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都知事選立候補の石丸氏の正体


概要

東京都知事選に立候補を表明した、広島県の安芸高田市の市長である石丸氏について書く。まずは概要から。石丸氏は、ファンからは熱血的な正義の味方、アンチからはYouTubeではしゃぐお調子者と見られているようだが、どちらも些かナイーブな見方だ。経歴をみても、言動からみても、氏は演技派であり冷静で計算高い策略家だ。石丸氏の最大の功績は、既得権益層が腐敗・硬直させた仕組みを部分的にでも改革したことだ。マスコミを敵に回した状態で、しかもたった一人でここまでできたのは、おそらく日本で最初の例だ。この快挙はインターネットを利用したものであり、氏自身もしきりに戦術やその意図など、ネタバレ解説をしている。つまり比較的容易に模倣可能な戦術で、今後の日本社会に大きな影響を及ぼすことが確実な戦果だ。都知事選挙では2つの大きな障壁が立ちはだかることになる。彼を恐れるマスコミの圧力と、地方を見下す都民の「東京至上主義」だ。以上がこの文書の概要だ。

居眠りは罠だった

YouTube視聴者たちからは、石丸氏の政敵である清志会の議員らは、身勝手で無能な怠け者のように見られている。しかし実は彼らは、忠実に自身の職務を果たす働き者だ。彼らは「改革などしてほしくない既得権益市民」の代表だ。高齢化した地方都市の農協や商工会は、どこでも既得権益層にガチガチに固められてしまう。地方で農業や商売をしている人の多くは、自分たちの環境を変えてほしくない。どんなに近い将来が真っ暗で、どんなに若者を苦しめていてもだ。その市民の意図をくんで、ありとあらゆる改革の妨害をするのが彼ら議員の使命だ。実際に彼らは、市長のやることなすことすべて邪魔している。実に勤勉だ。居眠りもそのひとつだ。決して気が緩んで眠っていたのではない。居眠りで参加者のやる気を削ぎ落とし、苦言を呈してきたら集団で脅す。もちろん賄賂を積まれれば態度を改める。その攻撃のための「罠」だ。不良や反社に馴染みのない人には陰謀論のように聞こえるかもしれないが、これはガラの悪い学校ではよく目にする日常であり、不良や反社など、その手の組織には典型的な戦略だ。そこは広島県の地方都市で、その手の組織の発祥の地とも言える場所だ。居眠り、恫喝、裁判と、この流れはまるで任侠映画だ。彼らは地元の裁判所や病院、マスコミまでも味方に付けていた。絵に描いたような「腐敗し硬直した地方都市」の姿だ。

根回しとは賄賂のこと

この対立について象徴的なのが、道の駅騒動だ。石丸氏は市内の道の駅に無印良品の誘致を画策したが、議員等に却下された。無印良品が道の駅に入るとどうなるのか。鴨川市の例を知る人を除くと、すべての人は見当違いのビジョンを抱くだろう。
素人田舎経営の道の駅は無印良品運営の「みんなみの里」を見習うべき | アゴラ 言論プラットフォーム
このレポートを書いた永江氏は、安芸高田市の騒動を知っていたわけではなさそうだが、「お百姓さんにマーケティング丸投げはやめとけ」などの言葉は、まるでこの騒動の解説だ。これを読めば石丸氏がやろうとしたことは至極真っ当なものだと誰でも理解できるし、既得権をもつ農協や商工会は絶対に賛成しない案件だということも誰でも理解できるだろう。

石丸氏について、「もっと巧妙な根回しをするべきだった」「穏便に解決する道を模索すべきだった」というような批判がある。清志会やそのバックに居る市民集団の正体を見れば、これが完全に見当違いなのは明白だ。石丸氏は改革を宣言して市長に選ばれた。互いの存在理由そのものが真っ向から対立しているのだ。双方にとって、譲歩できる点など最初からどこにもない。そもそも「もっと巧妙な根回し」とは何のことなのか。

