2人は出会ったーSECOMとALSOKの創業者「民警」(猪瀬直樹著、扶桑社刊)
作家で東京都知事も務めた猪瀬直樹が、日本の警備業の今に迫った一冊。2016年の刊行なので、その時期にホットだった話題を中心に過去を振り返っている。
まず猪瀬直樹についてだが、あまり説明する必要は無いだろう。元々作家として知られていた人だし、2007年以降は、石原都知事の下で副知事、2012年からは石原氏の後を継いで都知事になった人だ。個人的には、90年代くらいに何かの作品で初めて知って、その後、一時期ハマっていたテレビ番組「ここがヘンだよ日本人」にもしばしば出演していたので、こういう場所にも登場するというのはなかなか勇気のある人だななどと思い、わりと好感を持って見ていた。
さて、その猪瀬直樹氏が日本の民間警備会社について書いた本、ということで以前から興味を持っていたものの、今頃になってようやく読むに至った(このパターンが多いな…)というのが今回のブックレビューの経緯である。
本書は、警備会社ライジングサンの登場からスタートする。当時話題になっていた海外における海賊対策、日本の船舶(日本船籍とは限らない)を「海賊」からどう守るか、ということについて日本の警備会社がどのように関われるか、関わっていくか、について触れている。ライジングサンが取り組み始めた実弾射撃訓練について取材しており、日本の警備会社がこのようなことをやっているのかと、少なからぬ読者が衝撃を受けたのではないかと推量する。
冒頭にこの部分を持ってくるあたり、狙っている感が否めない。私の知り合いも、「だいぶ盛ってるな」と言っていたのを思い出す。
「盛っている」というのは、実際にはこの手の武器訓練は定着していない、と見ているからである。海外に日本人警備員を送って武器訓練を受けさせる、というのはしばらく前からある話だが、ごく一部の「人たち」がやっているだけで、日本の多くの警備会社が組織的に実施している、というようなものとは全く異なる。むしろマニアの世界であろう。
その意味では、冒頭のライジングサンの話は、警備業界の主流の話ではない。
ところで、日本の警備会社について、売上高を基準に会社規模を概観してみると、一部上場企業で知名度があるセコムとALSOKの2社が圧倒的に強くて、他社を大きく引き離している。いわば2大巨頭である。しかしこの2社の間でも売上高の差は大きく、セコムの売上高はALSOKの2倍以上あるのである。このセコムとの差に関し、ALSOKの関係者からときどき聞くのは、「ウチはセコムと違って営業よりも運用重視だ」というものがある。本書でも「儲けるというより使命感でやっている」旨の記述があり、そういう姿勢なのであろう。
セコムと言えば、日本警備保障の社名でスタートして間もなく、1964年の東京オリンピック選手村の警備を受注したことで有名になる。当時は一般企業の多くが「宿直」として社員を会社に寝泊まりさせていたような時代で、「警備会社」というモノ自体が世間に認知されていなかった。そんな中、東京オリンピック選手村の警備を日本警備保障というところに任せようということになった。その決定をリードした東京五輪組織委員会の事務次長が、当時警察庁キャリア官僚だった村井順、つまりALSOKの創業者である。
本書では、警察官僚時代の村井氏が直面していた省庁間の権力闘争などがわりと丁寧に描かれていて、それ自体一考に値すると思うが、本レビューの視点から少々ずれるので割愛しよう。キャリアというのは、こういう権力争いをずっとやっているだな、という感じである。この点、村井氏が内閣調査室初代室長であり、内調の運営について「失敗」し、失脚したというのは見過ごしてはいけないところでもある。というのも、この内調時代の「失敗」が、その後の綜合警備保障(ALSOK)設立へとつながっていく、ように見えるからである。欧米のような本格的なインテリジェンス機関を作ることができなかったという心残りが、いわば官時代のやり残しを民でやる、ということにつながったのか(ALSOKの現実から察するにそうは見えんが…)。
セコムは、新しいビジネスチャンスを求めた若者、飯田亮と戸田寿一によって、欧米の警備業から着想を得て、日本警備保障として設立された。設立にあたり、国際警備連盟という組織に連絡を取って、スウェーデン人であるフィリップ・ソーレンセン会長のバックアップを得ながらスタートしている。
