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それほど母性のない私が、養子を迎え育てているワケ


「私、不妊治療をやめて、養子を迎えようと思っているんだよね。」
こう周囲に打ち明けてから今まで、何度となく「すごいね」と言われてきた。

この「すごいね」には、どんな意味があるだろう。
言った本人に聞いたことがないから分からないが、おそらく「血のつながらない子どもを育てるなんて、えらいね」という意味がほとんどだと思う。
私は、特に嬉しいとも嫌だとも思わず、「まぁそう言うよね」と受け止めてきた。
だって、もし反対の立場だったら、私もそう言っていたと思うから。
でも実際は、全然すごくない。
謙遜でもなんでもなく、本当にすごくないのだ。

養子を迎える人=アンジー

「養子を迎える人」と聞いて、あなたはどんな人をイメージするだろうか。
私のイメージは海外セレブ、もっといえばアンジェリーナ・ジョリーだった。
実子が3人いて、さらに3人の養子を迎え育てていることは、日本のメディアでも多く報道された。
さらに、慈善活動にも積極的に取り組んでいる。
すごい。すごすぎる。
私とは器の大きさが違いすぎて、とても同じ人間だとは思えない。
それなのに、数年後にはアンジーと同じく私も養子を育てることになった。

自分に自信がない

きっかけは、夫だった。
28歳で不妊治療に終止符をうち、これからは夫婦二人で楽しく生きるのもいいよね~と思っていた私に、「特別養子縁組で子どもを迎えたい」と言ったのだ。
夫は子供が大好きで、父親になりたいとずっと願っていた。
それまで何度か特別養子縁組について考えたことがあったのだが、「養子=アンジー」のイメージしかない私は、無理だとあきらめていた。

だって、私は超がつくほどの庶民だし、慈善活動なんてしたことがない。
気が向いたときに小銭を募金するくらいだ。
それに、私はそれほど母性がない。
小さい頃、お菓子は弟から奪って食べていたし、親に怒られたときはどうやって自分だけ逃げようか必死に考えていた。
決して仲が悪いわけではないのだが、大人になっても私の器は大きくならなかったようで、夫に「全然お姉ちゃんらしくないよね」と言われる始末だ。

しかし、そんな私も結婚し、子どもがいる暮らしを夢見るようになった。

そりゃあ、私だってできるなら子育てがしてみたい。
血のつながりに、こだわっているわけじゃない。
でも、自信がなかった。
性別、血液型、年齢、人種、障害…
特別養子縁組は子どもの福祉のための制度なので、大人から「こういう子どもがいいです」と希望は出せない。

私は、子どもの全てを受け入れ、一生愛し続けることができるのか。
「育てたい」という気持ちよりも、プレッシャーに負けそうだった。

強いて言えば、「すごい」のは夫と息子

強いて言えば、「すごい」のは夫だ。
「でも…」「だって…」「もし…」と、まだ起こってもいないことを想像して不安を並べる私に、決して無理強いすることなく自分の考えを伝えてきた。
何度も何度も話し合ううちに、不思議と「この人となら、何が起きても大丈夫かも」と思えたのだ。
夫が寄り添い、手をつなぎ、一歩ずつ歩いてくれたから、私は前に進めた。
自信のない私を後押ししたのは、夫への「信頼」だった。

そして、息子もまた「すごい」。
澄みきった青空が広がる爽やかな日に、生後8日の息子はうちにやってきた。
それまで、私には母性がないと思っていたのに、息子に会った瞬間から母性がダバダバ溢れた。

この変わりように一番ビックリしたのは、もちろん私である。
小さい手、ミルクを飲む姿、げっぷ、寝顔。
もう何をしてもかわいい。
いや、何もしなくてもかわいい。
そこに存在するだけで尊い。
一生見ていられる。
子どもってすごいなぁ。
どこにあるかも分からなかった私の母性スイッチを、一瞬で押したのだ。

今はだいぶ言葉も達者になり、「なんだって?!もういっぺん言ってみ?!(怒)」と雷が落ちることもあるけど、数分後にはまた母性が溢れる。
子どもは、何歳になってもかわいい。

母性は、標準装備されているものでも、常に満タンなものでもない

母性は、女性に標準装備されているものではない。
さらに、常に満タンなものでもない。
育った環境やそのときの状況によって、増えたり減ったりするものなのだ。
私のように、突然スイッチを押されてとめどなく溢れる人もいるだろう。
だからこそ、周りの人との関係性が大切なのだと思う。

そして、母性は血のつながりがなくても確実に存在する。

私は、今日も夫と息子のおかげで母になり、そして家族をつくる。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます!