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【検証】なぜ「学校の先生」になりたかったのか。

教員志望である自分は、よく「(このご時世)なんで先生になりたいの?」と聞かれることがある。

正直だいたいその時その時の返答をしてしまっていたのだが、今の自分は「教員になりたい」と言いながら他の道も視野に入れてるぐらいなので、改めて過去の自分と向き合いながら、その”夢”について検証したいと思う。

問題提起

今回検証する問題は以下の通りである。

なぜ自分は「学校の先生」になりたかったのか

この問題に対して、当時高校生であった自分を振り返りながら、自己分析を中心に検証していきたいと思う。

実態把握

そもそもなんで教師になりたかったのか、そのきっかけとなった事柄や当時の自身の境遇を振り返っていきたいと思う。

当時静岡県内の某高校普通科に在籍していた。この学校は普通科と理数科という二つ学科があり、多くの学生が大学進学を目指し3年間を過ごす、言うところの”自称進学校”であった。

高校生活の毎日は、田舎道を自転車で毎日30分程かけて通学することから始まる。学校では部活主体で、高校より始めたハンドボールの部活動・練習に多くの時間を費やした。そのため、日中の授業は寝てしまうことも多く、学業についてはテスト期間が迫ってくると慌ててちょっとテスト勉強をするぐらいだった。もちろん部活が終われば夜遅くに帰宅して、夕飯を食る→テレビを見る→寝るといった感じで毎日は過ぎていった。

そんな自分も高校3年生となり、部活動も引退してようやく、大学進学(選択)・大学受験・将来の進路について考えるようになった。そんな時にふと直感的にではあったものの「学校の先生」という"夢"を自分の進路として選ぼうと思った。その当時の要因にとして、大きく二つあったと思われる。

①高校時代に憧れの恩師がいたから。

②子どもが大好きだったから。

これらに関しては、エピソードもありますが、今回は省かせていただき、なぜ「学校の先生」を目指すようになったのかを、今の自分の視点から以後少しでも客観的に当時の自分を分析していきたいと思う。

自己分析

この当時の純粋な自分の夢を、少しばかり成長した今の自分による経験則とともに、当時の生活環境など外的要因に着目しながら分析していきたいと思う。

自己分析していく中で、以下大きく二つの要因があることに辿り着いた。

①学校の先生以外の大人との接する機会があまりなかった。

②進路を考える際に「教員志望→教育学部」の構図が組めるのが、文系学生の自分にとって楽チンだった。

①学校の先生や両親以外の大人との接する機会があまりなかった。

当時の自分は、一日の内のほとんどを高校という学校の内部で過ごし、平日はもちろん休日もほぼ毎日学校へ行くため、毎日が学校と自宅の往復であった。そのため、日常で接する人といえば同じ学校に通う同級生や部活の部員といった同世代がほとんどで、「大人」で直接接する人といえば、両親や親戚、学校の先生ぐらいがほとんどで、それが当たり前だった。もちろん間接的にであれば、テレビやネットに出てくる人、街で通りすがりに見る人々など、意識はしてないが多くの「大人」を目にしている。

そもそも”夢”というものについて、何かしら思い描くのには、自分もそうであったように必ずどこかにきっかけがある。その大きな一つのきっかけに、自分が恩師に憧れたように日常で接する「大人」にある思う。

「もしかしてご両親が先生だったりする?」

教員志望の学生であれば多くの学生が聞かれたこと・耳にしたことがある質問かと思う。実際に(教員だけではないが)、両親と同じ職業に就く子どもというのは少なからずいる。これがいい例だと思うのだが、子どもにおいて”夢を持つこと=憧れを持つこと”には一要因として、日常で接する「大人」が影響しているのではないかと思う。

だからこそ、当時普段多くの「大人」と接することがなかった自分にとって、先生とは憧れるべくして憧れたモデル像であったのかもしれない。

②進路を考える際に「教員志望→教育学部」の構図が組めるのが、文系学生の自分にとって楽チンだった。

これは特に大学進学に向けた大学・学部選択の際の話である。

”自称進学校”をうたう自分の高校はよく土日に学校に来ては、某大手予備校が行う模試を行っていた。その際にいつも問題になるのが、志望校の記入欄。特に文系学生にとっては、どんな職業はおろか、どんな勉強がしたいのか、何が学べるのかわかっておらず、いつも何かと埋まらない。(あの大きな新聞紙状の大学一覧表をペラペラしたのを思い出す…)

だからいつもいちよその場で悩んではみるものの、結局当時の自分は具体的に大学後の将来が想像できる「学校の先生」を思い描きながら、「〇〇大学教育学部」を偏差値順に並べるのがお決まりだった。

でもそうしてしまうのには、学校現場においてそのような大学での専門的な勉強のこと、その先の進路のことについてあまり知ったり、考えたりする機会があまりないからではないだろうか。その一方で、それより目の前の受験に向けた情報収集や勉強に追われていくことが常でもある。

日本が受験社会だと言われるのはこのようなところにある。

因みに、この高校生の学部選択に着目して尊敬するトビタテの先輩えいさんが取り組んでいる「学部選択白熱教室」というプロジェクトがあります。詳細は是非以下の紹介動画をご覧いただきたいです。(これについては是非母校でもやっていただきたいなと思ったり…)


結論及び考察

今回自分の"夢"を持つきっかけについて検証する中で、当時を振り返りながら純粋に「学校の先生」になりたかった自分に出会えた。(実際、今の自分は随分その純粋さをなくしてしまったが…笑)

※ここでは何も触れていない「今の自分」のことは以下の記事で書かせてもらっているのでよかったら覗いてみてください。

「トビタテジャーナル『教育者の卵が大学を休学してまで海外留学をする理由』」http://tobitate-student.com/2016/09/16/教育者の卵が大学を休学してまで海外留学を/

また、今回の自分自身に関する検証を踏まえて、子どもが"夢"を持つことのきっかけには大きく三つあると思えた。

①家庭環境 ②メディア・情報関連 ③学校教育

①、②に関しては個人差が生まれやすい部分であり、特に②に関しては情報化社会において今後ますます子どもたちに大きな影響を与えていくことである考えられる。③について学校現場では、言うところのキャリア教育・職業教育というものが効果的に行われていないように感じる。

やはり自分がそうであったように、大きく言えば子どもが「社会を知る」機会は間違いなく少なかった。またそれと同時に、夢を描くきっかけを掴む機会や得られる情報量というものが、ゆくゆくの子どもの成長を考えると、間違いなくその個人差が”機会格差””情報格差”として顔を出すのではないだろうか。

特に自分は教育者を目指す卵として、これらの改善のため学校現場で新たなきかっけの場作りができないかと今は漠然と思っている。(この場作りについては今後具体的に書いていきます。)

子どもが社会を知り、自分を知り、”夢”を描ける学校

そんな”新たな学校”を創っていきたいと、今は心の片隅で思っていたりする。


#教育 #教師 #大学生 #留学