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起業物語① 会社員からの独立~ヒモ解き職人

「子どもが教える学校」を始めてから4年、会社員から独立してから7年が過ぎた。今日、カフェでこれまでの歩みを整理していたら、ああ、私はこうやって人生の舵を切ってきたのか・・と気づき、思わずパソコンに向かってこれを書いている。

時に、人生を3年5年10年スパンで俯瞰してみるととってもいい。やっていることは変わっても、大事な根幹が変わらなかったり、私にとっての変化に欠かせない要素が何なのかもうっすらと見えてくる。

日々に一生懸命なだけだと、どうしても視座が低く、変化も、そこに隠れた共通項も、自分らしさも見えてこない。

というわけで、これまでの歩み(起業からの7年)を備忘録がてら書き起こしておこうと思う。あくまで自分のための記録だけれど、私の小さな経験がこれから何かを始めようと思う人への、何らかのヒントにでもなれたら、とてもうれしい。

0.会社員からの独立

時はさかのぼり、8年前の2016年の春。私はまだ会社員だった。当時の私は37歳。息子の出産~育休復帰から2年ほど過ぎた頃だった。

仕事はとても楽しく充実していたけれど、当時の私は「働き方」に悩んでいた。自宅と会社は往復で3時間余り、時短勤務も活用させてもらっていたが、常に時間の綱渡りで私には正直、息切れする働き方でもあった。

「働き方」は、産休中からずっと私の関心のあるテーマだった。まだ幼い息子を抱っこし、夫婦で働き方セミナーに参加した様子は、NHKのおはよう日本で密着、全国放送にものぼった。ちょっとしたきっかけから、私たち夫婦にお声がかかるのだけれど、今思えば、私はこの頃からマスメディアに縁があったようにも思う。

育休を終え、会社に復帰して2~3年が経った頃。SNSでの発信を使って起業をする、当時には「新しい働き方」をしている人たちの姿が目に飛び込んできた。そういった働き方をSNS起業と呼んだ。また、一部ではキラキラ起業と揶揄もされた働き方だ。

自宅からパソコンひとつでも働ける、というメッセージに当時の私はとてもワクワクした。本当なの?と疑う心もある一方で、これが本当なら、世のワーママの多くを救うことになるんじゃないかと可能性に魅かれた。女性だけじゃない、男性だってそうだ、男性の働き方が変われば、夫婦の働き方が変わる、会社全体の働き方も、社会の働き方も・・・心躍った。

そして、私も挑戦してみることにした。子どもの頃のイリコというニックネームを使い、発信を始めた。SNSはプライベートではやっていたけれど、インターネットを通じて自分の思いや考えを発信するのは初めてのこと。粗削りながらも、自分の思いをつづりはじめた。当時は「子育てしながらの女性の働き方」「パートナーシップ」などを毎日のようにつづった。

発信しながら、文章を書くのが好きだった子どもの時代のことを何十年ぶりに思い出した。時に思いがあふれ、ネタを常にメモ帳に書き留めるような生活が始まった。

発信を初めてしばらくして。少しずつ、感動しました・・涙が出ました・・などのコメントが投稿につくようになった。フツーの子育て中の私のワーママなのに、だ。この頃の私は、インターネットを通じて人とつながっていけることに、心からワクワクしていた。思いや考えをインターネット上に吐露する、それが時間とともに波紋のように拡がっていく、その私の頭のイメージはこの頃に作られたんだと思う。

1.ヒモ解き職人として

2016年12月、私は16年勤めた会社を離れ、独立をした。正直、ビジネスはまだまだ軌道に乗ってはいなかったけれど。発信を通じて、少しずつ人に出会えるようになり始めた頃だった。私は、未来への希望だけで、見切り発車で退社した。

本来であれば、「こんなことを実現したい」「こんな社会にしたい」というビジョンがあって、起業するのが筋かもしれない。でも、当時未熟だった私には、それがまだなかった。でも、明らかに「もっと人々が自分の能力を発揮しながら、もっと自分らしく働ける働き方があるに違いない」という強い思いだけはあった。

そこに向けて私に何が出来るかなど分からなかったけれど、まずは私自身が「子育てしながらも、自分らしく働く」ことを実践しようと起業した。当時の会社の同期にも、「私は会社の外から社会を変えていくね」って約束をした。(まだ、その約束を守り切れていないから、やるべきことをやんなくちゃ!)

