていかれた。
仕事は人並みに順調だったし、お客様から求められる仕事もあった。だけど、もしその間に「誰の役にも立たないけれど、自分にとって大切なこと」が消えていっているのだとしたら、、そう思うとぞっとした。
その時の私は、何が自分にとって大切なことなのか、まだ漠然として見当もつかなかったけれど、まずは自分のために採算度外視に使う時間をとることに決めた。
毎朝始業前の30分を「アトリエタイム」と名付けて、自分のやりたいことをやる時間とした。それは時に、自宅のインテリアを整えることであったり、小さなルーズリーフに編集長になったつもりで自分の見聞きした事柄を記事さながらにまとめる遊びだったり。
仕事とは一切関係ない「自分の好き」を詰めたイベントや企画もいくつか勧めたりもした。
・子ども育てを超・面白がっている人たちを集めての飲み会「子ども育てを面白がる人の会」→「常に予測不能がつきまとう子育てをも楽しんでいる人は、きっと人生を楽しむ達人である」という仮説の元、私の独断と偏見でメンバーにお声がけ。シリーズで数回開催。
・和の文化が好き!(好きそう!)という共通点でメンバーを募った「こだわりびとの会」という飲み会はみんな浴衣で集合!→みんなカッコよかったし、こういう何かしらの共通点で集うって本当に楽しい!
・人の人生を聞くのが大好き過ぎて、「深雪の部屋」と名付けたYOUTUBEチャンネルでは、大好きな方の人生の一言をインタビューする番組を立ち上げてみたりした(サブタイトルは、人生の”点と線とその先”)→快くご協力くださった方々、本当にありがとうございます、、!この経験がもとに、2020年にはラジオパーソナリティとして「ヒモトーク!」で和の達人を毎回ゲストに1年間番組を回す経験もしたのでした
こうやって書き出してみると、2019年の私は、ヒモ解き職人として活動をしながらも、その肩書きにとらわれずに自分の「感性」であれこれとチャレンジしていた頃だったなと感じます。(採算度外視、という言葉をキーワードに、それが何につながるかは一旦脇に置いて、素直に行動していた時期だったなぁーー)
社会人として働くこと、約20年。その間、所属する会社や顧客のために、独立してからは、クライアントさんが求める要望を叶えようと必死だったけれど、ここで一度舵を切り替えて「自分の心のままに」あれこれと活動する1年でした。
採算度外視的にアトリエ活動をしていたら、思いもよらなかった新たなひらめきやチャンスが舞い込んできるというミラクルを実感しだしたのもこのころ。
アトリエ時間をたっぷりとることで、私の中で「遊び心がON」になり、毎日のアトリエ時間で書いていた「手書きのルーズリーフをヒモ解きと掛け合わせてみよう」というアイデアから「ヒモ解き100人斬り」が始まったり。(本当にありがたいことに、口コミが口コミを読んで、一晩で50席が埋まる人気企画に!)この企画で7~8割の方がはじめましてでお越しくださり、たくさんの出会いもありました。
2019年12月~2020年2月の3ヶ月間は、オンラインで100人の方とお会いしながら、ひたすらシートにまとめる毎日。オンラインで人と出会え、短い時間でも心を開いて会話できる可能性をコロナ前に体感できていたことは、その後の私の活動にもつながる、大事な気づきとなりました。
2019年はとにかく、SNS起業の枠に囚われることなく、「自分の嗅覚と自分の感覚で推し進める」その筋力を鍛えまくった1年になりました。
100人分のシートを書き終わり、無事に100人斬りを終えたのが2月末。その後、コロナ禍となるわけですが、ここでの経験が、2020年3月の子どもが教える学校のスタートにちゃんとつながっていくのです。
その話は、また次回に。
私は自分の人生を通じて、断言します。
「人生に無駄なことはひとつもない、その一点だけを見ればどんなにネガティブな出来事も、人生を俯瞰してみれば、その出来事がなければその後の人生展開につながっていかない、大切な分岐点なのだと」
今、こうやって記事を書いている私は、正直、これからどのように活動していこうか、まだ次の道すじを決めかねる思案の中にいます。でもこうやって記事を書いていると思えるのです。こうやって思案していることも、こうやって誰が読むかも分からないこの記事に、100%の情熱を注いで記事を書いていることも。ちゃーんと先の未来につながっているんだって。先の未来地点に立っている私は、きっと今の私に、「あの時、あの記事を書いてくれてありがとう」と言ってくれてるに違いないと。
人生には無駄なことはない、全部つながっている、そして、次の未来を作る種は全部私の中にある。
→続く
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