無印良品がそうかは不明だが、古くからある企業や海外展開を進める企業では、トラブル対策用の予算やチームが組まれている。ゴネる組織があればそこに便宜を図るためだ。議員達も私腹を肥やすためにゴネているのではない。自分のバックに居る組織に「それ」を持って行く必要がある。農協とか商工会とか、あるいは「その手の組織」だ。それで票を買っているのだ。「その手の組織」にも渡す先がある。妨害工作や、「妨害の妨害」を実行する暴走族などを操る必要がある。そうやって、金が「宜しくない人々」へ順々に流れ落ちていき、改革を実行するたびに組織や地域は腐っていく。たとえひとつひとつの改革自体は合理的なものであったとしても。これこそが、「巧妙な根回し」の正体だ。自民党や立憲民主党の議員たちが、パーティで金をかき集めるのもまったく同じ理由だ。

恥を知れ!恥を!

市長になる前、石丸氏は銀行でアナリストをしていた。その経験から彼は正と負、ふたつの側面の「学び」を得ていたはずだ。正の側面は当然ビジネススキル、分析スキルやプレゼンテーションスキルといったものだ。銀行はこれらを学ぶのに最適の場所といえるだろう。負の側面は「腐敗した既得権益層の習性」だ。どんな国や自治体でも、どんな組織でも、長く続くと必ず既得権益層がシステムを腐敗・硬直化させる。銀行は古くから存続する組織で、その最たるものだ。しかも、腐敗した組織間で行き来する金の動きがよく見える場所でもある。氏は間違いなく、故郷と銀行の両方で、「腐敗した既得権益層」の行動とその金の動きを幾度となく目撃・観察し、その習性を理解した人間だ。居眠り議員を見たとき、その裏に何が待ち構えているか、即座に理解できたはずだ。議員たちの目論見は市長との対立だったが、石丸氏はそれを見越し、逆手に取ったのだ。

有名な「恥を知れ!恥を!……という声があがっても」という言葉は、その流れで出たものだ。そこに「企み」があったことを、氏は自らネタバレしている。ユーチューバーやテレビの編集員が編集しやすいように、「……」の部分をわざと長めに時間をあけ、過激な言葉を吐く自身の映像が世間に出回りやすいように仕向けたのだ。議会を敵に回してしまうと、どんなに明白な正論でも、どんなに優秀な首長でも、何も実行できない。賄賂を払うしか道がなくなる。だが大衆の目が入ると正論が力を増し、既得権益や賄賂は力を失う。氏はそこに賭けた。もう一つ見落としたくないポイントがある。計算ずくの行為だったとネタバレしたということは、そのネタバレの影響まで計算に入っていたということだ。「この先は言わないけど、分かるよね」と暗に言っている。

蒔いた種

「どの国でも同じですが、既得権益層をつぶし、経済を復興させるのは大変に困難です」
村上龍の小説、「半島を出よ」に登場する北朝鮮の高官のセリフだ。既得権益層による腐敗は、古今東西普遍的なものだが、その改革が困難なのも、古今東西普遍的だ。近代の日本で改革が成功した実例は少なく、そのほとんどは元芸能人やテレビで有名になった政治家などが、マスコミを味方につけてやったものだ。安芸高田市の腐敗は、テレビ局や新聞社をも巻き込んだものなので、その手法は使えない。その絶望的な逆境の中で、たった一人でいくつもの改革を実際に成功させた石丸氏の実績は、快挙としか言いようがない。こんなことはこの国では一度もなかったはずだ。氏の戦略は単純だ。賄賂をばらまく代わりに、ネットに向かって正論を淡々と吐き続ける、それだけだ。「賄賂で操る」「マスコミで操る」に続く、第三の改革手法を示したのだ。氏はその時に使った服装やセリフの意図などの「トリック」も何度も自らネタバレしている。同じように改革を志す人たちに、参考にしてもらうためだ。「こういう戦い方もある」と、それを若者に伝えているのだ。今後は日本各地で、これを参考にした作戦で戦う若者が続々と登場するだろう。これこそが石丸氏が蒔いている種だ。