自撮りして毎日発信していた頃

当時の私は、ワーママ向けのパートナーシップの相談業の看板をかかげていた。もっと女性が働きやすい社会へ。その思いだけで起業したが、実際の私の仕事はなかなか順調とは遠い日々だった。

パートナーシップの看板は、私が出産後に夫とのパートナーシップを再構築した経験をもとに掲げたものであったが、私でなければできないかと言われれば、正直100%しっくりくるものではなかった。

ある日、私は、会社員として16年勤めたスキルや経験を今一度棚卸ししてみた。どんな時に自分は夢中になるのか、どんな条件が揃うと力を発揮できるのか、私にとって息を吸うようにできて最もコスパが高いものは何か。

小学校から会社員まで、自分の中の印象的なエピソードを時系列で洗い出し、そこから見えてくる「私」を徹底的に自己分析してみた。

当時書き出したシート

すると、今まで会社員の時にはまったく見えてこなかった私がおぼろげながらに見えてきた。

◎人の話を整理するのが得意
(親の話を代筆してた小学時代/上司の壁打ち&資料代行/同僚の壁打ち)
◎トラブル時の原因追及&対応策整理

こんな自分の強みが自己分析の中で浮き彫りになってきた。

ある日、当時起業を目指していた仲間7~8人とお茶をする機会があった。その時、自分の自己分析の結果を彼女たちに話してみた。すると、みんなが「私の話を聞いてほしい」「整理してほしい」と口々に言ってくれた。

私はその場で、何人かの話を聞き、彼女たちの話を図でまとめたり、ポイントを箇条書きで整理し、手書きメモをその場で戻してあげると、とても喜んでくれた。こんなことで喜んでくれるんだ、人生で初めての不思議な経験だった。

その日の帰り、私はとっても興奮していた。こうやって話を聞いて欲しい人ってたくさんいるんじゃないか。組織に属さない個人事業主の方ならなおさらのこと。何か人のためになれそう!そう思ってワクワクした。

電車の中でひとつの投稿を書いた。人の話を聞き、体系的にまとめるスキルを「ヒモ解き職人」と名付けると決めた。どんなにその人の中に、思いや考えがあっても、人に伝わる形じゃなきゃ、相手には届かない、そんなメッセージを添えて、熱い文章にしたためた。

その日の投稿から、私はパートナーシップの投稿を一切辞めて、ヒモ解き職人の投稿に切り替えた。書いていく中でいろんな思いが溢れてきた。

会社員の16年を経て、自分の持つ「スキル」にやっと気がついた自分と照らし合わせ、こんなメッセージが浮かんできた。

”あなたの中にすべてある”

人はあれもない、これもないと自分にないものを嘆き、足らないもので補おうとする。もちろん、学んだり、習得することは大事。だけれども、学ばなくても、習得しなくても、自分の中にすでにあるものを軽んじる必要はない。

会社員でも、主婦でも、経営者でも、先生でも、どんな経歴の人だって、必ずや「その人にしかない、経歴、思い、スキル、メッセージがある」、そして、それは自分にとってはどんなに当たり前でも、ところ変われば誰かにとっては宝物になりうる。それは、子ども達も同じこと。この哲学は、今の子どもが教える学校にも通じている。

私は自分の経験を通して、それを確信した。会社の中では、まわりの人も普通にできていたことも、ひとたび会社を飛び出たらそれで「ビジネス」になったんだから。

2017年から2019年まで、私は、個人企業主・社長さん向けの壁打ちサービス「ヒモ解き」として、その日からひた走ることになった。当時、私が属する界隈では、壁打ちをサービスにしている人はほとんどいなくて、そのキャッチ―さに本当にたくさんの方が訪れてくださった。

クライアントさんの中には、第一線で活躍されている起業家さんもいらっしゃり、壁打ちをさせてもらいながら、私自身も本当にたくさんのことを経験・吸収させてもらった。

会社員当時、思い描いていた、「自分のスキルを使って、場所を問わず働く」がいつのまにか叶っていた。

→続く


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