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ぐるりとまわって見た世界。

鉄棒の上に腰掛けたまま、
後ろにぐるっと回るのが怖くてたまらなかった。

いわゆる『後ろまわり』というものだ。
小学生の頃の放課後の遊びは
鉄棒がブームとなっていた。
のどかな田舎の、のどかな時代である。

足掛けまわりも
連続前まわりもできるのだけれど、
見えない後ろ側に体を倒してまわるという、
未知の動きが私には恐ろしかった。
なかなか勇気が出せなくて、
私は鉄棒に座ったり降りたりを
繰り返してばかりいた。
友だちはみんな
喋りながら笑いながら、
なんでもないことのように
ぐるんと後ろまわりをしているのに。

まわり終えた友だちが地面に足をつく時の、
タン!という軽い足音が
追い討ちをかけてくる。

「大丈夫だよ」
「できるできる!」

友だちは口々に励ます。
できる人は簡単に言うんだよね、
と思わないでもなかった。
友だちと私の間には
見えない深い深い川が横たわっていて、
経験というものが私たちを
あちら側とこちら側に分断しているのだった。


いつまでもぐずぐずもじもじとして、
勇気を持てないでいた私に、
友だちのひとりが言った。

「怖いのは、やってないからだよ」

「一度やってみれば、
なんだこんなことかって思うよ」

そうなのだ。
たった一度の最初の勇気さえ出せたら、
あとは流れに乗って進んでいけるのだと
わかっている。

プールで初めて水に顔をつけた時のことを
思い出してみる。
あの時だってそうだったではないか。

その友だちはさらに
こんな言葉を付け加えた。

「でもね、今日できなかったら
もうできないかもよ。
やるなら今だよ。今日のうちだよ」

え、なんでどうして?
焦った私がしどろもどろになって聞いても、
その子は頭を左右に振りながら

「とにかく今日中に一度やってみなきゃだめ」

と言うばかりだった。

なぜなんだ。

それは呪文の言葉となって
私をがんじがらめにした。

挑戦するのに良い日というのは確かにあって、
そのタイミングを逃したら
しばらくチャンスはやってこない。
臆病風に吹かれているうちに、
なけなしの勇気は
地の果てまで飛ばされてしまうのだ。

友だちに呪文をかけられた私は
いよいよ切羽詰まり、
とにかくやってみろ、の大合唱に
押されるようにして
覚悟を決めることにした。
私の背後では友だちが3人体制で
いつでもこい!というように
両腕を前に突き出して構えている。
この3人を信じるのだ。
3人の腕のあいだをすり抜けて、
地面に背中を打ちつけ仰向けに倒れる自分の姿を、頭の中から全力で追い出す。


いくぞー。
いくのだ。
できる。
私はできる。
なんてことないと、みんなが言ったではないか。
鉄棒をしっかり掴んでいれば、
落ちたりしない。
あとはぐるんとまわればいいだけのこと。
大丈夫、大丈夫。
自分に言い聞かせる。
深呼吸を繰り返す。

こうして私は3秒前まで知らなかった景色を、
後ろにのけぞりながら見ることになった。



タン!と、両足が地面を叩いた。
背中側にある上下逆さまの世界は
一瞬で反転した。
友だちみんなが、やったー!と叫んだ。
私はついに後ろまわりをやり遂げたのだった。

どきどきがおさまらない。
嬉しさと安堵と
緊張からの開放感で手足が震えた。
友だちが言った通り、
やってみたら難しいことではなかった。
むしろ気持ちがよかった。
怖さは急速にしぼんで消えていった。
どんなことなのか
知らないからこその怖さだった。



よし、次は友だちの介助なしで
ひとりでまわってみよう。

今日やってみなきゃだめ、と言った友だちが、
まさかの事態に備えて
私の背中側で待機してくれている。
GO!

私は鉄棒に腰掛け、空を見上げながらまわった。
ぐるん。
成功だ。

「だからできるよって言ったじゃん」

と友だちが笑っていた。

ああ、楽しい。
新しいワザを覚えたことが嬉しくて、
何度も何度もくるくると
後ろまわりをやり続けた。
今日掴んだコツを忘れないように、
体に教え込ませた。
小さなバリエーションまでつけ加えながら
まわることさえできた。
本当に簡単なことだったのだ。

✴︎

怖いのは、やっていないからだよ。

大人になった今でも、
友だちが放ったこの言葉が私をハッとさせる。
尻込みしては諦めてしまいがちな
慎重派の私を説得しにかかるのだ。

もちろんやってみて痛い目に遭うこともあるし、
失敗もする。
後悔する。
だが、やらなきゃよかった、と思うのは、
やってみた(勇気を出した)からだ。
やらないまま日々を過ごして、
あの時やっていたらどうたったのだろう、
と悶々と気持ちを引きずるよりは、潔い。
次に進む覚悟もできるというものだ。

✴︎

後ろまわりのことを思い出したのは、
今の私がぐずぐずの優柔不断ボックスのなかに
閉じ込められているからなのだった。
歳を重ねるほどに
新しい道を選ぶのが怖くなる。
本当にこれでよいのだろうかと、
何度も後ろを振り返り
足元を確かめ、
それでも一歩をためらう。
無謀なことをしても取り返せると思えるのは、
経験をむしゃむしゃ食べて成長する若者の特権。
今の私には深手の傷は致命傷だ。
それでも
何年か先の自分が笑っていられるように、
怖さを越えてよりよい方へ
歩いていかなければならない。
未来のため。
未来も生きていると信じている自分のため。



それにしても。

今日中にやってみなきゃだめ。

という言葉もなかなかのものだ。
強制力と絶対的な威力を感じる言葉のおかげで
私は一歩を踏み出せた。
今度にしよう。
と、後回しにしてばかりでは、
永遠に成し遂げられない。
優柔不断な私の性格を
見越してのことなのだろうが、
小学生で友だちにそれを言えることは、
すごいことだと思う。


あの子、何者なんだ。
姉御肌のあの子を懐かしく思い出しながら、
大人になった私は苦笑いしている。
野望を希望にかえていこうと、
私の心は鉄棒の上で空を見上げている。






文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。