象徴的なネタバレはもう一つある。広島県に台風が来る前日、氏は千葉県で開催されたトライアスロンの大会に参加していた。災害が起こりそうなときに市から離れていたことを議員たちは咎めたが、完璧な準備が施してあり、台風当日には職場復帰し、実害は一切なかった。その状況で石丸氏の行動を批判することは、コンプライアンスに反する。議員たちが完全に恥をかいたカタチになった。石丸氏はこの行動についても、意図的だったとネタバレしている。ただし、このトライアスロン大会が開催地の街興し的な行事であったことは黙っていた。プライベートな行動であったが、他所の市の街興しの視察の意味合いもあった、そういう言い訳もあるだろう。むしろ、単なる参加者として行って帰ってきただけの訳が無い。氏は他の地方のトライアスロンやフルマラソンの大会にもちょくちょく参加している。政治家にとって体力は重要な資質なので、アピールしても良さそうなのに、それもしない。自身の「あざとさ」を今更隠す必要もないだろうが、これも何かの策略なのだろう。

東京を舐めるな

東京都知事選では、石丸氏の当選は困難だろう。2つの巨大な勢力が氏の邪魔をするからだ。1つ目はマスコミ、政治を操る巨大な既得権益の塊だ。東京に行っても氏は既得権益層と戦うことは確実だ。記者会見で石丸氏が新聞記者を名指しで叱りつけていた場面は、東京のマスコミ関係者から見てもトラウマ級の恐怖だろう。あんな恐ろしい奇人に都知事になられたら大変だ。だからどんな手段を使ってでも、潰しにかかるだろう。あるテレビ局では石丸氏の立候補表明のニュースは「つばさの党」の選挙妨害ニュースと連続して流された。知らない人が見たら、石丸氏もつばさの党と同類のような印象を持っただろう。マスコミは初手から偏向報道をした。よほど怖いのだろう。

「東京を舐めるな」と言った都議会議員がいた。呆れるほど浅はかな発言だが、実際にはこれが都民の大多数の真意だろう。そうでなければ件の議員は辞職に追い込まれたはずだ。大阪市の議員が他地方の首長に「大阪を舐めるな」と言ったらどうなるのか。「広島くんだりの田舎市長が俺達の東京に来て、何ができるというのか」密かにそう思っている都民は多いはずだ。東京都民は他の地方を見下す傾向が特に強い。これが石丸氏に立ちはだかる第二の壁だ。石丸氏も都民だったわけで、これを知らないはずはない。白状すると筆者自身も東京にいたときは、得体のしれない優越感を自覚していた。これは世界中の中心都市に共通することだが、それにプラスして放送ネットワークや交通網の構造など、東京にはこの感覚を洗脳のように補強する要素が特に多い。道路や鉄道といった交通ネットワークは、皇居を中心とした同心円状、放射状に広がっていおり、移動のたびに「中心」を意識させられ、気づかぬうちに刷り込まれる。テレビニュースでは、地方版に切り替わっても同じキャスターが喋り続け、テレビドラマでは馴染みの場所がその舞台となる。四六時中「中心」にいることを刷り込まれるのである。東京が素晴らしい都市であることは事実だし、それに誇りを持つのは大変結構なことだが、他を見下すのは幼稚だ。東京を出たことのない人は、この偏狭な感覚を客観視できない。

石丸氏の戦法は、むしろ人口の多い場所のほうが有効だ。注目を集めるために無茶な行動をとる必要がなくなる。氏は金の流れの分析のエキスパートで、それに加えてプレゼンテーションスキルが高い。今までより分析に注力できるし、理路整然と正論を吐く姿は、これまでよりずっと多くの人の心を動かすだろう。氏は既得権益層との戦いに慣れているが、こんどは東京都民そのものが既得権益層だ。氏の説く「日本に迫りくる危機」の話は至極尤もな正論だが、東京都民の心には刺さらないだろう。先日の記者会見の様子は、各地に流れたが、あれは広島市で行われたもので、地元民に向けたものだったはずだ。氏はまだ市長なので、都民に向けたメッセージはまだ立場上何も出せないはずだ。氏は策を練っていると公言している。その策に期待したい。

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