創業期のセコムで少々面白いと思ったのは、初めての社員募集の時点でクレペリンテストを導入している点である。クレペリンテストというのはいわゆる適性検査の一種で、一桁の単純な計算を一定時間を続けさせて、その作業量などから職業適性を見るものである。このてテストの精度などは議論のあるところだが、こうした適性検査を一切やらずに採用を実施している警備会社の実状を個人的に知っているだけに、創業後すぐにこのテストを導入したセコムの先見性には目を見張るものがある。
さてここで、世界の警備業の草分けであるピンカートン探偵社が登場する。警備業そのものの歴史を語る上で、避けて通ることのできない会社である。
世界で最初の警備会社ピンカートン探偵社はアラン・J・ピンカートンによって19世紀半ばにアメリカで設立された。もともとは樽の製作所である。樽の取引を通じて贋金問題に接し、おとり捜査や情報収集の世界へと入っていく。ピンカートン探偵社の特殊性は、シャーロック・ホームズシリーズの「恐怖の谷」の中でも取り上げられている。私が個人的にこのピンカートン探偵社の名前を知ったのも、やはり「恐怖の谷」が最初であったことをはっきり覚えている。20世紀に入り、ピンカートン探偵社が果たしていた特殊な役割を、FBIが担っていくようになるのというのはいかにもアメリカ的というか、日本と違って官よりも民が先行している点が面白い。
話は1964年の東京オリンピックに戻るが、選手村の警備を請け負うことになった日本警備保障という警備会社はいったいどんな仕事をしているのか、組織委員会事務次長であった村井氏は、彼らを呼んで話を聞くことにした。ここで初めて、このすぐ後に綜合警備保障の創業者となる村井氏が、セコム創業者の飯田氏と顔を合わせることになった。55歳の警察官僚と、30歳になったばかりの若い会社経営者だ。2人は遂に出会ったのである。
この時の顔合わせについて、セコムの飯田氏にとっては「あまり愉快なものではないようだ」と本書の中で書かれている。それはそうだろう。いち警備会社の経営者が、選手村の警備を与えてくれた組織委員会の事務次長に呼び出されて、根掘り葉掘り聞かれる。契約書類のこと、採用のこと、教育訓練のこと等々。答えないわけにはいかない。ところが、日本警備保障の内情をあれこれ聞いていた当の本人であるその事務次長が、東京オリンピックが終わってから間もなく、ライバル会社となる綜合警備保障を設立するのである。職権で諸々聴取した直後に、である。
こんなことが許されていいのだろうか、というのが率直な感想。むろん禁じられているわけではないだろうが、非常にインチキくさい話ではないか。
村井氏の、職権による調査は飯田氏と面談した後も続き、吉田茂元首相の精神的(かつ実質的?)後押しもあってか、組織的な護送船団方式の民間警備会社設立に向けての準備が本格化していく。そして、東京オリンピックの閉幕からわずか半年後、一流銀行とトップ企業幹部が役員に名を連ねる綜合警備保障の設立総会が開かれるのである。
セコムと綜合警備の対立構造でしばしば描かれるのは、「セコムは外資系の警備会社であり、そのような会社に日本の警備を任せるのは良くない。純粋な日本資本の警備会社こそ必要。それが綜合警備保障である」という話。セコムが外資系という解釈がそもそも正確でないと思うし(間違いでもないが…)、上述の「使命感でやってます」的な発想だ。
とはいえ、国際警備連盟のソーレンセン氏とセコムの飯田氏のやり取りなどを見ると、ソーレンセン氏の考え方はいかにも外資だなぁと感じるところも多々ある。どこかで聞いたような話にも思える。ニューヨークで開催された国際警備連盟の会合に飯田氏と戸田氏が参加する場面も、これはこれで面白い。日本と外国の警備業のギャップが良く表れていると思う。
時代背景。連続射殺魔事件に絡んで、セコムと綜合警備の警備員の姿が交錯する。綜合警備の警備員は射殺され、セコムの警備員は犯人永山則夫の逮捕に貢献する。
時代と共に警備業の姿は変遷し、在外公館、海外駐在員、IT、刑務所、介護、と様々な話題が本書で取り上げられていくが、やはり本書で注目すべきはセコムとALSOKの関係だろう。批判を恐れずに言うならセコムの社員と接してもあまり違和感が無いが、ALSOKの社員に関しては「なぜこんなに偉そうな態度なのだろう」と感じることしばしば。本書を読み、創設の経緯、その社風の違いなどから、2社の印象がこうも違う理由がわかるような気がした。
後出しじゃんけんのALSOKが、現在においてもセコムに売上高で2倍以上の大差をつけられているという点は、まだしも正義なのかなと思ってしまう。